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烏の聲は聴こえない

作者: 碧井牡丹

私が28になるその日、交通事故に遭った。

病棟ですることもなく、月明かりだけがぼんやりと光る真っ黒な窓を眺めながら、私がまだ15になる前のことを思い返していた。

当時、若く、綺麗な女性がピアノの講師をしてくれていた。

その日、私はいつものように両親に送られて彼女と歩いて稽古場(先生の家)に向かっていた。

彼女は空を見て「烏って面白い声で鳴くわよね。」と楽しそうな表情で呟いた。

「何が面白いの?」

「何と聞かれるとわからないのだけれど、何か生命の神秘とでも言うのかな?そういう人間には理解できないような魅力を感じるの。」

「何それ」

よくわからないことを言う彼女に私はぶっきらぼうに言った。

私に美術的なことはよくわからなかった。

ピカソの絵を見ても「絵が上手いなぁ」、モーツァルトの曲を聞いても「迫力があるなぁ」。

そういう子供らしいと言えば子供らしい、浅いと言えば浅い。

そういうことしか思わなかった。

それでもこの道で生きてる人にとっては烏の声1つ取っても美的な感性が備わっていて凄いな、と当時の私は子供ながらに感心していた。

「そうだ。ハルくん(私の当時のあだ名)に見せたいものがあるの。」

「見せたいもの?」

「そう、私の中学生のときの美術の先生の絵。私が悩んでいたとき、あの人には随分と世話になったのよ。」

こんな楽天的な先生にも悩んでたときなんかあったんだ、と失礼なことを考えていた。

「私昔ピアノがあまり好きになれなくなった時期があってね。当時から信用してたその先生にそれを打ち明けたら、お前音楽やめろ、って。」笑いながら彼女は言った。

「その時の私は何でそんなこと言うんだろう、こんなに頑張ってるのに、何でこれ以上苦しめるようなこと言うの?って思ってた。でも気持ちは何故か楽になった。なんというか、厚い周りの期待とか、今までの成績からくる高いハードルとか、そんなもの気にしなくて良いんだ、って。」

「でも先生、ピアノやめてないじゃん。」

「実はその時一回、ピアノやめてみたの。親の反対押し切って、自由になれたと思った。でも、実際は違った。ピアノが弾きたかった。そんなある日我慢できなくなって、近くに住んでる友達の家のピアノを弾きに行かせてもらったの。そしたら、予想外のことが起きてね。」何だと思う?と言わんばかりに私の目を見てきた。

さすがに何もわからなかったので「何があったの?」と聞いた。

「実はね、その友達のお父さんが当の美術の先生だったのよ。びっくりしちゃって。」

「びっくりするというか、気まずかったんじゃないの?」

「それがね、その先生はピアノを弾きに来たと知って、思う存分弾いていけ、って感じでもてなしてくれて。勿論、意外だったよ。だから聞いてみたの。なんであの時音楽やめろなんて言ったの?って。」

「そしたら、なんて?」

「俺はお前がずっと好きだったピアノが嫌いになるのを見たくなかった、って。どうやら自覚していた以上に追い詰められてたらしくて。その時にくれたのが、今から見せようとしてる絵なの。」

そんな話をしている内に、稽古場についた。

「ちょっと待っててね。」

そう言って先生はピアノのある部屋とは別の部屋に入っていった。

少しするとすぐに先生が出てきた。

「はい、これ。」

先生は私に、おおよそ私の背丈と同程度の額縁を渡してくれた。

私はその絵を見たとき、高揚感とでも言うのだろうか。

そういった類いの感情を抱いたのを覚えている。

「これ、あげるわよ。」

「いいの?大切な絵なんじゃないの?」

「いいの。これからの長いハルくんの人生で行き詰まった時、この絵を思い出して、前を向いて生きていってほしい。」

烏の群れ…そんな題の絵だったか。


…ふっと病棟の電気が消えた。

気が付かなかったが、数分前にナースが消灯を知らせに回ってきていたようだ。

無音のベッドに横たわる。

あの日見せて貰った絵はどんな絵だっただろう?

また帰ったら見るか。

また窓を覗けば、月を逆光として烏が私の目に写る。

あの烏はどんな声で鳴いているんだろう。

自分が弾いたピアノの音をまた聞きたいな。

先生の声ってどんなだったか。

また話がしたいな。

もう叶わない願いを心の中で唱えた。

だけど不思議と悔しさはない。

かのベートーベンは、28にして難聴になっていたそうだ。

今の私と同じだな、とか、楽天的なことを考える。

烏の聲は、もう聴こえない。

それでも、心は穏やかである。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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