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十三の陸と一つの海 ~竜脈争奪戦を終わらせた英雄たちの旅について~  作者: 十方歩
第一章 第一大陸編 上・小勇者の旅立ち
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煙幕

 雛が危険地帯からの逃げ方を知っているというのは、どうやら買い被りだったらしい。


「上手い逃げ方を知らなかったから、真夜中にピィピィ飛び込んで来たのか…!」


 最初に異変に気づいたのは、その雛であった。泉を離れてすぐに激しく鳴き始めたと思うと、一行を先導するように全力で駆け始める。それを追いかけるように現れた数匹の大ねずみに、イルアンたちはことの顛末を悟った。


「やつら、あの水場を見張ってやがった。」


 枝を掻い潜り、岩を飛び越えて、逃げる、逃げる。

 リアネスと雛を先頭にひた走った一行は、しかし丘をくだり切ったところで行く手を崖縁に阻まれてしまった。断崖を吹き上がってきた風が、急停止した雛をイルアンの手元まで押し戻してくる。


「くそっ、もう少し北の方に逃げていれば…!」


 イルアンが首を巡らした先には崖下に降りられそうな箇所があったが、ねずみの群は到底そこまで待ってくれるとも思えない。何より、先頭のリアネスが鼻水を垂らしながら足を躓かせている始末だ。


 これ以上は、走り続けられない。


 イルアンは動きの鈍ったリアネスをほとんど抱えるようにして崖縁を辿り、細く突き出した地形を選んで大きな枯木の裏へと身を寄せた。


「ちょっと、ここじゃ逃げ場が」

「だが、数で押されにくい場所だ。まずは、リアネスが息を整えないと。」


 そう言いながらイルアンは鉄梃を取り出し、木の裏から飛び出るなり大声でねずみどもを威嚇する。じりじりと近づいてきていた数頭は飛び上がって背を向けると、何やら叫びながら森へ入って行った。


