最後の懺悔
9月も終わりになると、帝都も夕暮れが早くなり、急速に秋めいて来ます。
私が新米司祭としてここ、帝都中央教会に赴任してはや2ヶ月が経ちました。
思い返しますと、昨年の冬に巡礼を終え、テルツ修道院に戻り、助祭の地位をいただきました。
通常、3年の修行を終えた者は修道士若しくは修道女となりますが、私のように10年修行した者は男女を問わず助祭となります。
そこで、次の配属先が決まるまでの間、修道院で後進の指導などを行っておりましたが、今夏の人事により、帝都中央教会に配属となり、司祭となりました。
何でも、中央教会に転属する際は、昇任するのが慣わしなのだそうです。
まあ、新米が中央教会に行くこと自体、異例だそうですけど。
そして、ここで日々のお勤めをしているのですが、10月1日付けで、司教に昇任させると枢機卿様から内示をいただきました。
もちろん、教会内の様々な事情で昇任や降格はあり得ますし、私より若い司教もいるにはいますが、私の場合は、家柄などに起因する忖度が働いたと感じています。
本心としましては、司祭として地方に赴任し、信徒と相対して救済を行うことこそ理想でした。司教だと、中々庶民の方をお相手することが難しくなってしまいます。
これからも、こういったお勤めは、可能な限り続けていきたいと考えておりますが、機会が激減してしまうのは間違いありません。
そういう意味では司祭として最後のお勤めとなる今日は、私にとって一つの大きな節目になります。
今日は午後から、この小さな礼拝堂に入り、皆さんの懺悔に立会い、信徒の苦悩に向き合っておりましたが、既に日は大きく傾き、窓から差し込む茜色の弱い光と、堂内の深い影が一日の終わりを知らせております。
先ほどの方が最後だったのかと思っておりますと、扉が静かに開かれました。
どうやら、この方が私にとって最後の告白者のようです。
「神に救いを求める者よ、お入りください。」
「はい。」
静かに歩み寄ってくる女性。年の頃は中年、いいえすでに初老の域に達しておられるでしょうか。
酷くやつれ、額に深く刻まれた皺は、彼女のこれまで人生が苦難に満ちていたことを示しています。
「では、本日の御用の向きをお伺いいたします。」
「神に許しを乞いにまいりました。」
「承知いたしました。では、私、シスターフローレンスが立会人となり、あなたの神への懺悔を見届け、できうる限りの手助けをして差し上げましょう。」
「ありがとうございます。どうか、よろしくお願いします。」
実は、助祭になった時点で私はもう、シスターではありませんが、今日まではシスターとしてお勤めをしてまいりました。
それにしても、跪くまでの所作から推測するに、元はかなりの身分の方なのでしょう。
少しでも彼女の救いに、私が役に立てれば良いのですが。




