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ブルー・コンソール

作者: 沢城侑

 都会の夜の喧騒に隠れるように佇む古い廃ビル。

 このビルは老朽化が進んで、どのフロアにもテナントは残っておらず、ビルとしての機能を果たさない鉄筋コンクリートの箱だった。


 そのビルの五階、うっすらと街の灯りが差し込む一室に少年は居た。少年の名は『瞬』。

 暗がりの中、打ち捨てられた机や倒れた書棚を、瞬は慣れた足取りで避けながら歩いていく。そして、窓際まで来ると、冷たいリノリウムの床にぺたりと腰を降ろした。


 窓の外の安っぽいネオンを、瞬は興味なさそうに一瞥して目を閉じる。

 そして、おもむろに顔の前で両の手の平を合わせた。それは日本古来より受け継がれる、神に祈る時の姿――合掌、そのものだった。


「オープン」


 瞬が口にしたのは祈りの言葉では無く、ましてや日本語ですら無かった。しかし、その言葉に呼応するように、瞬の目の前には、神の奇跡に似た現象が展開される。

 ゆっくりと瞬は合わせた手を離す。すると、両の手の間にうっすらと光る透明な板が現れた。それは紙のように薄く、さながらタブレット端末の表示部分だけが空中に浮いているようだった。


 瞬にとっては目の前の浮かぶ光る板は見慣れたものなのだろう。彼は表情を変えずにその板の表面に触れる。すると、何も表示されていなかった板の表面にアルファベットの羅列が浮かびあがった。

 それは、不規則のように見えて確固たる規格によって定められた配列――パソコンのキーボードの配列だった。


 浮かびあがったキーボードの上を、瞬の指が滑るよう動く。幾つかのキーを押した指は、大きめの矢印のついたキーを最後にポンと押した。

 今度は、瞬の顔の前に、手元のキーボードよりも大きく、大型ディスプレイのような大きさのスクリーンが現れた。そのスクリーンにはまだ何も触れていないのに、勝手に文字が流れている。何かの進捗を表すようなパーセント表示がその数値を上昇させている。


 数値が100になり、画面が切り替わると、瞬は指は再び手元のキーボードを素早く動きはじめた。すると、それに呼応するようにスクリーンの上を文字が洪水のように流れ始めた。

 床の冷たさに瞬が身じろぎした時だった。

 部屋の入り口近くで何かの物音がした。

 瞬はすばやく手元のキーを叩くと、キーボードとスクリーンは消えた。そのまま彼は身をかがめたまま、近くの机の陰に隠れた。身じろぎせずに耳を澄ますが、物音は聞こえずに部屋の中は静寂そのものだった。

 ――気のせいか。

 念の為に入り口近くを覗こうと、頭を出した時だった。


 スチール製のロッカーが飛んできた。


 瞬が慌てて頭を伏せると、ロッカーは彼の真上を通過して、そのまま壁で衝突する。

 静寂だった室内にひしゃげた鉄の箱が転がる派手な音が響き渡った。


「ざんねーん。ちょっと早すぎたか」

 軽薄そうな男の声が、入り口近くでした。瞬は物音を立てないように身体を強張らせる。

「あー、今さら遅いよ。そこに居るのはわかっているんだから。……『マジニア』くん」

 男は緩い口調でそう言いながら、ゆっくりと室内を歩いてくる。


「……あなたも『マジニア』ですか?」

 瞬は机の陰から問いかける。


「まぁね。てか、『今の』見たら、わかるだろ、そんなの」

「僕に何の用ですか?」

「いちいち、質問するんだね、君。それも、『今の』見たら、わかるだろ?」


 男の言う『今の』とは、飛んできたロッカーのことだろう。人間ではありえない力で飛ばされた鉄の箱と、そこに込められた明確な殺意。意を決した瞬は、立ち上がって言う。


「『マジニア』狩りですか」

 瞬が立ち上がると男と目が合った。銀縁の眼鏡をかけて、だらしなく髪を伸ばした痩せぎすの男だった。人に危害を与える風貌には見えないが、眼鏡の奥の瞳は嗜虐心を露わに怪しい光を放っている。