「逃げたの?」


 息を切らしながら尋ねたリアネスに、セテがゆっくりと首を横に振った。


「正面に二頭、残しているわね。」

「見張りを付けて、仲間を呼びに行ったんだね。ねずみのくせに、計画的なもんだ。」


 最初の三匹、いや四匹は、道連れにしてやる。あとは、それで怖気付いて逃げてくれるのを祈るか、あるいは。


「リアネス、動けるか?」

「な、なんとか。少し休めたわ。」

「よし。」


 イルアンは目の前の立木に手を掛けると、背嚢の奥底から水晶が入った袋を取り出して中身を広げ始めた。


「どうするの?」

「この枯木を燃やして、煙幕を張る。」


 セテとリアネスは訝しむように首を傾げたが、イルアンはそれに構わず火水晶を活性状態にして木の根元に置いた。


「これを、ありったけの火水晶でやるんだ。雪で湿った幹だし、燃え始めれば相当の煙が出てくれるだろう。」


 イルアンは足元の雪を集めて頭上に放り投げ、風向きを確かめた。やはり、崖を上がってきた風は、安定して森の方へと吹いてくれている。


「煙で奴らの指揮系統を乱しながら、群れの頭目を探す。セテなら、それと判れば射抜くことができるだろう。」

「ええ。でも、二番手が群れを率いて襲ってくるんじゃ…」

「運次第だけど、これだけ賢い奴らだからね。跡目争いで同士討ちを始めるくらいの知恵があっても、おかしくは無いさ。」


 そう言いながら、二つ目の火水晶の活性化を終える。赤く熱を発し始めた水晶は、先ほどとは少し離れた位置に置かれた。


「手負いの射手に、ずいぶん期待してくれるじゃないの。ま、そういうの、嫌いじゃないわ。」


 生き残るための最善手を淡々と進めるイルアンに、セテは不敵に笑って頷いた。

 そのとき、雛が小さく身を震わせてセテに擦り付いてきた。


『キュゥオ?』


 反射的に、三人そろって首をすくめた。気配が、変わったのだ。

 イルアンは残りの水晶をリアネスに託すと、鉄梃を手に幹の陰からねずみ達を窺った。集まってきた群れの左端に、右目が潰れたねずみが見える。昨夜、セテが射抜いた個体だ。


「同じ群れみたいね。ねちっこいったらありゃしないわ。」


 頷いたイルアンに、必死に水晶を並べながらリアネスが尋ねる。


「もしも、頭目が見つからなかったら?セテが矢を外してしまったら?」


 今は森に向かって吹いている風も、いつ向きが変わるかも知れない。イルアンは震えながら肩をすぼめたリアネスの背を平手で叩くと、森を見据えながら歯を見せて笑った。


「最善手を選び続けても助からない、そんなことがあると思うかい?」

「そんなこと無いわ、きっと何か手があるはず。今思えば、あんな見晴らしの良い場所に出て行ったのが不用意で」

「ふふ、傲慢だな。」


 リアネスは、反射的に眉根を寄せた。そういえば、セテにもそんなことを言われたことがある。


「じゃあ、何よ。諦めるの?」

「まさか。ただ、全能の人間なんていないってことさ。そのとき自分が一番良いと思った手を打ち続けて上手くいかないなら、それは運命として引き取るしかない。そう思えばこそ、過去に縛られず、その瞬間に集中できるんだ。いま考えていることが外れたとしても、俺は後悔なんてしない。それが本気で考えた結果なら、ね。」


 森の方からぞろりと音がして、また静寂が戻ってくる。湧いて出た数十頭のねずみ達。その群れが、ゆっくり一歩進み出て、そこで止まったのだ。また一歩。ねずみ達は、少しずつ確実に距離を詰めてくる。

 昨夜の崖登りで踏み台になった個体の例もあり、やはり指揮系統があるとしか思えない。


「火水晶、並べ終わったよ。言われた通り、イルアンが活性化させたやつの間に、全部置いた。」


 リアネスが、透明な活性化用の水晶を頬に当てながら言った。赤い水晶は木の幹に沿って半円状に並べられ、その両端の個体からは小さな火が立ち上っている。


「よし。そうしたら、端から順に活性化させて行くんだ。活性化が終わった水晶は、次の水晶を活性化する助けになってくれる。」


 そのとき。


「来た!」


 地響きが、ねずみの突撃を知らせてくる。セテが叫びと共に一頭の眉間を打ち抜いて横倒しにしたが、一斉に襲いかかってくるねずみ達の勢いを殺すには至らない。二の矢、三の矢が放たれ、四の矢をつがえたところで、先頭のねずみがイルアンの鉄梃を受けて苦悶の声を上げた。そのまま群れの方に蹴り飛ばして、僅かながら距離を稼ぐ。


「リアネス、急げ!」

「ちょっと待ってよ!水晶なんて、ちゃんと触ったことなくて!」


 白い雪の上に並べられた、赤い水晶。その両端から順に活性化用の透明水晶を押し当て、発火させていく。活性化された水晶の火は互いに絡み合うように上昇気流を生み、火柱となる。また一つ火が付いたと思うと、急激に勢いを増した火柱がリアネスの前髪を焦がした。


 残り、五つ。


 左右から迫る火柱は既にリアネスの背丈ほどになっており、活性化されていない水晶もまた、その火柱の中にある。差し出した手は厚手の手袋ごと熱く焼かれ、ついにリアネスは透明水晶を取り落としてしまった。


「ああ、もう!」


 熱で溶けた凍土のぬかるみから、なんとか水晶を拾い上げては、落とす。それを三度も繰り返したところで、セテが弓を置いて小刀を取り出したのが見えた。矢が尽きたのだ。枯木の前面にいたはずのイルアンは、ねずみに押し込まれてリアネスから見える位置まで後退してきている。雪の上に、ぽたぽたとした赤い染みが見えた。あれは、イルアンの血だろうか。


 これ以上は、待たせられない。


「死んだら、水なんていらないわ。」


 リアネスは焦げて穴だらけになった手袋に水を振りかけ、足元の雪をかき集めて中に詰めた。手を差し入れた瞬間、きんきんと鋭い痛みが手のひら全体から伝わって来る。これなら…!


