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十三の陸と一つの海 ~竜脈争奪戦を終わらせた英雄たちの旅について~  作者: 十方歩
第一章 第一大陸編 上・小勇者の旅立ち
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リアネスの旅立ち - 紫の森 -

 前提の整理が終わり、二杯目の水に口を付けていたリアネスは、正面から飛んできた言葉に水面が揺らされるのを見た。


 ゆっくり視線を上げて、


「もう一回言って。」


 身を乗り出したのは、押し殺したマイキーの声が小さすぎたからでは無い。


「飛竜に乗って第十二、第十一、第十の三大陸を渡り、六部族の凶行を止める。それがクレーベルの計画であり、俺の使命だ。」


 リアネスは頭を抱えた。


 待て待て。父は六部族を助けようとしたから、捕らえられてしまったのでは無いのか。その父が、一方では六部族の企みを妨げようとしている?


「父は、誰の味方なの?」

「あいつは誰の味方でもない。ただ、救える数が多い道を探っていただけさ。六部族が飢えないようにしてやれば、周辺大陸に戦火が及ぶことは無いはずだった。だが、時間切れだ。六部族は一線を超えつつあり、クレーベルも彼らの説得に向かえる状況に無い。」

「一線を超えた?」


 マイキーは頷いて、


「既に、各周辺大陸に向けて間諜が送り込まれている。」


 居心地が悪そうに膝を掻いた。 その仕草はリアネスの胸底をざらりと擦りあげ、一つの問いを露出させる。


「…なぜ、そんなことを、父やあなたが知っているの?」


 膝を掻く手が止まり、力の無い目がリアネスと交錯する。数拍の沈黙を経て、マイキーは再び口を開いた。


「少し前に六部族の使者がやってきて、計画への協力を打診されたんだ。クレーベルは計画そのものを中止するよう訴えたが、受け入れられなかった。結果として、いまは喧嘩別れのような形になっている。」


 なぜ、と反射的に口に出そうになるが、やめた。

 黙ったまま陰っていくリアネスの顔を見て、マイキーは静かに続けた。


「より多くの他人を助けるために、お前たちは苦しんで死ね。あいつの言葉は、そう受け取られてしまった。後から色々と言い訳を聞かされたが、その場にいた俺が部族側と同じ印象を持ったのだから、あれは誤解でも何でもない。我が友クレーベルは、目の前の知人と見知らぬ他人の命を、同じ重みを持って比べていたのだ。」


 さあ、もう良いだろう。その一言を置いて、マイキーは燭台の火を吹き消した。毛布にくるまって目を閉じると、どこからともなく背筋に冷たい感覚が迫ってくる。


(私の命は、父様にどう見えているのだろう。)


 遠くで馬の嘶きが聞こえた。間もなく始まったマイキーのいびきは徐々に大きくなり、落ち着き、また大きくなる。燭台から漂っていた焦げ臭い空気も、いつの間にかどこかに行ってしまった。


 この広い世界で、自分だけがこの夜をうまく手放せない。


 そんな孤独感が、じっと毛布の中で寄り添っている。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 日の出と共に宿場を発つ。一晩休ませた馬は、二人を乗せて良く走った。太陽を追いかけるように西へ駆け、夕暮れ前には目指していた森に入る。


 馬を野に放って戻ってきたマイキーが、珍しく自分から口を開いた。


「人を乗せて海を越えるなど、並みの飛竜にできる業ではない。リアネスは飛竜を見たことはあるか?」

「飛竜小隊の模擬戦でなら、何回か。首に抱きついたこともあるわ。」

「首の後ろまで腕が回るくらいの太さだったなら、その飛竜では人を乗せて飛ぶのはせいぜい一刻が限界だろう。教皇軍の小隊が飼いならしている奴らは従順だが、飛竜としては最も小さい種だ。外海を渡るとなれば、下手をすれば数日も人間を乗せて飛んでもらわねばならん。」


 飛竜の首は太かったが、数年前のリアネスでさえ首周りの半分以上は抱えることができていたように思う。つまり、マイキーの言う()()()()()()だ。


「けっこう大きかったと思うけれど、あれでも人を乗せて飛ぶというのは難しいのね。」


 体高はクレーベルの二倍はあり、広げた翼は十歩分の横幅は下らなかった。あれで、最も小さい部類とは。驚嘆の視線を受けて、マイキーは肩をすくめてみせた。


「俺はかつて、北方の山中で中型の飛竜種に遭遇したことがある。図体も小型の二倍はあったが、奴らの凄みはその知性だ。人間に従うどころか、俺たちを脅して食料を巻き上げるようなことまでやってのける。そして伝説の飛竜エマーヴァはそれを上回る『大型』だ。これはもう、俺にも想像が付かん。」


 リアネスは懐からエマーヴァの鱗を取り出して、マイキーに見せた。


「どこの鱗なのか判らないけれど。」


 マイキーはそれを手中で回しながら観察すると、左の脇腹だろうな、とこぼした。


「小型の飛竜から鱗を取るときも痛みの少ない脇腹から抜くんだが…こいつには、全くと言っていいほど傷が無い。これは飛竜が自ら抜いて分け与えたものだろう。しかし、腹でこれほどの大きさとなると、背中のはもっと大きいはずだな。」


