秘密の扉、秘密の絆
「板目の変わっているところを辿って、こじ開けられないかしら。」
おもむろに短剣を抜いて、リアネスが物騒なことを言った。なるほど、この妙な床を地下への扉と捉えれば、梃子を使ってこじ開けることもできるかもしれない。
「それは、最後の手段だけどな。そもそも、こんな短剣で上手くできるかどうか。」
そう言いながら、イルアンは自分の短剣を板目の隙間に合わせて、入り具合を見てみようとした。
すると、
『ぎしっ』
力を入れる直前。手元ではなく、背後から音が聞こえた。
反射的に振り返ると、青い方の狼と目が合った。慌てたように視線を逸らした狼に、イルアンはニヤリと目を光らせた。
「なあ、リアネス。君はこの狼たちと会話ができるんだよね。」
「ええ、まあ、簡単な意思疎通なら。」
「そうか。」
そう言ってイルアンは視線を板目に戻すと、短剣を振り上げてわざとらしく静止し、勢いよく振り下ろした。
『ンガォォオ!!』
瞬間、二頭の狼が左右から飛び掛かってくる。勢いに負けて押し倒されたイルアンは、床の直前で止めた刃を狼の方に見せながら笑い声をあげた。
「待て待て。冗談だよ、お前たち。ちょっと試してみただけさ。」
青年が短剣を手放すと、紫の狼はそれをくわえて遠くに投げ飛ばし、不機嫌そうに鼻を鳴らした。青い方も、つんと横を向いて愛想が無い。どうやら嫌われてしまったが、これは想定内である。
「さて、リアネス。この狼たちに扉の開け方を聞いてみてくれるかい。どうやら、刃物でこじ開けるのは、彼らには許せないらしい。つまり、これには正しい作法があるんだ。」
リアネスは、狼たちの方を振り返ると、小さく鳴き声を上げた。
『どうしたら、良い?』
狼たちは互いを見つめて逡巡したが、数拍置いて青毛が口を開いた。
『壊す、だめ。ナユタ、怒る。』
『ナユタ?』
『ナユタ、主。』
狼と意思疎通するというが、傍目にはリアネスが狼の鳴き真似をしているようにしか見えない。
「壊すと主人が怒るから、だめって。」
「ふむ、この狼たちは主人に仕えているわけだ。」
リアネスが頷いて、鳴き真似もどきを再開する。
『下、行きたい。』
『下、だめ。』
狼はつんとして即答したが、リアネスも譲らない。
『壊す?』
二頭が顔を見合わせて、困ったような素振りを見せた。その間にすかさず入り込んで、リアネスが目線で脅しを掛ける。
『壊す、だめ。開ける、簡単。丸と、丸で、』
『ソウマ、秘密、だめ。』
『あ…』
うっかり口を滑らせたのは、青い方の狼であった。
「丸、か。」
リアネスから内容を伝え聞いたイルアンは、狼が足蹴にしていた薄青の球を拾い上げて様子を伺った。さりげなく床を転がった紫の狼に目をやれば、琥珀色の瞳が真っすぐに見返して来る。
賢く、偉大な獣。それゆえ読みやすい。
「そこに居られると、ちょうど向こうの台座に行きにくいのだけどなあ。」
この賢狼が、適当に自らの場所を移したとは思えない。
イルアンは苦笑と共に狼の向こう側へと回り込み、台座中央の窪みに水晶を据えた。ほのかに水晶が光り出したのを見て、イルアンは大きく頷いた。どうやら、狼との駆け引きに勝利したらしい。
「丸と、丸で。」
イルアンの成功を見届けたリアネスが、同様に紫の球を反対の台座へと据える。すると青と紫の水晶が同期するように数回明滅し、乾いた音と共に『違和感がある床板』の片側が浮き上がった。
「やった!」
リアネスが飛びつくようにして床を持ち上げると、片開きの扉の奥から十段ほどの階段が姿を現した。淡い光は、その階段を降りた先にある小部屋から漏れ出ているようだ。
「鍵が外れたときに自然に開くよう、巻いた金属棒を仕込んでいる、と。」
扉を可動範囲一杯に開いて、イルアンは仕掛けを確認した。露出した鍵の部分には何やら紋様が刻まれており、これが水晶の力と連動しているのだろう。その動きは滑らかで、扉の裏側からは簡単に動かすことができる。板張りの階段は比較的急なもので…と、その時。
「…!」
しおらしく頭を下げていた二匹の狼が、同時にピンと耳を立てたのが目に入った。反射的に出入り口のセテに目をやれば、扉から耳を離すなり、足音を抑えて駆けてくる。
