爪痕
さらに歩くこと、半日。
獣道を進んでいた一行の前に、突然大きな空間が現れた。セテの後ろを歩いていた雛が悲痛な声を上げ、親鳥が高度を下げて旋回し始める。
「これは、とてつもない力業だな。」
ぽっかりとできた空き地の中央で、太い木の幹がへし折られて切り株状になっている。横倒しに放置された幹には無数の巨大な爪痕が残されており、この惨状が天災ではなく何者かによって引き起こされたことを示していた。
「入っても大丈夫よ。」
外縁を一周して安全を確かめたセテが、イルアンとリアネスを手招いた。
「空き地のように見えているけれど、膝より上の枝が全部折れてしまっているだけ。元は、他と同じ藪だったはずよ。あの幹を抱えて振り回したら確かにこれくらいの範囲になるのだろうけど、そんなことができる怪物がいるなんて。まあ、想像したくもないわね。」
「なんで、こんな。」
絶句したリアネスの問いに答えるように、ほとんど地面を這うように調べていたセテが声を上げた。
「膨大な血の跡だわ。とんでもない怪物同士が、ここで争ったのね。この量じゃ無事では済まなかったはずだけど、負けた方はどうやってここから逃げたのかしら。」
空き地にはイルアン達の向かう方角、すなわち東から幅広の道らしきものが接続しており、その先でキラキラと太陽の光が乱反射している。幅広の川が、西日を飲み込んでいるのだ。周囲を一通り確かめたイルアン達は、空き地を後にして川の方へと向かった。
と、そちらに数歩進んだところで、足が止まる。
「セテ…どうやら勝った方の化け物は、悠々と歩いて家路についたらしいぞ。」
イルアンの指の先には、何者かの足跡と思しきくるぶしほどの深さのある窪みがあった。川に通じる道に規則正しく刻まれたそれは、リアネスが跨ぐには跳躍が必要なほどの幅がある。
「リアネスの歩幅と同じくらいの足跡となると…」
イルアンは、体高にしてリアネスの五倍はあろうかという巨体を想像して中空を眺めた。隣でやはり同じくらいの角度を仰ぎ見ていたセテが、地面に目を落として軽く拳を作る。
「熊か、それに近い生き物よ。五つ付いている拳大の窪みが、指の痕かしら。これと対峙して生きて帰ったら、私たち、冗談抜きで伝承の開祖になっちゃうわ。東に緑の地あり、大樹の麓に巣くう巨獣と出くわした、と。」
「そいつを掻い潜って、光輝く水晶を持ちかえった。そんな冒険譚に仕上げたいもんだね。」
周囲を警戒しながら川べりまで進むと、水の流れに乗って仄かに花の匂いが運ばれてくる。先頭で川にたどり着いたリアネスが、水に手を差し入れて振り返った。
「ぬるいわ。まるで、あの天上の泉みたい。」
イルアンとセテは、目を見合わせて頷いた。天上の泉、すなわち件の怪鳥の水飲み場もまた、竜脈が集う地だった。
「あの大樹に集っているのは、あの泉よりもはるかに膨大な光の筋だ。川の水を丸ごとぬるくしてしまうようなことも、不可能ではあるまい。」
川の上流、北の空に目をやれば、木々の並びから大樹の頂点が覗いている。
「この川を遡った先に、俺たちの目指すべき場所がある。」
川底に右手を押し当て、光の束を確かめる。ここから目的地までは、四刻も歩けば辿り着けるだろう。