 そう言ってマイキーは立ち上がると、目前に飛竜を思い浮かべるように、手探りしながら鱗を掲げた。


「…こんな化け物が存在し、かつ、空を飛ぶというのか。にわかには信じられん。」


 森に少し分け入ったところで、二人は夕食を済ませた。ささやかな焚火から離れると、周囲を覆う木々は輪郭しか判らない。


「じゃあ、やるわよ。」


 髭面が頷く気配を確かめて、小刀の刃先を左手に滑らせる。ぷっくりと膨れ上がった血だまりから滴る雫を、鱗の中央に垂らし、広げていく。


「不思議だわ。こんなに痛いのに、全然嫌じゃないの。」


 マイキーは、無言でリアネスの手元を見つめ続けている。そうしているうち、


「まだ、足りないのかしら。」


 リアネスの目算では全面に血が塗り終わったのだが、何も起こらない。出血が減った傷口を広げようと再び小刀を抜くと、マイキーがその手をつかんで別な場所へとずらしてくる。


「前の傷を抉るのはやめておけ。浅い傷を、広くつける方が治りは早い。」


 ゆっくりと、薄く、長い傷をリアネスの手のひらに引いた。拳から滴る血を、鱗の裏面に至るまで塗り込んでいく。


「私の血じゃ、だめなのかしら。」


 表面に厚く、裏面に薄く。三回の血塗りを終えたところで、リアネスが首を傾げた。試し疲れたリアネスから鱗を受け取ると、マイキーは表裏を確認するように頭上に掲げてみた。すると、


「おい。これ…」


 少しずつだが、変化は起こっていたのだ。


 マイキーは鱗をリアネスに返しながら、その表面を指さした。暗さで何も見えなかったはずの鱗に、血の模様が黒く浮き上がっているように見える。血の薄い箇所からは、青白い光が脈動を思わせる点滅を始めた。


「すごい。どんどん、強くなるわ。」


 やがて青白い光は厚い血糊の上からも見えるほどになり、赤みの強い紫色となって森を照らし出した。


その瞬間。


『グゥァァアアア…!』


 遠くから、巨大な生き物の咆哮と思しき爆音が一帯に響き渡った。


「これは…嘆願が聞き届けられたときの、飛竜の声だわ。」


 バサバサと鳥が飛び立ち、狼たちが遠吠えを始める。リアネスの声はかき消され、全方向から獣たちの立てる音が迫ってくるようだ。


「リアネス」


 体ごと目を回していたリアネスの肩を、肉厚の手が掴んだ。


「ここからは、俺一人で行く。」


 見ろ。


 そう言ってマイキーは紫に彩られた森の一部を指さした。鱗の光に応じるように一際輝く地面が、草が、きのこが、まるで先導を担うように点在している。


「この騒ぎだ、追手たちは間違いなくこの森に向かってくるだろう。お前は、夜のうちに森を抜けて、北のジェクマス城塞を頼れ。門兵に俺の名前を出せば、悪いようにはされんはずだ。」


 そう言ってマイキーは、光が示す進路上の枝を一本折って見せた。


「俺が奴らを引き付けながら進む。そして途中で奴らを迷わせて、朝まで動けなくしてやる。いいな?」


 是非もない。リアネスは素早く頷くと、焚火のところに戻って荷物をまとめ、小さな松明を片手にマイキーを置き去りにした。


「どうか、ご無事で。」


 伝説の飛竜に会ってみたいとも思ったが、自分が一緒に居ては足手まといになるだろう。振り向くまいとしばらく前だけを向いて走ったが、耐え切れず首を回すと、紫色の光源が、相当な速さで南へと向かうのが見えた。光が示した進路は、西だったのに。


「私ひとりを助けるために、より多くを救うはずの男が回り道をしている。」


 喜んで、良いのだろうか。


 一瞬、昨夜の冷気が胸をよぎった。首を左右に強く振る。今は、そんなことを気にしている場合ではない。リアネスは口元に力を入れ直し、騒々しい紫の光に背を向けた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 夜のうちに、森を抜ける。それは、想像以上に困難な道のりであった。


 リアネスに誤算があったとすれば自身の体調である。前日の寝不足が祟り、駆けだして三刻もすると、真っすぐ走れなくなった。


(まだ、半分くらいしか進めていない。)


 焦る気持ちとは裏腹に、ついに足がもつれて、リアネスは木の根元に転がった。地に落ちた拍子に松明の火が消え、世界が暗くなる。落ちそうになる瞼を、頬を叩いて慌ててこじ開けたが、長続きしない。


「ま、まずいわ。休んでいる暇は無いのに。」


 そう自分に言い聞かせて、何とか火を灯そうとする。しかし、湿ってしまった松明には一向に火がともる気配はなく、リアネスはやむなく大樹の根が作ったと思しき暗がりへと入り込んだ。ここなら、注意して火を熾す分には光が目立つことも無い。


「ここなら落ち着いて、作業、でき、る。」


 あれ、おかしいな。地面に右頬がついている。そう思った時には、既に瞼が半分落ちていた。大樹の下は暖かく、落ち葉が積もった地面は柔らかい。


(少しだけ、休んで行こう。そう、少しだけよ。)


 最後の意思を振り絞って、星明りの届く入口付近から寝返りを打って離れる。


 少しだけ。


 そう思って目を閉じたリアネスが目覚めたのは、とうに日が昇った後のことであった。

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