episode4「外の世界の生き方-The Past Destiny,New Journey-」
ゆっくりと。閉じていた目を開ける。
どれだけの時間、気を失っていたのかわからない。
まず視界に入ったのは、乱暴な手付きでパンをかじる少年――――チリーの姿だった。
ミラルはしばしその光景をぼんやりと眺めていたが、すぐに何があったのか思い出して飛び起きる。
場所はまだ森の中だったが、洞窟のあった場所からはかなり離れていた。
「目ェ覚めたか。ほれ」
ミラルを見てそう言うと、チリーはバスケットに入っているパンをミラルへ差し出す。
しばらくミラルはキョトンとしていたが、慌ててブローチと羊皮紙を服の上から確認した。
「別に何もしてしねェよ。……ったく、あの後急に倒れやがって。テメエを抱えてチョロチョロすんのは流石に疲れたぜ」
「……ありがとう」
どうやらあの後気を失ったミラルを抱えたまま食事を用意してくれたようだった。
食事の他には自分の服も用意したようで、ボロボロだったズボンも履き替えている。
「食いモンも俺の服も町の連中に用意させた。まだテメエを捕らえようとしてやがったが、ちょっと脅しゃすぐにパンも服も差し出してくれたぜ」
「え……!?」
パンも衣服も、どうやって用意したのかはミラルも気になっていた。町の人達に頼み込んだのかと思ったが、どうもこのチリーという少年、脅して奪い取ったようだった。
ミラルは昨日から何も食べていない。目の前にあるパンは正直なところ喉から手が出るほど欲しい代物だ。
それでも、ミラルはそのパンを受け取る気にはなれなかった。
「助けてくれて、食べ物まで用意してくれたのは……ありがとう。だけど私、人から奪ってきたものは食べる気になれないわ……」
「気にするこたねェだろ。あいつら、まだテメエをとっ捕まえようって腹積もりだったぜ」
気を失ったミラルを放置出来ず、チリーはミラルを背負った状態で町まで戻った。それを見つけた町人達は、すぐにミラルを捕まえようとチリーに襲いかかったのである。
チリーの話を聞いて、ミラルの心は揺れ動く。
そうだ。悪いのは向こうなのだ。
事情もわからないミラルを追いかけ回して、刃物まで向けて。
思わずパンに手を伸ばしかけて、ミラルはパンから目を背ける。
その様子を、チリーは怪訝そうに眺めていた。
「何をそんなに躊躇ってンだ」
ペリドット家は商家だ。父のアルドは、ミラルに対してこう繰り返していた。
物には必ず対価を支払え、と。
どんな物だって、そこには作るための労力が存在する。パンも、服も、当たり前のようにそばにあるだけで、その一つ一つは誰かが汗水垂らして作ったものなのだ。
それらは、どんな理由があっても不当な価値で取引されるべきではない。
「格好見りゃわかるぜ。お前、貴族かなんかだろ」
ペリドット家は生まれついての貴族ではないが、商家として成り上がった家だ。チリーの推測は、当たらずとも遠からずと言ったところだろうか。富裕層には違いない。
「たまにいるよな、命よりも誇りだの何だのを優先する奴。俺からすりゃアホくさくって付き合い切れねえよ」
チリーの言葉に、ミラルは言い返せなかった。
プライドや倫理観が空腹を満たすことは永遠にない。意地を張って野垂れ死ぬことはそれこそチリーの言う通り”アホくさい”のだ。
正しいまま生きていける。そんな世界から、ミラルはとっくの昔に放り出されてしまっていた。
「まあ好きにしな。野垂れ死にてェってンなら俺は止めねえぜ」
チリーはそう言って差し出していたパンをバスケットに戻すと、自分のパンをかじり始める。
ペリドット家は、恐らくもうない。
帰るだけで食事が出てくる生活は、もうないのだ。
生きるか死ぬか。
食うか食われるか。
奪うか奪われるか。
それが外の世界だ。
それでも、と言い続けることは出来る。だけどその”それでも”を突き通す力はミラルにはないのだ。
ずっと温かい屋敷の中で生きてきた。外で生きるための力を何一つ持たないミラルには、プライドを押し通す程の力はないのである。
力のないまま押し通せば、チリーの言う通り野垂れ死ぬしかないだろう。
だがそれだけは嫌だった。野垂れ死ぬために逃げてきたわけではない。
父に託され、生き延びるために逃げてきたのだ。
そのために本当に必要なものが何なのか。ミラルは理解して、飲み込まなければならない。
「……ごめんなさい。やっぱり、私にもパンを分けてほしい」
「奪ったパンでもか?」
「…………ええ」
チリーはそれ以上は何も言わず、ミラルへパンを手渡す。
ミラルは礼を言ってからパンを受け取り、そして意を決してパンを口にした。
柔らかいパンの甘みが、疲弊したミラルを少しずつ癒やす。気がつけばミラルは、人前なのも忘れて夢中でパンを食べてしまっていた。
本当はミラルだって綺麗事を突き通したい。人から奪った食べ物なんてほしくない、返すべきだと主張したい。
何もかも正しいままで生きていければ、それが一番良いと思っている。
しかしそれが出来ないのが今のミラルなのだ。
金もない。自分で食べ物を見つけ出す能力もない。追手を追い払う力もない。
自分一人で、真相に辿り着く力もない。
「……お願いがあるわ」
パンを食べ終わってからそう切り出して、ミラルは服の胸元に隠していたブローチを取り出す。
ピンク色の宝石がはめ込まれたそのブローチを見て、チリーは少しだけ表情を変えた。
「これは、私を逃がす時にお父様が渡してくれたものよ」
その言葉だけで、チリーはその宝石が持つ意味をある程度察する。
「私は、賢者の石の在り処は知らない。だけどお父様はきっと知っていた。このブローチは、賢者の石を見つけ出すための手がかりになる」
このブローチは、現状ミラルが持っているたった一つの切り札だ。ミラルが持つ、僅かばかりの”力”だ。
「私は賢者の石の手がかりを持ってる。あなたが賢者の石を破壊したいのなら、力になれるわ。……だから、力を貸してほしい」
真っ直ぐに見つめるミラルの瞳を、チリーは怯むことなく見つめ返した。




