episode37「ケモノ-Red Zone!-」
かつて、一人のエリクシアンの人相書きがゲルビア帝国内で出回った。皇帝、ハーデンはそのエリクシアンを捕らえるために帝国兵を各地に派遣し、国民にはその者を捕らえれば多額の報償金を支払うとした。
当然、帝国兵や一部の国民は血眼になってそのエリクシアンを捜した。当時はエリクシアンという言葉もなかったため、懸賞金のかかった謎の少年として各地で捜索が行われた。
しかしその少年が帝国に連れてこられることはなく、行方不明のまま懸賞金は取り下げられた。
ある時を境に、誰もその少年を捕らえようとは考えなくなったのである。
赤き破壊神。
血染めの少年が、数十人の帝国兵を惨殺し、生き残った者達が彼の噂を吹聴し始めたその日から……。
***
血染めの怪物が佇むその場所を、サイラスはジッと見つめていた。
否、正しくは出方を伺っていた……と言った方が正しい。
チリーは身じろぎせずその場に立っていたが、刺すような敵意をサイラスに向けている。それを全身に感じながら、サイラスは身震いした。
「これだよ、俺が求めていたのは……ッ!」
その言葉と同時に、サイラスが跳ねる。
もう出方を伺うのも馬鹿らしかった。
どう見てもあちらに理性はない。だとすれば、これはもう獣と獣のぶつかり合いだ。
チリーへと高速で迫るサイラスだったが、チリーは未だ身動き一つ取らない。
しかしサイラスの爪が迫ってきた瞬間、チリーに異変が起きる。
「ッ!?」
突如、チリーを覆う血が弾けるようにしてその質量を増す。そしてサイラスとチリーの間に真っ赤な壁を形成した。
サイラスの爪が、血の壁をえぐり取る。飛び散った血が周囲に滴ったが、それらは即座にチリーの身体へと戻っていく。
チリー本体に傷はない。
舌打ちするサイラスの身体に、チリーの真っ赤な手が伸びる。
その形状は手刀。
だが打撃ではない。鋭利に尖ったその手は、明らかに刃物の形状を取っていた。
咄嗟に身をかわし、サイラスは数歩距離を取る。そして体内で魔力を練り上げると、ソレを思い切り口から吐き出した。
魔力は火炎へと変わり、チリーの身体を炎が包み込む。
「チリーっ!」
ミラルの悲鳴が上がる。
ラズリルは竦んだまま、ただその光景を見つめ続けていた。
「まだだろ?」
期待するようなサイラスの言葉に、応えるようにして炎の中からチリーが飛び出してくる。真っ赤な身体の所々に火が残っていたが、大して気に留めている様子もなかった。
もっとも、何かを気に留めるような理性が、今のチリーに残っているとは思えないが。
チリーの身体を覆っているあの赤い被膜の正体は、考えるまでもなく血だ。それも極めて魔力濃度の高い血である。
ゲルビア帝国の研究では、エリクシアンの魔力は血と共に身体を循環するとされている。血液内の魔力の濃度はエリクシアンによって違うが、基本的に”飲んだエリクサーの濃度”に比例する。
サイラスは初期に作られた濃度が高く、死亡率の高いエリクサーによってエリクシアンになったため、血液内の魔力濃度が極めて高い。このタイプのエリクシアンは帝国では識別名が与えられ、識別名保持者として恐れられる。そして大抵がイモータル・セブンに配属されているのだ。
そのため、サイラスがこのレベルのエリクシアンを知らなかった、というのは本来あり得ない話なのだ。
「冗談じゃねえぜ……テメエみてえなバケモンを俺が知らなかったとはよォッ!」
しかしそれは、サイラスにとってはサプライズプレゼントのようなものだ。今この瞬間の全てに、サイラスは狂喜する。
そして再び、サイラスとチリーの応酬が始まった。
チリーの動きは、先程サイラスと戦っていた時のものとはまるで違う。僅かな癖も残っておらず、サイラスからすれば完全な別人と戦っているような気分だった。
別人どころか人間ですらない。得体の知れない奇怪な怪物は、サイラスの予測とはズレた動きを繰り返す。
サイラスの反撃は例の血の壁でほとんど自動的に防がれてしまうため、今のチリーは防御や回避と言った行動を一切取らない。言わば一挙手一投足全てが捨て身の一撃と同じなのだ。
サイラスはすぐに、人間と戦っている、という感覚を捨てた。
これまでの戦いのノウハウは通用しない。未知の戦いである。
それが、サイラスの全神経を昂らせた。
呼応するように魔力が高まり、サイラスの纏う鱗も、爪も、角も、牙も、全てが強度を増した。
「ハ……ハハッ……ハハハハハハハッ!」
チリーの手刀を左の爪で弾き、右の爪でチリー本体を狙う。
当然チリーは血の壁を出現させたが、サイラスはソレを強引に突破した。
壁をぶち抜き、サイラスの爪がチリー本体へ届く。
直撃した瞬間、チリーが微かにたたらを踏む。身体を覆う被膜は、それ程強固なわけではないのだろう。
そのまま左の爪で連撃をぶち込むと、チリーの身体は後方へと弾き飛ばされていく。
サイラスは追撃をやめるつもりはなかった。
翼を翻らせ、上昇すると再び体内で魔力を練り上げる。
ありったけの火炎を、チリー目掛けて放つのだ。
しかしその視界の先で、サイラスは四つ足の態勢でこちらを見据えるチリーの姿を見た。
「そう来るかよッ!」
今のチリーの顔は、目の位置が黒く凝固していること以外は何もなかった。しかし突如、顎の部分がガバリと開き、漆黒の空洞が覗く。そしてその中には、膨大な魔力が込められていた。
そこから放たれるのは赤黒い閃光。魔力によって形成された熱線だった。
チリーの熱線に合わせるようにして、サイラスは極大の火炎を放つ。
互いの間でぶつかった火炎と閃光が魔力を迸らせながら周囲を破壊していく。
壊されたシャンデリアが、勢いよく床へ落ちて砕け散った。
既にホールは半壊状態。ラズリルは慌ててミラルとシュエットをかばうようにしてその場に伏せた。
火炎と熱線は派手にぶつかり合い、その場で対消滅する。
それから間を一切置かず、チリーとサイラスは再び正面からぶつかり合った。




