それぞれの伝承
中央大陸。
そのさらに中央の領域に祖水晶と呼ばれる巨大な水晶がある。
人々は祖水晶に集まる不思議な力を竜脈と呼び、巫女と呼ばれる人柱の力を借りて分配することで、豊かな暮らしを享受していた。
巫女は放心しており、意思を持たない。
まれに嘆願の内容が配分に影響することがあるが、各地から集まる嘆願が同量かつ均質であれば、竜脈の配分に不公平は生じない。
そのはずだった。
異変は、振り返れば百年ほど前から起こっていたらしい。
大陸各地にある統水晶と呼ばれる六柱の特別な水晶が、徐々に輝きを失っていったのである。
統水晶を中心に暮らす六部族、狼族、蛇族、熊族、鷹族、鮫族、虎族は、中央領域に間諜を放ち、 中央領域の神官たちが、対面で嘆願させる者を密かに制限し、特定の者たちが豊かになるよう調整していることを突き止めた。
統水晶は、祖水晶に力を奪われていた…!
それ以来始まった周辺領域と中央領域の対立は、もう五十年も続いている。
『マイキーの話は、そんな話を整理するところから始まったわ。』
霧の中を歩きながらリアネスが語ったうち、相当の時間がその夜のマイキーとの会話に割かれた。イルアンはそれを思い返しながら、苦笑をセテに向ける。
「統水晶の存在までは、俺たちも知っている。だけど、その後の六部族とやらは聞いたことも無いな。途中で上手く伝わらなくなったのか、祖先が枝分かれしてから六部族が生まれたのか。」
「あるいは、誰かが意図的に変化させたか。」
セテの言葉に、イルアンは深く頷いた。
枯れ森の宿営地から見えた丘陵の間に向かうと、狙い通り細い川を見つけることができた。表面の氷を割って流れを露出させると、籠っていた地熱がふわりと上がってくる。
「川に入ったのは、臭いで追われるのを嫌ったからだろう。司書見習いというけれど、マイキーという男、ずいぶんと野山に慣れている感じがする。」
「命のやり取りに、かもしれないわね。彼、どこか懐かしい。私の故郷に居た戦士たちの振る舞いにそっくり。頼りになるけど、とびっきり不器用で、誤解されやすいのよ。」
セテはやれやれと微笑んだ。
「いずれにしても、リアネスが前提としている中央大陸の状況は、俺たちの知っている伝承とは少し違うらしい。」
「私たちが知っている、第十二大陸に伝わる歴史とは、ね。」
跳ね出た雪兎が、目前に突き立った矢に驚いて逃げ出す。悔しがる様子もなく矢を抜きながら、セテが穏やかに伝承を紡いだ。
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そのむかし、祖水晶に魅入られた少女がおりました。
最初、少女が水晶と向き合う時間は数刻程度でしたが、その時間は徐々に長くなり、ついには寝食
を忘れて水晶の前から動かなくなりました。
それ以前より祖水晶は信仰の対象でしたが、誰が始めたものか、少女の前にも供物が捧げられるようになります。
後に少女は、初代の巫女と呼ばれることになりました。
巫女は無反応で無表情でしたが、無感動ではありません。
ある時、旱魃で土地を追われた一団が泣きつけば、その数日後に彼らの故郷は雨雲に覆われました。
またある時は、獣の群れに故郷を奪われた者の陳情に、伝染病の流行をもってその群れを退けました。
巫女は実に気まぐれでしたが、願いが聞き届けられたときは飛竜が声を上げて人々にそれを知らせてくれました。
いつしか水晶の巫女は竜の巫女と呼ばれるようになり、大陸中から苦しむ人々が祖水晶を目指すようになりました。信仰の対象は水晶自体から徐々に飛竜の声に移り、神官たちの管理する祭壇の様相も変わっていったのです。
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これが二人の知る竜神教の起源だった。
イルアンが、続ける。
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百日の断食を経て初代の巫女が死ぬと、権力者たちは二代目を作り出そうと躍起になった。
そうして百年の月日と万人の犠牲を経て生み出されたのが白竜姫だ。
といっても、白竜姫が巫女となったのは偶然の要素が強い。
巫女修行の辛さから宿舎を抜け出した少女が、飛竜の棲む森へと逃げ込み、そこで白い鱗を持つ飛竜と恋に落ちた。
白竜は種の違いを理由に結ばれぬことを良しとせず、少女の魂を肉体から離脱させ、連れ立って天へと消えてしまった。
白竜は、肉体が滅びれば霊魂も無事ではいられないことを知っていたから、残された白竜と少女の肉体は、意思を持たないまま寝食を繰り返すことになった。
そうして半ば屍となった少女が祖水晶の前に戻ると、その内側から発せられた光が少女の胸を突き、その中心にとどまった。
少女は、祖水晶と一体になったのだ。
山々から上がった飛竜たちの叫びに、人々は新しい巫女の誕生を知った。
白竜姫はその後百年に渡って奇跡を起こし続けたが、初代とはその恩恵の対象に違いがあった。二代目の竜の巫女、白竜姫は、土地ではなく個人に力をもたらしたのだ。
英雄の時代、である。
巨獣の徘徊する海を苦もなく渡る者が現れ、まもなく周辺十二大陸が発見された。
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その後は幸せに暮らしました、と続くのだが。
「要するに、英雄たちが寿命を迎えた後は、海を渡れず、中央大陸のことは想像するしか無くなった、ということなんでしょう。周辺十二大陸の間を渡るならまだしも、中央大陸はあまりに遠かった。」
三本目の矢でようやく兎を仕留めて、セテがふぅと息を吐いた。
「…痛むかい?」
「少しね。でも、私たちが知っている伝承の先。リアネスの話が本当なら、何としても今年の船で第十二大陸に戻らないと。そうでしょう?」
左手の感覚を確かめるように指を開閉しながら、薬師は眉をひそめた。負傷してから動き続けていたせいで、怪鳥に抉られた上腕の傷が塞がらない。傷口を細かく縫えれば良いのだが、自分で縫うには位置が悪いし、素人のイルアンに針を持たせるほど切羽詰まってもいない。
「大丈夫、動かなくなるような深さじゃないわ。村に戻る時間は、惜しい。」
セテは顔をしかめながら、右手一本で器用に皮袋へ兎を収めた。




