episode62「我が名は-I am The Red Stone-」
魔力は、血液の中に宿るとされている。
エリクシアンの体内では、血と共に魔力が循環しているのだ。
血液に含まれる魔力の濃度は、エリクシアンごとに個人差がある。大抵は飲んだエリクサーの濃度が関係しており、魔力濃度の高いエリクサーを飲んだ者程強力な魔力を持つエリクシアンとなる。
これらの情報はエリクサーを生成し、実験を繰り返しながらエリクシアンを生み出し続けたゲルビア帝国の研究所のレポートにまとめられている。
当然チリーはそのこと自体は知る由もなかったが、感覚的に理解していた。魔力は血と共に体内を循環していること。そして多量の失血は、普通の人間同様エリクシアンにとっても致命傷となり得ることを。
それ故に、実際に目の当たりにすればその異常性に厭でも気がつく。チリーの体内にあった血が、魔力が、身体を離れて動き始めている。そしてこれは、チリーの能力とは違う。
動き始めた血の塊を見つめながら、チリーは一度意識を手放した。
***
次にチリーが目を覚ました時、そこは上も下もない真っ黒な空間だった。
「…………」
本当に”黒”以外には何もない。身体を見れば、いつの間にかウサギから元の姿に戻っていた。
「……死んだ……のか……?」
状況を考えれば、むしろそう考えるのが自然かも知れない。あれだけの量の血を失えば、エリクシアンと言えど致命傷だ。そのまま死んでいても何らおかしくはない。
死後、生き物がどうなるのかわからない以上、これも仮定でしかない。結局のところ、現状については全くわからなかった。
ひとまず状況を調べるために、チリーはその場から一歩踏み出す。そのまま数歩歩いたが、景色には何一つ変化がない。
そのまま歩いていると、不意に黒の中に馴染まない真っ赤な人影が見えた。
驚いてソレを凝視していると、真っ赤な人影はゆっくりとこちらへ歩いてくる。
まるで血のような赤だ。それが、チリーと同じくらいの背丈の人間の形を象って歩いている。
チリーはすぐに気づく。
その赤い人影が、先程自分の血液が形成した姿と酷似していることに。
「テメエはなんなんだ? ここはどこだ?」
チリーが問いかけると、赤い人影の口元が黒く裂ける。それが笑っているように見えて、チリーはひどく不愉快だった。
「壊せ」
「……あ?」
赤い人影の言葉に、チリーは顔をしかめる。
「全てを壊せ。それがお前の責務だ」
赤い人影は、どこか笑っているような声音でそう続けた。
「先に質問に答えろ。お前はなんだ? ここはどこだ?」
苛立ちながらチリーが質問を繰り返すと、赤い人影はゆっくりと答える。
「俺は、”賢者の石”」
赤い人影のその言葉に、チリーは驚愕して目を見開いた。
「賢者の石……だと……!?」
「正確にはその力の一部。わかっているだろう? お前の身体に流れている魔力が賢者の石の魔力だと」
チリーがエリクシアンになったのは、賢者の石の力に触れたからだ。あの時、賢者の石の力はチリーの身体の中に流れ込んでいた。その力が今、意志を持って直接チリーと対峙している。
あまりの状況にチリーは一度言葉を失った。
だがすぐに、チリーは赤い人影に詰め寄る。
「なら賢者の石はどこにある!? お前がその力の一部なら知ってんじゃねえのか!?」
「知るかよ。もう何十年もお前の中にいたんだぜ? 本体の位置なんて知らねえよ」
「けっ、使えねえな。『俺は賢者の石』、だなんてデケェ口叩いたわりには結局ただの残り滓じゃねえかよ」
「随分な物言いだな。その残り滓のおかげで生き延びていた癖に」
「ッ……!」
最初にチリーが”赤き破壊神”と呼ばれるきっかけとなったあの日、チリーは致命傷を負っていた。あの時、この賢者の石の力がなければ死んでいたのは間違いない。それは無論、サイラスとの戦いの時も同じだ。
そもそもチリーがエリクシアンとして長い時を生きていられるのも、この賢者の石の力によるものだ。
「まあいい。今回も助けてやるよ」
「あ?」
チリーが短く怒声を上げると、赤い人影はククッと音だけで笑う。
「ここでジッとしてな。今は聖杯の邪魔も入らない。辺り一体を破壊し尽くしておいてやるよ」
「おい! 里の連中は関係ねえだろ! ぶっ壊すならゲルビアだけにしろ!」
思わず胸ぐらをつかもうと手を伸ばすチリーだったが、返ってきたのはぬるりとした血液のような感触だった。
「俺は全てを破壊するために生まれた。壊せるだけ壊すのは俺の責務だ。そして……今は器になったお前の責務でもあるんだぜ……”赤き破壊神”」
全てを破壊するために生まれた。今、赤い人影は――――賢者の石は確かにそう言った。
チリーは今まで、賢者の石自体はただの魔力の塊だと考えていた。
膨大過ぎて制御が出来ず、暴れ狂うだけの濁流のようなものだと。
だが、この人影の言っていることが本当なら――――
(賢者の石は、最初から破壊のために作られていた……!?)
「……ふざけんなよ……ッ!」
赤き崩壊は、ただの災厄ではなく……何らかの意志によって起こされた破壊と殺戮だったのかも知れない。
そう考えると、一気に全身の血が沸騰するかのような怒りがチリーを支配した。即座に目の前の人影を殴りつけたが、べちゃりと音を立てて頭の部分が崩れるだけだった。
すぐに頭部の形状を取り戻し、人影はもう一度口元を黒く三日月状に裂いた。今度ははっきりとわかる。こいつは、笑っている。
「おいおいはしゃぐなよ恥ずかしいな」
「ンだと!?」
「赤き崩壊が自分のせいじゃなくなりそうで嬉しいのか?」
「テメエッ……!!」
胸中を少しだけ言い当てられ、チリーは歯噛みする。
その感情は、怒りの中に紛れるようにして確かに湧き上がっていた。
赤き崩壊は、賢者の石を起動したチリー達によって起こされたものではなく、賢者の石が破壊を目的に起こした事件なのだとしたら……?
ルベル・C・ガーネットの赤く汚れた人生は、綺麗に洗い落とされるかも知れなかった。
贖罪の人生は、幸福を追求する明るい人生へと変わる。
あの純粋で無垢で、お人好しの少女と共に歩く未来が――――正当化される。
指摘されたことで、その感覚はチリーの中で強く強く湧き上がる。しかし同時に、それを許さない自分がいた。
賢者の石を起動したのはチリー達だ。起動さえしなければ、少なくともあの時は赤き崩壊を引き起こさずにすんでいる。
チリーに罪があることに変わりはない。あの日失われた無数の命は、チリーのせいで失われたのだから。
「ッ……」
そう考えると、胃の中のものを全て吐き出してしまいそうになってうずくまる。
(俺は……何を考えてンだ……)
この生きているのか死んでいるのかもわからない世界で、感覚だけが吐き気を訴えた。
(こいつに全部なすりつけちまおうなんて……最悪じゃねえか……)
「ああ、自分でわかってくれたようで何よりだ赤き破壊神。アレはお前がきっかけで起きたモンだよ」
人影が、もう一度音だけで笑った。




