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5 烏道士は亡くなった妃の部屋で神画を眺めたい

◇◆

 索 香雨が事故で亡くなった池は、すぐ見に行っても良いと許可が出たが、一番肝心な最初の妃、文 夕李の部屋に関しては、難航した。

 理由は明白だった。

 その部屋は既に、新たな文淑妃。夕李の妹である朱瑛(しゅえい)が使用していたからだ。

 先日、明蘭のもとを訪れていた皇太后は、朱瑛の体調が芳しくないという話をしていったらしい。

 ――もっとも。


(陛下は隠れていたらしいけれど……)


『どうせ、私が隠れていたことなんて、あの人にはバレているんだ。その上で、見舞いに来いと唆している。逆に、何の罠だろうって怖いよね?』


 そんなことを、おどけて話していたが、目は笑っていなかった。

 だけど、皆に恐れられている死神皇帝が、皇太后を避けているというのも、変な話だ。


「やはり、陛下の仰っているとおり、索徳妃は不慮の事故の可能性が高いみたいね」


 七日後、吉日の早朝、人払いをして、索徳妃が亡くなった鴛鴦池の辺に造られた東屋で、晨玲は慰魂の儀を行ったのだが、特に何も感じなかった。

 良からぬものの場合、多少、感じるものだが、それが一切ない。

 何も感じない場合、死者は冥府に旅立った可能性が高い……と、叔父である師匠は教えてくれた。

 未泉も分からないと話していたし、きっと、実家で懇ろに弔われて、あの世に逝ってしまったのだろう。

 夕李と索徳妃の怨念が結びついて、皇帝を脅かしているわけではなさそうだ。


「索徳妃様に関しては、思ったより、早く結果が出たわね。二人がつるんでいると浄霊も厄介だったけど。これで、文淑妃様をどうにかすれば、事件解決! やはり、一刻も早くこの件を解決して、廟に来いと、神様が私を呼んでいるのかしら?」

「いや……。俺は益々面倒になっていると思うんだが」


 朱雀宮では、男であることを隠すため、殊更、口数を少なくしている未泉だったが、さすがに黙っていられなかったらしい。語調が厳しかった。


「未泉は悲観主義者ね」

「現実主義者だと言ってくれ。大体、毎日のように、あんたの処に陛下が通って来るんだぞ。しかも、何か楽しそうだし」

「それは、信頼関係を築くために、私が陛下にお願いしたことで……」

「その割に、あんたもまんざらではなさそうだぞ?」


 ――確かに。


(少し、私も楽しんでいるのかもしれないけど。でも、これは仕事だし)


 霄風は激務の合間を縫って、毎日、晨玲のもとにやって来る。

 仕事の進捗状況の確認と夕李の出現状況が主な話題だが、晨玲の趣味の話にも、霄風は付き合ってくれた。

 元々、晨玲の鳳国神話好きは半端ではなく、話題の分かる人はごく少数しかいないのだが、そこはさすがこの国の皇帝。霄風は神話についても博学だし、先祖のことだからか、晨玲の知らない知識まで持っているようだった。

 これほどまでに話せる同士はいないと、晨玲は喜んでいたが、未泉は別の意図を感じているらしい。

 たとえば、晨玲を気に入っているのではないか……とか。


(……て、余計なこと考えてどうするのよ)


 晨玲は頭を横に振って、真顔を作った。


「陛下は、私に早くどうにかするよう、急かすために、毎日いらっしゃっているのよ。……私たち、監視されているの。だから、いち早く陛下のご期待に応えて、私は皇城廟巡りに行かなければ」

「結局、それかよ」


 祭壇の撤収作業をしながら、未泉が欠伸をしていた。


「あんたの好奇心には、危険という概念はないのかね? ……いや、あんただけじゃないな。俺以外、皆、おかしいんだよな」 

「失礼な。私はともかく、陛下だって、明蘭様だって……」


 ――と、そこまで言いかけてから、晨玲は自分の目を擦った。

 鴛鴦池の東屋。

 少し高台に造られたその場所付近から、索徳妃は足を滑らせて、池に落下し、溺死した。

 今日は見晴らしが良かったが、この場所はよく霧が発生するそうだ。

 霧の影響で、索徳妃は誤って池に落ちたのではないか……と、耳にしていたが。


(確か、あれって文淑妃の住まいよね?)