「玄関の鈴が鳴ったわ。」
「帰ってきたか。」
「ええ。何歩か進んで、腰を下ろした感じ。多分、真ん中にあった毛皮の上ね。」
冷静に報告するセテと裏腹に、リアネスが声を上ずらせた。
「こ、この水晶を持って下に潜れば、追いかけて来られないんじゃない?とにかく、早く逃げないと!」
イルアンは身振りでリアネスの声を静めると、階下への扉を振り返って言った。
「仕掛けを作った魔女なら、水晶が無くても鍵を開けられるかもしれない。それより、広間から水晶が無くなっている方が不自然だ。」
慌てふためくリアネスを後ろから支えてやりながら、セテは努めてゆっくりと言った。
「ねぇ、もし見つかったとして、魔女は私たちに危害を加えると思う?」
イルアンはその言葉に一瞬だけ瞳を揺らしたが、雑念を打ち払うように首を振った。
「その賭けは、最終手段だな。リアネスの慌て具合に、ここは流されてみよう。」
実際に魔女と対峙したことがあるリアネスと、そうではないセテ。どちらの反応に沿って動くべきかは、明らかに思えた。
他に手は無いか。周りを見渡したが、隠れられるような場所も無い。地下に飛び込んでも、狼たちが告げ口すれば、すぐに露見してしまうだろう。
「ん?」
そのとき、イルアンは台座に戻った二匹の狼が、落ち着きなく互いに目配せしているのに気づいた。よく見ると、少し震えてもいる。なるほど、これは。
「リアネス、ちょっと良いか。」
そう言って、イルアンは腹案をリアネスに耳打ちした。イルアンの仮説が正しければ、これでしばらくは時間が稼げるはずだ。
「でも、地下まで魔女が追ってきたら?」
「今できるのは、地下に潜った先で、また隠れ場所か抜け道を探す。これが精一杯だ。さ、早く。」
イルアンの言葉に、リアネスは何度も目を瞑りながら細かく頷いた。そして必死で狼言語を組み立てると、紫のパアラに向き直って、言った。
『お前、台、丸、乗せる、教えた。』
『お、教える、無い』
ぱちりと音がしそうな瞬きを見せて、紫の毛並みが狼狽えた。
交渉相手にパアラを選んだのは、比較的口達者で余計なことを言わなそうだからだ。水晶のことを口走ってしまったお調子者、青のソウマには、魔女への報告では黙っておいてもらおう。
『お前、私、隠す。私、お前、秘密。みんな、幸せ』
リアネスの提案に、二匹の狼は目を見合わせてカクカクと頷いた。三人の家宅侵入者は、それを合図に地下への階段へと飛び込んで、素早く、しかし音を殺しながら扉を閉め、階下から鍵を掛けた。
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手のひらを上に向けると、書棚の脇にある箱から一冊の本が浮かび上がって飛来し、その手の上に収まった。
まったく、せっかくくれてやろうと思ったのに、受け取らずに置いて行ってしまうとは。
「お堅いのぅ。」
こうなっては、何としても押し付けてやらねばならない。ナユタは敷物に腰を下ろすと、膝に乗ってきた黒猫の顎を撫でた。
『ニャユタは、判ってにゃいにゃ』
『ふむん?』
手元で鳴いた猫の意識に波長を合わせて、ナユタは苦笑した。
魔狼でもない限り、人間が思う言語体系のような形で思考している獣は少ない。だから、この黒猫の思念を読むときに語尾が妙に間の抜けた形で変換されるのは、ナユタ自身の猫への印象が色濃く反映された結果である。
聞き取りづらいので、自分の脳内を書き換えてやろうと思ったこともあったが、そうこうしているうちに愛着が湧いてしまい、もう十年もこのまま付き合っている。
元は人里で育った普通の猫だから、もう寿命まで何年も無いだろう。
自身より遥かに短い時間を生き、遥かに老いているこの猫を、ナユタは敬意をこめて長老と呼んでいた。
『ニンゲンは、疑い深いし、臆病にゃ。人んちの本一冊持ち出せにゃい。』
『では長老なら、どうやって人間にモノを与えるのじゃ?』
『ヤツラが、安心してモノを受け取れる方法が、一つだけあるんにゃ。』
黒猫は、丸い瞳の奥を爛と光らせて鳴いた。




