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十三の陸と一つの海 ~竜脈争奪戦を終わらせた英雄たちの旅について~  作者: 十方歩
第一章 第一大陸編 上・小勇者の旅立ち
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魔女の気まぐれ

 傷ついた翼で、第一大陸までたどり着いたこと自体が奇跡だった。


 眼下に陸地を確認した飛竜(エマーヴァ)は、最後の力を振り絞って翼を広げ直し、星明りの反射を頼りに湖畔へと滑り降りて行く。着陸の寸前、勢いを抑えようと力を入れた翼は、果たしてわずかでも動いてくれたのか。ほぼ墜落といって差し支えないほどの衝撃が体を突き抜け、飛竜は苦し気な声を上げた。

 と、それに応えるように、背に巻き付けた布の中から少女の声が漏れ聞こえてくる。


「エマーヴァ、大丈夫!?」


 大丈夫だ、と強がりの声を上げてみせる。万全、少女とて飛竜の状態を楽観しているわけではあるまい。ときに人間の問いというのは、情を確かめ合うためだけに発せられる。


「着いた。けど、ここ、どこ?」


 少女は周囲を伺いながら布から這い出ると、星明りを頼りに地表へ跳躍した。目算よりも宙に浮く時間が長く転倒してしまったが、少女は泥も払わずに飛竜の左翼に駆け寄って傷を確かめた。

 深々と抉られた箇所には血肉が既に無く、腱か骨か、白いものが動いている。素人目にもわかるほど、状態は悪い。


「ありがとう、ありがとう…」


 よろめく足で歩き回り、何とか風雨を凌げそうな木陰を見つけて飛竜を誘った。

 尾を引きずった飛竜が木陰に入り込むと、少女は濡れそぼった装具を取り去り、比較的乾いて見えた地面から土を掬って飛竜の体に擦りつける。湿った土に巻き込まれて水滴は徐々に小さなものへと置き換わっていったが、


「あっ!」


 時折吹く風は木々から雪を舞いあげて、瞬く間に飛竜と少女の体を再び濡らしてしまう。


(何とか火を熾さないと)


 散らばった装具から、赤みを帯びた魔晶石を見つけ出す。後は、火口になる乾いた枝でもあれば。


(乾いた、ですって?)


 また一つ風が吹きつけて、横殴りの飛沫が木陰の傘を掻い潜った。


「ひっ」


 反射的に声を上げた少女の前に、風を遮るように飛竜の右翼が広げられる。恐る恐る見上げた先では、飛竜が虚空に向かって目を開いていた。


「…すぐに、戻るわ!」


 優しい翼の中から、少女は森へと飛び出した。一刻も早く、飛竜を暖めてやらねば。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 騎手の気配が離れたのを悟って、飛竜はゆっくりと翼を地面に突いて固定した。


 これで良い。


 あの小さな騎手が戻ってきたときには、私は骸となっているだろう。この翼は彼女の屋根となり、肉は糧となる。どのみち、私はもう助からないのだ。


『いずこより来て、何を成そうというのか。』


 朦朧とした意識の中で、懐かしい響きが聞こえた。

 多少古めかしく尊大な感はあるが、飛竜の言葉だ。このような寒い土地に同胞が居るはずもないが、確かに聞こえるのだから仕方がない。


『中央大陸、北西の角より第十二大陸へ向おうと試みたが、叶わず。追手に翼を折られてしまった。思うように飛ぶこと能わず、逃げ惑うままここへ流れ着いた。願わくばこのまま眠り、我らが盟の助けとならん。』


 夢心地で、飛竜は答えた。

 死神か、救いの手か。聞き手の気配が、ぐっと近づいた。まるで、人の子のような足音。それも、ここまで乗せてきた少女より軽いほどの。


 そう考えた時、右の首筋に手が当てられた。

 人の手、そう認識した瞬間。


 触れられた部分から全身に向かって、急激な圧力の伝播が起こった。塞がっていた傷口が開いて血が滴り落ち、暗闇から回復した視界には不敵に笑う白髪の少女が滑り込んでくる。


『ほう、まだ左も死んでおらんかったか』


 体中に痺れるような感触が続いている。飛竜は驚いたまま口を開け閉めして、ようやく言葉を漏らした。


『飛竜の声を、解するか。ただ人では無さそうだが。』

『わらわの名など、聞かぬことじゃ。久しぶりに竜脈が騒いだのでな、ただ様子を見に来たまで。』


 飛竜は、直感が告げるままに頭を垂れた。得体のしれない巨大な槍先が頭上にあてがわれている。そんな威圧感を、目前の少女は身に纏っていた。


『我は、また飛べるようになるだろうか。あなたの力を持ってすれば、あるいは。』

『わらわは、請われては応えぬ。死にたがりのそなたの命を繋いだのは、ただの気まぐれよ。それに、その翼はどのみちもう駄目じゃろ。わらわの()を持って生え変わらせるにしても、数年は飛べぬよ。』


 飛竜は大きく肩を落とすと、やがて首を振って応えた。


『我が生き長らえれば、かの娘は私の傷が癒えるのを待つだろう。しかし、あれに託された使命は、その月日を待ってはくれない。』


 顔を上げて、きっぱりと言う。


『せっかく気まぐれでいただいた命だが、お返しする。』


 その瞳はまっすぐで、強い。


『そうか、要らぬ世話であったか。』


 少女は、笑みを崩すことなく飛竜の首筋を撫でた。


『貰うてやろ。』


 その言葉を待っていたかのようだった。

 周囲に散らばった飛竜の装具から、水晶たちが生き物のように跳ね上がって光り出したかと思うと、少女の背後に渦巻いていた嵐が一気に飛竜に叩きつけられる。風に乗った氷は少女を避けるように回り込み、飛竜を角の先まで氷漬けにしていく。


『我が友よ、友の娘よ。健やかなれ。』


 飛竜はゆっくりと目を閉じ、意識を失った。

 その瞼の上に、風が雪を運ぶ。やがてそれは厚みを増し、押し固められ、いつしか飛竜は全身を透明な氷の中に浮かべ、折れて畳めなかった左翼だけをその外側に残した。


 白髪の少女が飛竜の氷に添えた手を降ろすのと同時に、浮かび上がっていた数多の水晶が地に落ちる。苦悶から解放された飛竜の表情は、安らかな死に顔というに相応しい。


「まあ、死んでおらんのじゃがな。」


 人語で独り言を漏らしてみると、心が飛竜から離れて、少し落ち着く。

 与えた命が要らぬなら、勝手に捨てれば良いのだ。それを返すといわれたところで、受け取ってやる義理など無い。

 嘆息と共に振り返ると、湖の方から青毛と紫毛の狼がそりを引いてやってくるのが見えた。顛末を聞いた狼たちは、挑発的に目を輝かせて唸りを上げてくる。


『ナユタ、振られた。ナユタ、かわいそう。』

『…おぬし、物言いに容赦が無いの。』


 ナユタは苦笑して生意気な青毛を撫でると、飛竜の入った氷塊を木陰の中央へと滑らせて、湖の方へと向けた。


「こうしていると、まるで守護神か何かのようじゃな。」


 自嘲気味にそう呟いて帰路に就こうと踵を返した、そのとき。慌ただしい足音と共に、叫び声が耳に飛び込んで来た。


「エマーヴァ!」


 火のついた細い枝を掲げながら、茶髪の少女が氷塊に駆け寄っていく――飛竜が『友の娘』と呼んでいたのは、この少女に違いない。

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