水晶工と薬師
机上に置かれた魔水晶は、薄い青を湛えている。
懐から取り出した透明な水晶をコツンと当てると、青水晶と机との境界から、緑色の揺らぎが立ち上がり、すぐに消えた。
「面白い色では、無いな。」
そう呟いて、傍らのかまどに、先ほど取り出した透明水晶をかざしてやる。そのまま数拍も待っていると、かまどの中心に埋め込まれた赤い水晶から火が滲みだし、やがて薪に移った火が鍋をあぶり始める――
連絡船という名の流刑装置によって隣の大陸から送り込まれたイルアンは、元より得意であった魔水晶の扱いで何とか生計を立てていた。
魔水晶工は、魔力の帯びた水晶を採掘、加工し、求める者へ商い、定期的な手入れを請け負うことで、日銭を得る技師職だ。この大陸では貴重な火水晶を二つのかまどにそれぞれ据えていられるのも、使い古しであっても容易に売り捌ける魔水晶工の役得であった。
煙を逃がすために壁に据えられた換気窓を開けると、強い風の音が入り込んでくる。
もう、三日も嵐だ。
良い臭いが漂い始めた部屋の中央、椅子に座って一息つく。日没より夜明けの方が近いほどの時刻だが、遅すぎる夕飯にありつくとしよう。
「おや?」
おかしい。
先ほどの鑑定で、『平凡』と格付けしたはずの水晶が、内部で薄緑のもやを泳がせ、光を揺らがせている。まさか、久しぶりに鑑定に失敗していたか。
「やれやれ、仕方ないな。」
そう言って水晶に手を伸ばした、瞬間。
突如として部屋が眩しい光に包まれ、かまどのスープが激しく噴きあがった。
「うぉい、これはちょっ、待っ、待って!」
活性化。
他の水晶や魔力に反応して、魔水晶の力が一気に引き出されてしまう現象。適切に管理できれば便利だが、一歩間違えば大事故につながることもある。
そして今回のそれは…
「事故だ、破産だ、もう終わりだぁ!」
イルアンは叫びながら辛うじてかまどから燃えやすいものを遠ざけ、頭部を庇って身を屈めた。
やがて、明るさが落ち着いてきた室内で薄目を開けることに成功すると、机上に置かれた水晶に目を奪われた。やはり、妙な動きをしている。
(色が、緑の揺らぎが逃げていく。いや、あっちに引っ張られて…?)
急速な光が収束と同時に、コン、と音がした。吊るし紐を焼き切ってなお浮いていた部屋の光源が、ついに床に落ちたのだ。
静寂が戻った部屋で、燃え残ったかまどの薪だけが赤く燃えている。
(なんて魔力だ。)
呆けてしまったイルアンの意識を引き戻したのは、どんどん、と戸を叩く音だった。
「イルアン、無事⁉」
応える前に戸が開いて、火に良く映える短い金髪と薄茶の瞳が覗いた。
セテ。
六年前、共に連絡船でこの大陸にたどり着いた一歳年少の戦友だ。今は村の薬師として生計を立てている。
「ああ、何とか。スープがこぼれてしまったのが惜しかったけれどね。そちらは?」
問われたセテは、右拳を胸の前に立てた左手に押し当てた。大丈夫。
「あいにくと、活性状態でも少し眩しくなるくらいの魔水晶しか持っていませんから。まったく、災難だったわね。だから前から、大きすぎる光水晶は夜眠れなくなるって注意していたのに。」
「や、だから、というのは。」
その話とこれとは関係無いだろう。イルアンは喉まで出かかった言葉を何とか飲み込んで、小さく二つ頷いた。この手のやり取りは、勝ち目も無ければ実りも薄い。イルアンはそれを長い付き合いで悟っていたし、何より今はそんな些事に時間を割いている場合では無いのだ。
「北東の方へ出てみようと思う。さっきの活性化、俺の光水晶なんてもう、浮き上がっていたぜ。とんでもない魔力があっちの方で使われたに違いないんだ。」
「北東というと、湖の方?」
「わからない。さらにその先かも。でも、今、そちらで何かが起こっているのは間違いない。」
セテはひとつ頷くと、家主の許可も得ずに部屋に入り込み、奥の戸棚から外出用の毛皮を二枚引き出して片方をイルアンに寄こした。他方、イルアンも採暖用の魔晶石を二人分机の上に並べている――この程度の支度であれば、言葉など必要ない。
「行こう。」
「ええ。」
右も、左も、言葉も判らない。
そんな第一大陸にたどり着いて以来、ずっと助け合ってきた二人には、お互い以上に心強い味方などいなかった。