 ――暁和(ぎょうわ)殿。

 おぼろげに見えている豪奢な殿舎。

 期待されて後宮入りをした文淑妃は、鴛鴦池の南西の畔に、広大な暁和殿を用意された。


(生前、文淑妃と索徳妃は交流があったらしいし。妹の朱瑛様が入宮したのは、索徳妃が亡くなった後だったわね)


 視力が抜群に良かったら、もう少し何かを感じることも出来るのかもしれないが……。


「うーん。もしかしたら、索徳妃は、視てしまったのかもしれないわね?」

「文淑妃を……か? それで驚いて、足を踏み外して、池に落下。そんなこと……」


 即座に否定しようとしてから、未泉は頭を横に振った。


「いや、有り得ないわけでもないか」


 理不尽な死は、間々あることだ。

 けれど、索淑妃は、今生に恨みなく、あの世に逝くことが出来た。

 それが、せめてもの救いだった。

 陰鬱な空気が立ち込める中、背後から肩を叩かれて……。


「うわ!?」


 晨玲は、腹の底から叫んでしまった。

 怯えきっている晨玲を前に、すっかり青ざめてしまったのは、霄風の方だった。


「あっ、いや……。今のは、私が悪かった。驚かせたね」

「幽霊は怖くないですが、背後に立たれるのは怖いです」

「嫌だな。いくら何でも、突然、殺しになんて来ないよ」


 満面の笑みで言い返されたが、逆に問いたかった。

 ――突然でなければ、良いのか?


「朝早くから、二人共、ありがとう。……で、何か感じるものはあったかな?」


 後ろで控えている大勢の宦官に、下がるよう顎で命じながら、霄風が問いかけてきた。


「特に何も起こらず、感じないので、冥府に逝かれたのだと」

「そうか」

「陛下のところは、大丈夫でしたか?」

「ああ、君の持たせてくれた御守りのおかげで、夕李も落ち着いてくれているみたいだよ」


 効果があったみたいで、良かった。

 晨玲が身に着けている道士専用の万能御守りを、霄風には手渡していたのだ。


「ですが、陛下。一時的に凌いでいるだけなので、文淑妃様の件は、必ず、どうにかしないといけません」

「そうだね。その件に関してだけど、これから、文淑妃の部屋に行くことが出来そうだよ。それをすぐに、私の口から晨玲に伝えたくてね」

「急転直下ですね」


 驚いたのだろう。珍しく、霄風の御前で未泉が喋った。


「ああ、君達のおかげだ」

「はっ?」


 どうして、そうなるのか?

 しかし、霄風は平然と、恐ろしいことを口走ったのだ。


「先日、君たちの部屋に烏の死骸を置いた女官を捕まえてね。誰の指示でこんなことをしているのかと、問い質してみたんだ。ほら、彼女達は君たちが朱雀宮で明蘭に会った後も、嫌がらせをやめなかったでしょう」


 ――まあ、それは霄風が来訪した時に、話の延長でさらっと触れたことはあったけれど。

 別に、復讐してくれと頼んだわけではない。


「さすがに、彼女たち、嫌がらせにしてもやりすぎでしょ。黒幕がいるって、確信していたんだよ」


 結果的に話して良かったのか否か、分からないまま、しかし、晨玲は訊かずにはいられなかった。


「黒幕って、まさか?」

「そう、朱瑛。今の文淑妃。彼女がやらせていたんだ」

「なぜ、またそんなことを?」

「彼女、道士が嫌いみたいでね。夕李の葬礼をした道士がいけすかない輩だったらしい。……彼女は誰に吹き込まれたのか、夕李が死んだのは、私が殺したんだと思いこんでいる。姉のことが好きだったんだろうね。……酷く、錯乱していた」

「陛下自ら取り調べられたのですね?」


 疲労感たっぷりに、霄風が語ったので、同情よりも、恐怖の方が勝ってしまった。


 ――一体、どんな尋問をしたのだろう?


「全部私が招いたことだから、責任は取ろうと思ったんだ。朱瑛に関しては私が考えなければならないことだけど、女官に関しては君に一任しても良い。生かしてはいるけれど、君達が望むのなら……」

「いやいや。望みませんよ。何も」

「そう? それなら良いけれど。正直、そういうことだから、夕李が化けて出て来るのは、朱瑛が仕掛けた可能性が高い。彼女から聞き出せば、浄霊も必要ないのかなって思ったのだけど」

「うーん。否定も出来ませんが、肯定もできませんね」


 姉の復讐のため、朱瑛が霄風に呪いを掛けた?

