怪我知らずの慌て者
親愛なる魔水晶工殿へ
誓約の宝珠なる物に目が眩み、
重罪人エルドーを意図的に逃がしたことは遺憾の極みである。
だが、今回は大水晶防衛の功も踏まえ、挽回の機会を与えたい。
誓約の宝珠を使って小勇者リアネスと共に海を渡り、
再度エルドーを捕らえる足がかりとせよ。
何?難しいだと?
ならば王国に召し上げて、再建の官吏としてこき使ってやろう。
白の森 調律の苦労人より
レミアスの口調を真似たロメの声に、茶髪をいじる青年の姿が目に浮かんでくる。
「相変わらず手の込んだことをする人だ。…この書状も、何通もあるうちの一つなんだろう。」
「ええ、まあ。」
ざらりとロメが荷の蓋を開けて見せると、中から数本、似たような巻物が頭を覗かせている。
「どうぞ、裏もありますので。」
追伸
今行かねば必ず後悔することになる由、背中を押してやる。
悪く思うな。
読み終えたイルアンが顔を上げるのを待って、ロメが掌中でチリンと鈴を鳴らした。すると扉の向こうから満面の笑みを浮かべた両親が現れて、両手に下げた袋からじゃらりと金属音を鳴らした。
「イルアン、お前、まだやり残したことがあるんだって?それじゃあ、まだ工房には立たせられねぇなぁ。」
「また、戻ってくるのよ。お母さん、待ってるから。」
イルアンはあんぐりと口を開けて両親を見つめた。つい先日、感動の再会を果たしたばかりではないか。六年もイルアンの部屋に手を付けずにいたような二人が、今度は満面の笑みで別れを切り出して来ている。
「…息子が心配だったりは?」
すると、父は笑顔の中に少しだけ冷静さを交えて声を低くした。
「じゃあ俺たちに心配かけないように、ずっとここに居て家業を継ぐのか?」
「それは…」
この数日、幾度となく想像した未来だ。そこには、安定した生活と、悲しみと、暖かさがある。胸奥の焦燥感と共に、ずっと生きていく。
「それも、悪くないと」
「イルアン、俺が心配しているのは、そこだ。おめぇ、この家に帰ってからずっとその珠をこねくり回して、仲間達のことばかり話してやがる。この先何年もそれを続けられてみろ、鬱陶しくて仕方ねぇ。」
「……むぅ。」
それは、この数十日が仲間を案じる最後の機会だったからで。そう言い返そうとしたイルアンに、父はニヤリと笑って続けた。
「それにな、我が子の身を案じてもいるんだ。お前、怪我知らずの慌て者の話は知っているか?」
「怪我知らずの、慌て者?」
「ああ。例えば、魔水晶の大鉱脈が見つかったなんて報せを聞いたら、お前ならどうするよ?」
試すような父の口調に、イルアンは努めて単純に答えた。
「仲間と調査隊を組織して、坑道の安全確保から始める。それが採掘の初歩だと教わるけれど。」
「もちろん、学び舎ではそれが正解だ。だが実際には何も考えずに突っ込んで行って、両手に宝の山を抱えて出て来る輩が居る。」
「あ、まさか。」
「そうだ。一番乗りの慌て者は、採りやすい位置にある水晶をあっさりと手に入れたんだ。他方、きちんと段取った奴らは、わざわざ採り難い水晶に挑戦することになる。せっかく準備に時間を掛けたのに、かえって危険に晒されるってわけさ。」
イルアンは、じっと父の目を見つめた。
「今すぐ旅立つのが、一番安全なのかもしれない。そう、言いたいんだね。」
呟いたイルアンに、両親は一歩退きながら頷いた。二人の顔が、あからさまな喜色から判りにくい寂寞に変わったのを見て、イルアンは小さく息を吐いた。見え見えの小芝居なら、むしろ最後まで演り通して欲しい。
イルアンは誓約の宝珠をもう一度見つめた。確かに、今なら海を渡る手段がある。いずれリアネス達を追うにしても、これ以上に具体的な海を渡る手段など見つからないだろう。
(このまま居られても鬱陶しい、か。)
そうかもしれない。
イルアンは宝珠を机の上に置くと、留まるという選択肢の無い小さな旅人に向き直った。
「リアネス。」
「う、うん。」
「ずっと考えていたんだ。竜脈を見る力と一緒に、俺は運命を押し付けられたのかなって。ひねくれの魔女じゃあ無いけど、他人に生き方を決められるのなんてまっぴらだと思って、少し意地になってた。」
大水晶を巡るリアネスにとって、それは喉から手が出るほど欲しい力だったはずだ。しかし彼女もレミアスも、それを引き合いに出して使命を与えようとはして来ない。あくまでイルアンの意思に任せてくれた。自ら運命を受け入れる余白を作ってくれた。
「一緒に行くよ。広い世界と、何より、この大騒ぎの結末を見届けたいんだ。」
ずいぶんと、待たせてしまった。そう付け加えると、リアネスがポロポロと涙を流して飛びついてくる。
「もうっ、もうっ!遅いわよ!ひ、一人ぼっちになるかって…!」
「うん、悪かった。」
泣きじゃくる肩越しに、ロメと目が合う。その手に握られている書状が、実に憎らしい。
「…読んで。」
「実は、読みたくないのですが…」
そう言ってロメが広げたのは、細い線で書かれた美しい文字列であった。