「もぉおおおお!」


 両手で持った透明な水晶を、ぎゅっと目を閉じて赤い水晶に押し当てる。手袋の中で雪が水になり、湯になる。瞑った目の裏に蒸気が当たってリアネスは咳き込んだが、それでも手だけは動かさない。


 冷たさの痛みが、熱さの痛みに変わって、数拍。


 ぼっと音がしたと思うと、左側の火柱が更に倍ほどの大きさに変化した。あとは、右側の水晶を活性化させれば。


「あっ!」


 手を引こうとしたところで、手袋が破れた。慌てて地面に押し付けて冷やし、状態を確かめるが、指先にあるはずの水晶が無い。はっと顔を上げれば、激しく揺れる火柱の中で、透明な輝きが泥に沈み込んでいくのが見えた。雪を火水晶にかぶせて、沈静化させるか?そう考えたとき初めて、リアネスは足元の雪が溶け切っていることに気づいた。根を伝った熱が、土を暖め、大地を緩めている。


(一番良いと思うやり方…?)


 リアネスは火傷で真っ赤になった手を凝視しながら、呆然と火柱の前でへたり込んだ。


「ひとつも、思いつかないよ…」


 思わずイルアンとセテを振り返れば、二人とも数匹のねずみと渡り合っている最中で、肩で息をしている。とても声を掛けられる状況では無い。


「何か、誰か。」


 そのとき。


『キュゥワ!』


 傍観していた青い鳥が、突如として火の中に踊り込んだ。真っ直ぐ、活性化用の水晶を目掛けて鉤爪が伸びる。


「ちょ、何を…!」

「キュウオ!キュウオ!」


 どぽんと泥を漁って水晶を掴むと、雛はそのまま右の火水晶の元へと跳躍し、水晶同士を押し当て始めた。


「キュウウウゥゥゥ」


 火柱が強くなり、木の高さの半分ほどに達する。樹皮が焦げ、モクモクとした煙が森に向かって流れ始める。


「焼き鳥になっちゃうわよ!」


 我に返ったリアネスが火からはみ出していた尾羽を掴んで引きずり出すと、雛は力なく泥の上に倒れ込んだ。直後、破裂音が響いたと思うと、火柱が一気に高さを増し、木を包み込んで行く。中央に残っていた最後の火水晶が周囲から炙られて活性化し、左右の火水晶の力が一体となったのだ。


「イルアン、イルアン!できたよ!」

「よし!」


 舞い上がる火の粉と白い煙が、後続のねずみ達を包み込み、獣の群れは咳き込む音と共に少しずつ下がって行く。本体と分離された数体を煙の中に押し込んで戦意を失わせると、イルアンは身を翻して火柱の裏まで後退した。反対側から戻ってきたセテと目が合った、そのとき。


「倒れる…!」


 メキメキという音と共に、燃え盛る木は森の方へと向かって傾き、赤く光る枝を地に突き立てながらゆっくりと豊かな根をイルアン達に晒した。火柱は、地上の幹より先に地中の氷を溶かし切ったのだ。

 顔の高さで森に向かう煙が数倍の量になって襲いかかると、残っていたねずみ達は一斉にキィキィと鳴きだし、素早く森の奥へと駆け込んで行った。


「二人とも、無事で良かった…!」

「ああ、体当たりされて打ち身だらけだが、何とか歯は避け切った。これで諦めてくれれば良いんだけど。」


 セテが弓を構え直して、森の方を窺う。


「どうやら、そうも行かないみたいね。頭目も、出て来ないわ。」


 風向きが少し北に向いて、先程まで届かなかった位置まで煙が運ばれていく。それが森に届いた瞬間、ゴホゴホと咳き込むような音が聞こえた。奴らはまだ、そこに居る。

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