 そして、男の胸の前には、さっきまで瞬が操作していたものと同じような薄く光る板が浮いていた。


「君が悪いんだよ。こんなところで独りでいるから、襲ってくださいって言っているようなもんだよ。……てか、見ない顔だね、ひょっとして、ルーキー?」


「……そうですよ。まだなりたてなんです。見逃してくれませんか?」

 瞬は顔を下に向けて上目遣いで男に言った。

 男の顔に隠しきれない嗜虐心が溢れた。

 ――やっぱ、駄目か。


 瞬がそう思ったと同時、男の周囲にあった机やロッカーが無音で空中に浮き上がる。

 男の両手が空中に浮かんでいる光る板――コンソールの上を激しく動く。やがて、男は人差し指を一本掲げて言う。

「バーカ」

 男の人差し指がコンソールを叩いた。


 次の瞬間、空中に浮かんでいた鉄の塊たちが群を成して、瞬に襲い掛かった。

 その攻撃を予想していた瞬は走り出している。

「オープン」

 瞬の目の前にスクリーンが浮かび上がる。瞬はスクリーンの上を滑らかな手つきで指を滑らせる。

 上から大きな事務机が降ってきた。転がりながら瞬は避ける。転がった先の壁に背を預け後ろを見ると、最初よりも多くの鉄の塊が浮かんでいた。


 後ろは壁で、これ以上距離を取ることはできない。空中の凶器たちは瞬を中心に半円状に陣形を整えている。


「ま、恨むなら、自分を恨みなよ」

 男はそう言うと、指先で弾くようにコンソールを叩く。無数の空を切る音が瞬に襲い掛かる。そして、激しく鉄同士がぶつかる音や、硬質プラスチックの砕ける音が響いた。

 しかし、男の目には驚愕の光景が映っていた。

 瞬に目掛けて飛んでいった凶器は全て、彼の周りの見えない壁にはじきかえされ、派手な音を立てて床を転がっている。


 男の目が下卑たものから鋭い目つきに変わった。男はおもむろに傍にあったスチール椅子をつかむと、自分の手で瞬に投げつけた。椅子は先程と同じように瞬の前にある見えない壁で弾かれてしまった。


「……へぇ、今の挙動は物質操作じゃないね。その魔法はなんだい?」

 男は軽薄さの消えた冷たい声音で尋ねる。しかし、瞬は男を見据えたまま応えない。

「ふーん。教えたくないなら、いいけどね。まぁ、いいや。どうせ死ぬんだし」

 男は再び下品な嗤いを浮かべた。

 そして、両手を前に突き出し叫ぶ。

「オープン!」

 その声を合図に、男の周囲にいくつものコンソールが浮かび上がる。その数はざっと数えただけで十枚を超えている。その光景に瞬は顔を険しくする。


「驚いた? マルチコンソールの高速並列起動を見るのは初めて?」

 男の周囲のコンソールが一斉に光り輝く。後ろから透けて見える画面上には洪水のように文字列が流れている。そして、その起動結果は現実に顕現する。

 部屋中の――男と瞬を除いた――ありとあらゆる物体が空中に浮遊した。

 それはその全てが、男の『物質操作』の影響範囲であることを示している。

「数の暴力ってやつを見せてあげるよ」

 男は歪んだ口でそう言うと、コンソールに手を叩きつけた。


 空中に浮かんでいた浮遊する全ての物が、残像を残すかのようなスピードで飛翔する。それは部屋の空間全体が、瞬に向かって集束するかのような光景に見えた。

 そして、その光景は一瞬にて無へと変わる。


 瞬に向かって飛んでいったはずの飛翔体は、全て音も無く消えていた。


 男は光り輝くコンソールを羽衣のように纏ったまま唖然となる。

「え? な、なんだ、何が……」

 うわ言のように呟く男の周りに浮かぶコンソールが、一斉に表示を赤に変える。男はそれらを見て、驚愕に打ち震えた。

「操作対象、喪失……?」


 青ざめた顔で男は前を向いた。壁の前には、無傷なままの瞬が立っている。

 男は瞬の手元のコンソールに違和感を感じた。

 よく見ると、複数のコンソールが幾重にも重なっている。複数のコンソールを使うのならば、普通は横に並べるはず、そうでなければ肝心な表示が見えないのだから。重ねてしまえば、使い辛いなんていうレベルではない。それが男の違和感だった。しかし、男はある可能性に思い至る。


「まさか『階層型』? まさか、君、仮想多重起動を使っているのか!」

 慄然とした表情で男は叫んだ。

 しかし、瞬は応えない。彼の手元では塔のように積み重なったコンソール群がなにやら必死に処理を行っている。

 瞬は前髪をかき上げた。

「恨むなら、自分を恨んで下さいね」

 瞬の指がコンソールの塔を弾いた。


 突如として、何も無い空間から、無数の机やロッカーが出現した。それは、先程まで瞬に向かって攻撃を繰り返していた鉄の凶器だった。

 鉄の群は空中で再び半円状の陣形を組んでいる。しかし、その攻撃方向が瞬ではない、この部屋のもう一人の人物であることは明らかだった。

「物質操作じゃない。これは『空間操作』? だから、その為の仮想多重起動なのか!」


 男は叫ぶ。しかし、その声は雪崩のように押し寄せる鉄の猛威に掻き消されてしまった。

 無残な形となった机とロッカーが、男のいた場所で堆く山を成している。もうそれらは動く気配はしない。

 部屋中のものが一箇所に集められ、さっぱりとしたリノリウムの床を瞬は踏み鳴らす。


 彼は最後に振り返り、部屋の光景を無表情に一瞥すると、そのまま去っていった。


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