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第三話 あの日の手紙

「彼の住む村はN__県J__郡、——今はもうJ__市に含まれてるのかな……。その山奥には昔、吉美ノ村(きびのむら)と呼ばれる小さな村があったんだ。

 その村は本当に小さな集落で、あるのは数十軒の家と田んぼに畑、あとは見渡す限り山しかなかった。自然豊かといえば聞こえはいいけれど、とても人が住みたいと思えるような場所ではなかった。

 ——でもそんな村にも一つだけ、象徴的なものがあったんだ」

「象徴……ですか?」

「うん。東京都でいえば、東京タワーやスカイツリーみたいなものだよ」


 清三さんは空中で人差し指をクルクル回す仕草を見せた。


「村近くの山中には吉美ノ神社(きびのじんじゃ)と呼ばれる、これまた大層立派な神社があったそうなんだ。とても山奥にある小さな村には似つかわしくない、かなり豪奢な造りの神社。本殿近くには8畳ほどの大きさの蔵が複数あり、毎年その神社では祭りが開かれていたそうだよ。それに数十年に一度は大きな祭儀も行われていたんだとか」

「その神社は何を祀っていたんですか?」


 これは長くなりそうだと悟った僕は、とりあえずビールの入ったグラスは傍らによけ、湯呑みに入った緑茶を一口啜った。


 一息に神社といっても、祀られている神様によってさまざまな違いが出てくるものだろう。僕もそのあたり詳しいわけではないが、有名なものでいえば——。

 お稲荷さまを祀っている伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)や、天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀っている伊勢神宮(正式には神宮)など……。たぶん僕が知らないだけで、祀られている神様によって、神社も数多くあることだろう。


 だからそんな辺鄙な場所にあったという神社にはとても興味がそそられた。


 清三さんは再び宙に視線を彷徨わせると、不意に目をつむった。そしてこちらを振り返ると、


「この神社はね——」


 ニヤリと口角を吊り上げ、薄気味悪い笑みを作った。


炎神(えんじん)さまを祀っていたんだ」

「炎神さま……」


 炎神さまなんていう言葉を、僕は今の今まで一度たりとも聞いたことがなかった。


 炎と書くのだから、おそらく火にまつわる神様だろうことはわかるが、一体なぜその村では炎神さまなるものを祀っていたのか、理由がさっぱりわからなかった。


 不思議に思っている僕をよそに、清三さんは昔話を再開させる。


「で、話は少し戻るんだけど、その村は高齢化が進んでいてねえ。村にいる若い子は三人だけしかいなかったんだ。そのうちの一人が、さっきいった泉一郎くん。

 彼はこの吉美ノ村で育った父と、よそから嫁いできた母との間生まれた子で、この時彼は15歳で中学三年生だった」

「中学3年生ということは高校受験が控えた年ですね」

「うん、そうだね……」


 清三さんはしみじみ頷くと、上着の内ポケットをまさぐりタバコを取り出した。そしてその中から一本抜き取ると、100円ライターで火をつけた。

 彼は二回ほど紫煙を漂わせたのち、先を続けた。


「彼には同級生が二人いたんだ。洋介(ようすけ)くんと凪子(なぎこ)ちゃん。凪子ちゃんは普通の家庭育ちだけれど、洋介くんの方はこの吉美ノ村の村長である日内洋蔵(ひうち ようぞう)という人の一人息子だったんだ」


 ——洋介くんに、凪子ちゃん。それから洋蔵さん……。

 …………。

 ……ん?