 辻褄は合っている。

 けれど、素人が容易に呪術など出来ない。それこそ、背後に呪術師がいるはずだ。


(道士が嫌いなのに、呪術師に頼るものなのかしら?)


 しかも、皇帝の命を脅かすような呪術を、皇城で行ったのなら、霄風や後宮内に、何らかの痕跡が残るはずだ。

 ――けれど、その気配を、晨玲も未泉も、一切感じない。


『はい、仕事終了。お疲れ様』という顔を、未泉がしている。

 まだ未解決だと分かっているのに、彼が撤収しようとしているのは、この仕事が自分達には荷が重いと考えているからだ。

 適当に言い訳を作って逃げて、皇帝から再度お呼びがかかったら、呪術に特化した道士を紹介すれば良い。


(でも、それだと……)


 晨玲は、夕李を見捨てることになる。

 皇城霊廟巡りは、どうするのか?

 悶々としている晨玲焚き付けるように、霄風が魔性の笑みを浮かべていた。


「ああ、でも、晨玲は文淑妃の部屋を見に行った方が良いかもしれないな」

「何かあるのですか?」

「ああ。生前、夕李が拝んでいた、神画があった。君はそういうの好きなんじゃないかな?」

「神画……ですって?」

「あれは、創生神話に出て来る気性の荒い女神で……」

「旭日三宝神女!」

「ああ、そう。それ」


 古い女神で、最近はあまり信仰されていない。滅多にお目に掛かれない、お宝ではないか?


 ――これは、是か非でも行かなければならなくなってしまった。


「ああ、何たること。神様が、私をお呼びだわ」

「鳳国の神画が好きなだけだろう。誤解を招く言い方をするな」


(ふふふっ。未泉め、好きなだけ暴言を吐きなさいな)


 この際、どんな罵詈雑言を浴びようと、晨玲は構わなかった。

 小走りで、暁和殿に向かう。

 忙しい霄風は、きっと誰かに後事を任せて、政務に戻るだろうと思っていたのだが……。

 霄風は、さも当然のように、晨玲たちの後について来た。


「あの、陛下。この手の物を鑑賞したら、私、正気を保てるか分かりません。また醜態を晒す前に、どうか、政務に戻って……」

「なぜ? 君が熱狂している姿は、とても可愛いじゃないか」


 ――今、この方は、とんでもないことを口走らなかったか?


「可愛い? 私が?」

「陛下、ちゃんとお休みになられた方が宜しいかと思います」


 すかさず、未泉が的確に突っ込んだ。


「いや、嘘じゃないんだけど?」


 霄風は真顔で答えながら、池に面した文姉妹の居室に、自ら案内してくれた。

 取り調べ中で、朱瑛は別の場所にいるため、部屋の中は無人だ。


(神様は何処?)


 ご神物は、南の方角に向けて、静謐な場所に祀るという決まりがある。

 豪華な調度品にも目をくれず、寝室の最奥に飾られた神画を目にして、晨玲は小踊りしそうになった。


「わあ、素晴らしい! さすが、文淑妃様。後宮に相応しい、逞しい女神の御姿です」


 蒼天を示唆している真っ青な背景に、格調高い丹色。中央の蓮台に坐している八臂の女神。この女神が拝まれた時代は、戦国の世だった。だから、八臂にそれぞれ古代の武器を持っている。当時は、戦に勝てるような激しい気性の神が好まれたのだ。

 ――しかし。


「これは……」


 暫くして、晨玲は目頭を揉みながら、下を向いた。


「陛下。この神画は、夕李様がお持ちしたものということで、宜しいですか?」

「えっ?」


 突然の質問に当惑しながら、霄風は真摯に答えた。


「ああ。それは分からないけど。彼女の存命時から、ここにあったことは確認しているよ」

「あまり、長時間ここにいない方が良いです」

「どうして?」


 霄風が、小首を傾げている。


「何だ、珍しいな。あんたがそんなことを言うなんて?」


 未泉も怪訝そうだが、心配している様子だった。

 ――話すと長くなる。

 晨玲は、両手で顔を覆いながら、ゆるゆると振り返った。


「陛下。私は、どうしても陛下のご寝所に行かなければならないようです」

「はっ?」


 その一言には、語弊があったらしい。

 霄風の耳朶が、微かに赤くなっていた。

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