魔女の館
水晶工の青年は妙に鋭いと買っていたのだが、意外と気づかれないものである。
『昼間じゃったら、さすがに影で気づかれたじゃろ。夕方で助かったわい。それにしても「絶対に会う」とまで言われては、もう出て行けぬではないか。』
久方ぶりの来客を、上空から人知れず出迎えた伝説の魔女ことナユタは、離れに降り立って青い狼の毛並みを撫でた。明らかに自分より大きいその獣は、体を地面に這わせてナユタが撫でやすいように頭を差し出している。
『ナユタ、気づいて欲しかった。ナユタ、かわいそう。』
『のう、お前もそう思うかえ。霧を抜けてくる猛者どもなのじゃから、少しくらい、わらわと話す義理を果たしても良かろうに。』
目くらましの結界が揺らいで、紫の毛並みが獲物をくわえて飛び込んでくる。足元に放り出されたのは蛇に似た魚で、そのままでは食えそうにない。
『ばんごはん!』
調理しろといわんばかりに、紫の狼は尻尾を振った。
『美味しそう。美味しそう。パアラ、お手柄。』
青が喉を鳴らして紫にじゃれつくと、二つの巨体が起こす衝撃が地揺れとなってナユタの尻を痛めた。
こういう時は、あれだ。
『お座り。』
よし、おとなしくなった。
二匹は魔狼の雌雄である。青の毛並みが、雄のソウマ。紫の毛並みが、雌のパアラ。
もう百年も前の話だが、森で彷徨っていた二匹の子狼をナユタが拾って名付け、力を与えた。暇つぶしのつもりで、人間と魔狼の両方が理解できる『狼言語』を教え込んでからは、ナユタは話相手に不自由しなくなった。高度な知能を持つ魔狼は、じつにおしゃべりな同居人である。
『それにしても、飛竜は別格じゃな。自らの言葉を持ち、語彙も豊かじゃ。人間には理解できぬ言葉も多い。』
ナユタは両手を広げて魔狼を招くと、力一杯その毛皮を抱きしめた。
『夕飯は、客人の様子を見てからとしよう。』
腕の中で二匹の狼がみるみる縮み、子犬ほどの大きさになる。ああ、この大きさも愛らしいのう。そう呟いて、銀髪の少女は青と紫を結界の外へと送り出した。
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落ち着かない。
イルアンはしきりに首を左右に振って、些細な物音も聞き逃さないように耳を澄ませた。
「竜脈に導かれたと言えば、他人の家に無断で入っても許されるものかなぁ。」
島の地上部は中心に向かって傾斜がついており、それを登り切った先に目当ての館はあった。島の外周を一望できるその場所は、いかにもこの島の一等地だ。
「戸を叩いても、応えが無いんだもの。長く不在にしているのかも知れないわ。じゃ、開けるわよ?」
セテが強気を装って先頭に立ったものの、最後のところで逡巡する。
「恐ろしい魔女の家よ。見つかれば、エマーヴァみたいに腕を落とされてしまう。急がないと!」
痺れを切らしたリアネスが、年長者二人の横をすり抜けて扉の前を代わり、ぐっ、と取っ手に力を込める。しかし、力一杯押しても、扉はびくともしない。
「さ、さすがは恐ろしい魔女。魔法の扉ね…!」
腰に手を当てて鼻息を荒くしたリアネスが可笑しくて、セテは少し気が楽になった。
少し注意してみれば、足元に擦れた跡がある。
「そんなにすごい魔女なら、とっくに私たちがここに居ることくらいばれているわよ。ほら、これで開いた。」
リアネスが懸命に押していた扉は、取っ手を引くとあっさりと開いた。それと同時に頭上から金属音が降ってきて、今度はセテが反射的に防御姿勢を取る。
「落ち着いて、ただの鈴だよ。魔法じゃない。」
イルアンが扉を支えて二人を先に通し、最後に建屋に入り込む。ゆっくりと扉を閉めたつもりだったが、最後のところで小さく金属が当たり、室内に軽く余韻が残った。
「…静かだな。」
立ち止まって室内に見とれている二人の背を支えるようにして、イルアンは進行を促した。
小ぎれいに整えられた板張りの屋内は西の方を奥として円形に広がっており、大きな獣の毛皮が敷かれている中央部分には謎の光源が浮いている。入口から見て左側の棚には、壁面に沿ってびっしりと本が並べられており、不揃いな背表紙が家主の大雑把な性格を表しているような気がした。書棚の下には、巻いただけの書物が乱雑に入れられた箱が置いてある。
「すごい。父様の部屋にだって、こんなに沢山の本は無かったわ。一生掛かっても、読み切れないかも。」
先頭のリアネスが書棚に引き寄せられるように進むものだから、残る二人も自然とその後について行く形になる。
「あら?」
ぽとり。部屋の中ほどまで歩いたところで、一冊の本が前触れもなくセテの前に落ちてきた。
『ンニャ。』
短い鳴き声を振り仰げば、本棚の上の狭い隙間で、黒い毛並みの猫が誇らしげに尻尾を振っている。棚にはそれらしき空隙はないから、あの猫が棚の上から落としてきたのだろう。
セテはそれを手に取ってパラパラとめくったが、すぐにそれをリアネスに差し出した。
「うぅん、私には読めないし、どこの言葉かもわからない。リアネスだったら、初めて見た文字でも読めたりしないのかしら。」
受け取ったものの。リアネスは首を振って目を伏せた。
「村にいるときに試したけど、全然だめ。言葉は判るようになっても、文字は読めないの。音の意味が判るだけみたいで。って、あれ?」
表紙に目をやったリアネスは、早足で部屋中央の明かりの下へと向かい、腰かけることも無く貪るように表紙をめくった。
「読める。」
ぽつりと言葉に出すと、腹の底から震えが沸き起こってくるのがわかった。中央大陸の文字。いわゆる伝承の類いで、いかにも古めかしい言い回しが続いているが、わかる。読めている。
「読めるわ!ああ、どうしましょう、きっとあの魔女は中央大陸から渡ってきたんだわ。もしかしたら、私と同じように飛竜に乗って…」
夢中で二枚目をめくったところで、イルアンが少女の口元に手をかざした。
「静かに。家主が戻ってきたら、逃げ場がない。それに君のお目当ては、きっと向こうの部屋にある。本当は俺も色々調べたいんだが、今は先へ進もう」
そう言って、入口とは反対側へ顔を向き直らせるように、軽く力を込める。視線の先に鎮座しているのは、複雑な幾何学模様が描かれた小さな扉。リアネスは一瞬ためらう素振りを見せたものの、渋々という体で本を棚沿いの箱に入れた。
『ンーニャ。』
棚の上で、また黒猫が鳴いた。どこか不満そうに聞こえたのは、気のせいだろう。
「ねえ、この本、持って行ったらだめかしら。魔女の飼い猫が、目の前に落としたのよ。何か意味があると思わない?」
セテの言うことにも一理あるが。
「やめておこう。万が一見つかったとき、盗っ人扱いされたら話も聞いてもらえないよ。リアネスの説明を聞く限り、かなり容赦ないお方のようだし。」
笑ってごまかせるようにしておかないと。明るい調子でそう付け加えて、イルアンは奥の扉に向かった。
「昨日から冒険家を自称しているけど、彼、絶対向いてないわよ。こんなところで妙に常識人ぶっちゃって。」
不満そうなセテのつぶやきに頷いて、リアネスは自称冒険家が開けてくれている扉へと急いだ。