 なんだろう……。

 彼らの名前を聞いた時、微かだが、何かが心の片隅に引っかかるような感覚がした。

 それはストンと落ちるべきものが、どこか出っ張りか何かにぶち当たった結果、鈍く落下していく。そんな、気持ちの悪い感覚が一瞬だけ……。

 …………。

 …………。


 ——いや、やはり気のせいだろう。

 彼らの名前に聞き覚えはないし、そもそも100年以上も昔の人に心当たりなどあるはずがない。


 僕はゆるくかぶりを振ると、改めて清三さんの話に耳を傾けた。


「彼らは幼いころから一緒にこの村で育った。学校はこの村にはなかったから、山一つ越えた先にある小さな学校まで歩いて通っていたんだ」

「山一つ越えて? すごいですね」


 驚きの声を上げる僕に、清三さんはタバコを挟んだ指で僕を差し、


「昔は自転車なんて高級品だったんだよ」


 と、なぜか誇らしげに笑った。


「まあそんな感じで、不自由ではあったが、彼らはそれなりに仲良く青春時代を過ごしていたんだ。——だけどそんなある夏の日、泉一郎くんの家に妙な茶封筒が届いたんだ」

「封筒、ですか?」

「うん。物自体はそんなに大きくない、ごくありふれたものだよ」


 清三さんは両方の人差し指と親指を九十度に伸ばし、封筒の大きさを示した。

 それは彼のいう通り、よく使われている大きさだった。


「その封書の宛先には泉一郎くんの名前が書いてあった。だけど差出人のところには何も書かれておらず、住所もなく、切手や消印もなかった。

 泉一郎くんは不思議に思いながらも、封筒を開けた。すると中には一枚の便箋が三つ折りにして入っていたんだ」

「…………」

「…………」

「……何が、書かれていたんですか?」


 清三さんがやけに間を開けるので、僕はたまらなくなり訊ねた。

 すると彼は短くなったタバコを灰皿へ押しつけると、


「手紙には一言、こう書かれていた——」


 細く立ち上る煙を名残惜しそうに眺めながら言った。


「『この村から今すぐ出ていけ』とね……」

「え……」


 清三さんの語る昔話の展開があまりにも予想外だったために、僕の思考は一時停止してしまった。


 ——この村から今すぐ出ていけ——。


 とても小さな村落でもらうような手紙には思えなかった。ましてや本人が住む家に直接送りつけるような代物でもないだろう。


「泉一郎くんは誰かに恨まれていたんですか?」


 僕は考えた末、一つ先を見越した質問を口にした。


 本当は誰からの手紙だったのかを知りたかったが、清三さんの口ぶりからおそらく結果をもったいぶりながら話しているのだろう。となれば、聞いたところで素直に教えてくれるとは思えない。

 だから僕は泉一郎くんへこの手紙が送られてきた理由を、まず訊ねることにした。


 清三さんはついぞ煙が立ち上らなくなった吸い殻から早々に見切りをつけると、懐からまた新しいタバコを一本取り出した。

 そして火をつけ、美味しそうに煙を吐き出した。


「少なくとも泉一郎くんには身に覚えがなかった。別に性格が悪かったわけでも、誰かに悪戯をするような子でもなかった。学校でも品行方正で、村でもみんなから好かれていた。だからこの手紙が届いた時には、彼も相当驚いたんじゃないかな」

「それならもしかして、手紙を送った本人が名前を書き間違えたとか? それか、人違いという可能性も……」

「いいや。封筒に書かれていた宛名は間違いなく彼の名前だったし、吉美ノ村は小さな村で家も少ない。民家が密集する住宅街ならともかく、こんな場所で送り間違いなんて、まずあり得ないよ」

「——なるほど、確かに」


 となるとやはりその手紙は泉一郎くん本人に宛てられたもので間違いなさそうだ。

 ではどうして、真面目な彼にそんな手紙が送られてきたのだろうか……。


「まあね。もちろんその人がどんなに真面目に生きていようとも、恨みを持つ人は少なからずいてもおかしくはないよ。でも泉一郎くんに至っては、本当に身に覚えがなかった。

 だから彼はとりあえずこの手紙を、無視することにしたんだ」

「まあそうですよね。僕でもそうすると思います」


 誹謗中傷……なのかはわからないが、いきなりそんな手紙が送りつけられてきたのだ。理由はともあれ、何かの間違いだと思う方が正しい。

 それに誰かの悪戯という線もある。となれば相手にする方がそれこそ送りつけてきた人の思う壺だ。


 こういったものを相手にする時は無闇に構わないが正解だろう。

 それにもしかすると、その手紙を送りつけた犯人は村でたった二人しかいないという彼の同級生……という可能性も十分に考えられる。

 彼らが普段からどのような仲で、どこまで許しあえる間柄なのかを僕は知らないから、こればかりは憶測にしかならないけれど……。


 とりあえずわかっているのは彼に手紙を送りつけられたという事実のみ。理由はまだ定かではないが、単なる悪戯ならば、そこに明確な目的がなくてもおかしくはないだろう。


「いっときは無視を選択した泉一郎くんだったんだけれどねえ。実はこの翌日、再び郵便受けを覗くと、中には昨日とまったく同じ茶封筒が入っていたんだ」

「またですか……」

「うん。その封筒の中にも昨日と同じ手紙が入っていて、書かれていた文章も同じ。だけど今度はそこへさらに、泉一郎くんを卑下する内容も書かれていたんだ」

「…………」


 僕は咄嗟に言葉が出てこなかった。


 ——この村から出ていけ——。


 この程度の内容ならば、まだ意味がわからないですぐに破棄できるが、相手を非難する内容が書かれていては何も感じないわけがなかった。


 学校でも品行方正で、村でも評判が良かった彼がどうして、このような手紙を受け取らなければならなかったのか。

 今となってはどんな内容が書かれていたのか知る術はないが、そんな手紙がこの先もずっと続くようならば、さすがに誰かへ相談するべきではないだろうか。

 今はまだ手紙程度ですんでいるが、この先いつか、彼の周辺で実害が出る可能性だってあり得る。


「泉一郎くんはこのことを、親御さんに相談したりはしなかったんですか?」


 清三さんは二、三度首を左右に振って否定した。


「泉一郎くんも年ごろの男の子だからねえ。こういったことを親御さんに相談するのは気が引けたんだろう。彼は両親には一切話さなかった」

「そうですか……」


 確かに彼のいう通り、このぐらいの年の子ともなれば、あまり親には相談しにくいものなのかもしれない。


 かくいう僕自身も、心当たりがあった。


 母を早くに亡くし、父だけとなった僕だけれど、不安や悩みを打ち明けることに相当の躊躇いを感じていた。

 僕の場合は心配かけまいとの思いだったが、果たして泉一郎くんも同じ気持ちだったのだろうか。

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