リンツ家の歴史
昨夜は開き直って早く寝た。
朝は来たが、令和5年は来なかったので、落ち着いた気分で白湯をいただいている。
たまにはこんな朝もいい。
そこで、当家のこれまでの歩みを振り返ってみた。いや、そこでって何が?
当家には350年近い歴史がある。
これは家史が書斎にあったので間違いない。
貴族としての初代はジャンという人物で、この人は最終的にウェーヌ王国子爵にまでなったそうな。
我が先祖にも有能な者はいたのである。
ちなみにであるが、父ミハエルは貴族としてのリンツ家第25代当主である。
ということで、リンツ家も領民も厳密にはエル=ラーン人と言えるが、元々近隣部族との混血はかなり進んでいたようで、正直、帝都の人と見分けは付かない。
また、言葉も「エル=ラーン訛りが酷いグラーツ語」扱いである。
もちろん、この時代に帝国はまだ存在していない。
変化があったのは帝国歴126年。アレッサンドロ家、いや、現アスラン家がウェーヌ王国に対しクーデターを起こし、結果、エル=ラーン王国を建国した時だ。
この際に帝国は反乱軍に荷担し、派兵した。
帝国北東部はこのとき占領したものである。
当然、この地にも帝国軍が進軍してきたが、リンツ家は戦わずして降伏した模様。
そして戦後、エル=ラーン王国から謝礼として帝国に割譲された地に、リンツ領が含まれていたことで、当家は無事取りつぶされる事無く帝国貴族となった。
更に、当時の当主は何故か時の皇帝アルベルトⅡ世にいたく気に入られ、編入と同時に伯爵に昇進する。
ところが、功なき昇進に諸侯の反発は強く、耐えかねた皇帝が「名は伯爵、されど実は子爵」と、なんかカッコイイ台詞をポロッと漏らしたことで沈静化したそうだ。
そのおかげもあり、今もって「准伯爵」とか「子爵並」などと陰口を叩かれる比較的新参者がリンツ家なのである。
まあ、領地も財政基盤も子爵並なのはそのとおりではあるが、国内の影響度や貢献度は極小のくせに、悪目立ちしているというのが正直な所である。
ただでさえ財政基盤が弱く、伯爵家としての家格を維持するのに苦しんでいたようであるが、当家の財政が大きく傾いたのは祖父の代であり、帝都やロスリーの邸宅も当時のものである。
夫婦ともに大変な浪費家であったらしく、激怒した父がクーデターまがいの実力行使で両親を帝都に追い出し、当主の座についたらしい。
祖父母は帝都隠棲後、すぐに相次いで亡くなったそうであるが、原因は分からない。
ちなみに、祖母は有力騎士爵サッツ家の出身でセバスチャンの姉に当たる。
セバスが平民籍で、サッツ姓を名乗ってないのも多分、この辺りに原因があると考えている。
また、サッツ家も有力という割に冷遇されているような気がするのも多分、気のせいではない。
当家にも歴史あり、というお話。




