第二話 受け継がれた願い
「それにしても優雨くんが来てくれて、おじさん本当に嬉しいよ」
加賀利家の大広間。10畳ほどある和式を三つ繋いで作られた宴会場。その一番奥に座らされている僕と渚の元へ、一人の男性が歩み寄ってきた。
「しかもこんな誠実そうな顔をして、おまけに礼儀正しいときた。これはもう何がなんでも逃すわけにはいかないねえ」
ビールの入ったグラスを片手に、顔をほんのり赤く染める彼の名前は穂村清三。年齢は確か、37歳ぐらいだったか……。
加賀利家と肩を並べる穂村家もまた歴史深い家系らしく、その現当主の三男が清三さんである。
普段は厳しい顔をしているが、酒が入ると気さくになるのが彼の特徴だった。
清三さんは四角い顔に濃いほうれい線を刻んで高らかに笑っている。
「こちらこそ、僕のような一般家庭の男を受け入れてくれたことにとても感謝しています」
僕は軽く頭を下げながら、心からの言葉を口にした。
*****
結果からいって、僕は加賀利家の人に受け入れられた。
呼び鈴を鳴らすと、まず割烹着を着た女性が現れた。
僕が事情を説明すると、女性はそそくさと家の奥へと姿を消した。かと思うと、すぐに初老の男性を連れて戻ってきた。
厳格そうな、気難しい顔をした60代の男性。髪は灰色がかっており、花火をあしらった紺色の浴衣をゆったりと着こなしていた。
僕はもう一度彼に自己紹介をした。すると男性は少し安心した表情を浮かべ、「まあ入ってくれ」と屋敷へ招き入れてくれた。
その後すぐに渚もやってきて、僕ら三人はこれからのことについて話し合った。
どうやら僕の話は前もって渚の方から伝わっていたらしく、心配していた門前払いもただの杞憂に終わった。
*****
清三さんはビールを一気に飲み干すと、手近にあったビール瓶に手を伸ばしグラスへ注ぎ直した。
そしてそのままこちらの方へと掲げ、
「——優雨くんも、ほら」
とグラスを出すように指示した。
僕はなすがままにグラスを傾け、ビールを注いでもらった。
正直酒はあまり得意な方ではないので、入れてもらったビールも少し口をつける程度にとどめた。
幸い清三さんはそのあたりには関心がないようで、またグラスを傾けると、酒臭い息を吐いて感慨深そうに頷いた。
「けどまあ、君が現れてくれて本当によかった。加賀利家には渚ちゃんしかいなかったからねえ。穂村家も、親戚の家も、渚ちゃんと年が近しい人が誰もいなくて、この先どうなることかとヤキモキしていたんだ」
「そこまでのことなんですか? 少し大袈裟のような気もしますが……」
渚もまだ24歳。これからを心配するにはまだ早すぎるのではないだろうか。
僕の母も30歳で父と出会い、34歳で僕を産んだと聞いた。平均がどういうものかは知らないが、さすがに急ぎすぎのような気がする。
それとも古くから続く家柄というものは、結婚相手をこの歳から考え始めなければならないものなのだろうか。
僕は改めて清三さんを見やる。
彼は心底嬉しそうな顔で仕切りに頷いていた。
「よかった。本当によかった……本当に……。おかげで、加賀利家は安泰だ……」
何度も繰り返す姿を見ているうちに、次第にそれが僕にではなく、彼が自分自身の内側へ語りかけているのだと気づいた。
加賀利家の安泰。これが彼らにとってどれほどのものなのかを僕はまだ知らない。
けれど何度も良かったと繰り返す清三さんの姿にいつしか、ほんの少しだけ、狂気じみたものを感じている自分に気がついた。
泣き笑いにも見える彼の姿は、以前テレビで見かけた、とある宗教団体に加入している女性の姿を彷彿とさせる。
あの時映っていた女性は何度も、何度も教祖と呼ばれている男性に頭を下げていた。
どうしてあそこまで、ただの人である相手に入れ込むことができるのか、僕にはさっぱりわからなかった。
その時見た女性の姿と、今目の前に座る清三さんがほんのわずかだが酷似しているように感じた。
何度も嬉しそうに語る男性はまるで、加賀利家という家に取り憑かれているように見えなくもない。
…………。
いや、いやいやいやいや——。
まさかそんな——そんなこと、あるはずがない。
加賀利家は確かに変わってはいるが、建物も親戚一同の顔ぶれも普通で、渚だってこの通り……。
改めて隣に座る婚約者の顔を確かめた。
「……何?」
やはり変わらない。
彼女は大きな瞳をまっすぐに向けながら、柔らかな笑顔を浮かべていた。
さすがに考えすぎだろう……。
僕はすぐさま頭を振って、それら不安の種を思考の回路から追い出した。
慣れない環境に対する心配が、僕を執拗なまでに弱気に、臆病にさせているだけだろう。
僕は気持ちを切り替える意味も込めて、前々から気になっていた質問を清三さんへぶつけてみた。
「清三さん。そもそも加賀利家ってどうしてこんなにも代々続いているんですか?」
「ん? ああ、そうだなあ……」
清三さんは僕の質問にしばし宙を見て答えあぐねていた。
加賀利家の歴史はとても古く、おおもとを辿ればどうやら500年以上も昔の話へ繋がるらしいと、以前渚から聞いた。500年以上前といえば、日本はまだ戦国時代の真っ只中である。
そんな大昔から続く加賀利家だが、その本質は意外にも社会から孤立したものだった。
よそ者を嫌い、基本的には内向的で、外界との接点を極力持たないようにしている節が見える。潔癖症とは違うし、群れるのが嫌い……ともやはり違う。
あくまでも加賀利家と血縁のつながりを持つ者のみを受け入れ、それ以外はできるだけ遠ざける。
渚も似たようなことをいっていたし、今ここにいる人たちもみんな、何かしら血のつながりを持っている人ばかり。
ではなぜ、そんな中に僕のようなまったく繋がりのない自分が受け入れられたのか。それが今は少し不思議だ。
まさか……僕の家は実のところ、彼らの先祖と大昔に血のつながりがあったとでも?
——いや、それはないな。彼らと僕とでは苗字がまったく違うし、先祖を辿ろうにも両親や親戚のいない今、それを調べる術がそもそもないはずだ。
だがら彼らと僕が血縁関係という線も、やはりあり得ない。
ではどうして……彼らはこれほどまでに、僕がこの家へやってきたことに強く歓喜するのだろうか……。
それともただ単に、清三さんのいう通り、身内では限界があったために仕方なく僕を迎え入れただけ、なのだろうか。
清三さんはしばらく黙り込んだ末、ようやく僕の方を見てうんと頷いた。
「その前にだ。——優雨くん、こんな昔話を聞いたことがあるかな」
そして唇をチロリと舐め、まるで昔を思いながら語るかのように、彼はゆっくりと話し始めた。
「これはとある山奥にある、小さな村で起こった出来事なんだけどね。今からおよそ120年前、その村には泉一郎という男の子が住んでいたんだ……」
そう語り始めた清三さんの目は細く開かれ、その奥に潜む瞳の輝きは、まるでゆらゆらと揺らめく炎のように、微かな熱を宿していた。




