口は災いの元、災いは絆の友
イルアンとセテの二人が天幕に戻ったのは、とうに日が沈んだ後だった。リアネスは待ちくたびれていたが、遅くなった言い訳が『セテの矢が当たらなかった』という信憑性の無いものだったから、怒る気にもならない。
「べ、別に隠さなくても良いじゃない。私だってそれくらいの分別はあるというか、若い二人の間に割って入ってるのは私の方だったりするわけで。」
ぷいと背けた顔の先、回り込んだセテが、ゴシゴシと頭を撫で付けてくる。
「あら、おませさん。今度は一緒に来ても良いのよ?」
「もうっ!そうじゃなくて!」
リアネスが拗ねて、静かになる。三人はしばらく他愛も無い話をしながら夕飯の支度をしていたが、やがて焚火が爆ぜたのを機に静寂が場に立ち込めた。空を舞った火の粉がすべて地に落ちるのを見送ったところで、ついに、リアネスは二人と視線を合わせてしまった。
「さて、と。この数日で、だいぶ話を聞いて来たけれど、まだ肝心のところが繋がっていないね。重傷のマイキーに代わって、第十二大陸に向かう使命を託された。その君がなぜ、第一大陸に来ることになってしまったのか。続きを話してくれるかい?」
リアネスは小さく頷くと、それまで同様に訥々と話し始めた。
ジェクマス城塞を発って、三日ほどで中央大陸の端にある宿場にたどり着いたこと。そこで立ち寄った酒場で口が災いし、帰結としてエマーヴァの左翼に火槍を受けたこと。手傷を負ったエマーヴァが本来の速度を出せず、敵の追撃を許してしまったこと。
「それで、俺たちに旅の目的を話すのを躊躇っていたのか。」
リアネスはこくりと頷いて、逃亡劇の続きを紡ぐ。
「小型の飛竜に乗った追手は、北上して寒くなると引き返して行ったわ。それで、やっと第十二大陸に向かえると思ったら、突然、中型の飛竜が三匹も現れたの。中型っていうけど、マイキーおじさんですら竜の巣に行くまで一度しか見たことも無かったような化け物なのよ?」
リアネスを抱えたエマーヴァは満足に戦うことができず、さらに北上して中型ですら活動できないほどの寒気に飛び込むしかなかった。一方的に攻撃を受けながら丸一日も飛び続け、何とか最後の一匹を振り切った…そのころにはもう、第十二大陸まで飛ぶ余力など残っていなかった。
「それで、目的地をそこから最も近い陸地、第一大陸に切り替えて、何とか霧の母の湖畔まで辿り着いたと。後は、俺たちも知っている通りだな。」
リアネスが頷くのを見て、イルアンがぽんぽんと頭を撫でてやる。それを横目に、じっと考え込んでいたセテが口を開いた。
「ねえ、中型の飛竜と言うのは、人に懐くものなの?」
「懐くという感じなのかは判らないけど、大型のエマーヴァが私たちに協力してくれたように、人に手を貸すことはあるんじゃないかしら。人間の争いを見物して楽しむくらいは、頭が良いみたいだし。」
「ふうん。じゃあ、その中型の飛竜たちは中央の貴族たちと、利害が一致しているのね。」
「それは、そうなんじゃない?私たちの進路を塞いで、邪魔をしようとしていたし…あれ?」
自らの言葉に、リアネスは妙なしこりを覚えた。滅多に人前に姿を現さないという中型の飛竜が、『得体の知れない男が怖い、その娘も何をするか判らない』などという理由で動くのだろうか?
「おかしいかも。」
「やっぱり?中型の飛竜って、そんな都合よく追手にできるような気軽な生き物じゃないんでしょう?彼らがそこに現れたのには、もっと直接的な理由があるはずよ。あなたの渡航を防ぐことで、明確に彼らが得になるような理由が、ね。」
セテの言葉に、リアネスとイルアンが同時に顎に手を当てた。
「六部族側の差し金かもしれないな。」
沈黙を破ったのはイルアンだった。
「ついこのあいだ、人と狼が会話するのを見たばかりだからね。中型の飛竜ともなれば、相当細かいところまで話ができるんじゃないかな。例えば、周辺十二大陸の水晶破壊に協力する見返りに、飛竜たちの土地に竜脈が流れるよう確約している、とか。」
そんな企みをしているところに、妙なことを話す少女が現れたとしたら。
「リアネス、酒場で君が口にしたのは、どんな内容だったんだい?」
「ええと。世界中で沢山の人を救う旅に出るんだ、と言うような話を。」
イルアンは顎に手を当てたまま、視線を宙へと逃がした。
「大陸の端にたどり着いたばかりの少女が、まだ旅が始まっていないかのような言い方をした。それで、中央領域の間者、つまり小型飛竜の小隊はリアネスに目を付けた。そして六部族の者たちは、自分たちの企みが多くの人を苦しめることを理解していて、リアネスの言葉に思わず反応してしまったのかもしれない。つまり…その酒場には、中央領域と六部族、両方の間者が紛れ込んでいたんだ。」
セテが作ってくれたスープをすすりながら、リアネスは固く瞼を閉じた。イルアンの話は憶測にすぎないが、筋は通っている。今になって思えば、大陸最後の酒場に様々な諜報員が張り込んでいるということになぜ思い至らなかったのか。
「…もう、終わったことよ。過去の自分を責めても、今の自分を哀れんでも、誰も褒めてくれない。こんなところで感傷に浸るために、私は生かされてきたわけじゃないわ。」
固く閉じた目を小さく開けば、正面で赤い火が燃えている。
「これからどうやったら、使命を果たせるか。今の私が考えるのは、それだけでいい。」
リアネスの声は決して大きなものでは無かったが、聞く者を律するような芯があった。思わず息をつめたイルアンとセテが、小さく頷きを交わす。
「仕方ないわねぇ。」
「だな。」
そう言って、二人はリアネスを両側から挟みこむようにして座った。戸惑うリアネスの左右の手をセテとイルアンがそれぞれ両手で包んで、束の間の静寂を与える。
「…司書クレーベルの娘、リアネス。」
やがて、イルアンはゆっくりと口を開いた。
「俺たちも、故郷を守るために戦おう。小さな勇者を、一人で行かせはしない。」
それが、二人の結論だった。
イルアンの誓いにセテが優しく頷くのを見て、リアネスの目から安堵の涙がぽろぽろと零れ落ちた。




