死地の拍
金属製の剣で仮仕立ての木壁を壊すのは、そう難しくは無い。ほつれた先から、イルアンが板を打ちつけてはいるが、突破されるのは時間の問題だ。
「せめて、一人でも…!」
リアネスは咄嗟に窓から身を乗り出して、入り口付近の兵に狙いを定める。しかし、
「ひっ!」
ヒュッ、という音と共に、下の窓枠に矢が突き立った。ネリネがその服の裾を持って、死角に引きずり戻す。
「落ち着いて。慌てたら、敵の、思う壺。今、あなたは、王女。」
「で、でも、このままじゃ!」
ネリネはリアネスの髪を撫でて、優しく笑った。
「ここは、狭い。しばらくなら、二人くらい、守れる。」
「え…?」
ひときわ大きな音がして、階段が突破されたことがわかる。イルアンは二人がいる部屋まで飛んで戻って来たが、扉の補強に使える資材は既に尽きている。
「下がっていて。」
イルアンとリアネスが窓側の壁に張り付くと、同時に追手の髭面が扉を開けて駆け込んでくる。
「王女殿下、お迎えに上がりました。なんてな。」
髭面はずかずかとネリネに近づくと、その細い腕をぐいと掴んで顔を寄せ、その頬に温い息を吐きかけた。その後ろで、パタンと扉が閉じた。
「これで戦も終わる。俺は大功を引っ提げて故郷に帰れるってわけだ。」
ネリネは目線だけを男にやって、
「ああ、気の毒に。」
と呟いた。
「何?」
男が首を傾げたと思うと、慣性を保ったように顎が真横を向き、そのまま前向きに床へと落下した。広がっていく血溜まりの源を辿れば、首筋にひと突き、小さな穴が空いている。
なんと、恐ろしい…!
息絶えた男の虚ろな瞳から、リアネスは思わず目を背けた。その僅かな間に、ネリネは襲撃者の体を、扉が開いた時に死角となる位置に隠してしまう。
「さあ、もっと、怯えた表情を、演じて。」
振り返ったネリネの衣服もまた、赤く血塗られている。こんなにあっさりと人が殺されるのを見るのは、リアネスもイルアンも初めてだった。心底怯えて固くなった二人の表情に、ネリネは合格だとばかりに頷く。ギィと音が鳴って、今度はゆっくりと、三人の追手が扉を潜る。
扉が一人でに閉まる直前、リアネスは部屋の隅でティックが光るのを見た。そうか、風圧で扉を閉めていたのか。
「王女殿下、どうか無駄な抵抗はおやめ下さ、い?」
ネリネがまた、瞬く間に三人の生を奪った。鎮痛な顔をしたリアネスに、ネリネは淡々と言った。
「何も思わない、わけじゃない。」
「判ってるわ。こうしなければ、殺されるのは私たちの方だもの。判ってはいるの。」
扉の前に遺体を突き出し、手首を切断して窓から投げる。さらにそれを数回繰り返すと、ついに目前の軽い、薄い扉は開かれなくなった。外に集まっている追手の数は時間と共に膨れ上がり、小屋の中にも十人を超える兵が入り込んでいるにも関わらず、最後の扉だけが、重く立ちはだかっている。
次の一手は、扉を外してくるか、煙でいぶり出してくるか…いずれにしても、それなりに準備が必要になる。
(時間は、稼いだ…!)
しかし、追手の恐慌がいつ収まるかも判らないから、気は抜けない。三人はじっと扉を見つめながら、身を寄せ合って息を詰めた。
(一拍一拍が、なんと長い。)
そう思ったとき。
「いち、に、さん、」
ネリネが小さく数を呟きはじめた。イルアンとリアネスは当惑したように目を合わせたが、やがてどちらからともなくネリネに合わせて数を唱え始めた。すると、不思議と雑念が薄れ、呼吸が楽になる。三人が声を揃えて、千を数えたころ。ついに、森の向こうから、絶望を切り裂く角笛が響き渡った。




