異変
望むものは与えられず、捨てようと思えば押し付けられる。
気まぐれで、ひねくれた魔女。
「だいぶ、慣れてきた。」
床に付いた右手を浮かせながら、イルアンが息を吐いた。竜脈が克明に見えるのは、素手で大地に触れているときだけで、しかもこれは右手で触れていなければならない。
最初こそ地中に張り巡らされた竜脈の膨大さに圧倒されたが、太く、強い線だけに注意を向けて集中していると、不規則に思えた竜脈から一定の方向性が見えてくる。そうして大きな流れを掴んでしまえば――手を大地から離して立ち上がった状態であっても、竜脈の向きくらいは感じられるようになった。
「行こう。大きな竜脈は、北東へ流れている。」
いつの間にか水晶は、その周囲数歩分を覆うような透明な甲殻を形成しており、もはや近づくことも叶わない。まだ何かを引き出せないかと首をひねるリアネスをなだめながら、三人は水晶の部屋を後にした。
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うわ、と誰からともなく声が漏れた。
階上に戻った一行の目の前に広げられていたのは、一枚の大きな敷物――ではなく、すっかり干からびたように細くなった大雪虎であった。対称性の崩れた顔面の中央で、目玉だけが不気味な生気を放っている。
「血を抜かれた…いえ、吸い取られたのかしら。」
大雪虎の傍らに跪いて、セテが言う。その横に並んだリアネスに、イルアンの鋭い声が飛んだ。
「触るなよ、何か悪いものが憑いているかも知れない。」
いつになく硬質な青年の声に、少女はビクッと手を引いた。イルアンの忠告に、今にも触れようとしていたリアネスがビクッと手を引いた。
「イルアン、あなた顔が真っ白よ。」
覗き込んで来たセテに頭を預けて、イルアンはそのまま大きく息を吐いた。
「…竜脈を見るのに、すこし疲れたのかも知れない。」
大雪虎の隣には大きな皮袋が3つ並んでいた。なるほど、この巨大な獣をそり代わりして、氷上をここまで滑らせて来たに違いない。
「今日の戦利品、というところなのかしら。」
懲りないリアネスは、そう言って手近な袋に手を掛けてイルアンへ目配せする。
どうぞ、開けてみよう。
目で頷いてやると、リアネスは革袋の口から手を突っ込んで、あっ、と声を上げた。
「これ、私の荷物だわ。湖畔に置いてきたはずの。」
「なんだって…?」
慌てて、セテが残りの二袋を開けると、果たして、中から出てきたのはイルアンとセテの旅支度である。思いもよらぬ奇妙な出来事に、三人は困惑して顔を見合わせた。
「見て。袋の口に何かついている。」
セテが手に取ったのは、紐で括りつけられた金属の板片であった。よく見ると、数字と短い文字が刻まれている。
銅貨二枚。
「荷運び料の相場、か。伝説と謳われる魔女殿は、随分と庶民の暮らしに詳しいらしい。案外、普段から村ですれ違っていたりしたのか?」
苦笑しながら、イルアンは自分の荷から銅貨六枚を拾い出した。
「こんなの、払わなくてもばれないわよ。頼んで運んでもらったわけでも無いのに。」
リアネスがそう言い終わるかというときに、にゃお、と部屋の隅から鳴き声が響いた。猫。先ほど隣の部屋で見かけた個体だ。三人の視線を集めたままリアネスの前まで辿り着くと、荷物に前脚を掛けてもう一つ、にゃお、と鳴く。
「なんて言っているんだ?」
「ええと、ちょっと待ってね。」
リアネスは目を閉じて体内の感覚に集中した。きっとまた、あの地面から突き上げてくるような不思議な感覚が言葉を教えてくれる。
しかし――猫の言葉は、いつまで経っても訳のわからない鳴き声から変わってはくれない。むむ、と首を傾げたところで、「あっ!」とセテの声が上がった。
「リアネス!あなた、鼻、血!」
「え?」
クラリ、と視界が揺れて、リアネスはその場にへたり込んだ。




