episode34「令嬢の大博打-Like a Blood-」
ラズリルはザップと対峙している……ようにミラルには見えていた。しかし実際は違う。
(身体が動かせない……まずいね、能力だ……)
ラズリルの身体は今、一切自分の意志では動かせなくなっているのだ。
恐らくザップが肩に触れたのが原因だろう。他の理由は考えにくい。敷地内に入った時点で発動する能力なら、チリーはともかくミラルやシュエット、レクス達も対象になるハズだ。
対象を選んで発動するなら、まずラズリルよりチリーを選ぶハズ。そうしなかったのだとすれば、選べなかったのか条件が必要だったのか。
ラズリルは”触れることを条件に対象の行動を操作する”能力だと推察した。
外でレクスと戦っていたジェインは見るからにヴァレンタイン騎士団のメンバーだ。恐らく彼もまた、ザップの能力の影響を受けているのだろう。だとすれば、これからラズリルに起こることは一つしかない。
「……ごめんよミラルくん、いきなりの実戦訓練になりそうだ……! 避けてくれ!」
ラズリルの身体は、自身の意志に反して動き始める。握り込んだナイフをミラルに向けて振り始めたのだ。
「――――っ!」
咄嗟に退いて回避するミラルを見て、ラズリルはひとまず安堵する。
なるべく身体に力を入れて抵抗しているおかげか、ナイフの振りは多少遅くなっている。ミラルが避けられたのは、訓練と警告の賜物だろう。
「ラズに何をしたのよ……!」
「見りゃ、わかるだろ……友達になったんだよ……」
ミラルには、ザップが何を言っているのか飲み込みきれなかった。
だがラズリルの表情から、今のナイフが彼女の意志ではないことくらいは理解出来る。
「クソ! なれよ友達に! 完全にッ!」
再び、ラズリルのナイフがミラルに襲いかかる。
そのナイフの軌道が、ミラルには少しだが見えた。
首筋に向けられたナイフを、ミラルはどうにか回避する。完全には避けきれず、鎖骨の周囲に切り傷が出来た。
――――いいかいミラルくん。避けきれなくてもいいから、とにかく急所だけは守り給え。
ラズリルの言葉を思い出しつつ、ミラルは距離を取って身構える。
ナイフのような軽い刃物は多少切りつけられても致命傷にはならない。だが、首や脈は切られれば当然致命傷になる。素人ではない相手がナイフをわざわざ使う場合は、それらの部位を的確に狙う自信があると考えられる。それならば、致命傷になり得る部位だけを死ぬ気で守れとラズリルはミラルに教えた。
今のラズリルのナイフは、ミラルの想定よりも遅い。
訓練中のラズリルは、寸止めで何度もミラルにナイフを振るっていた。ほとんどまともに回避することは出来なかったが、ある程度目は慣れている。
このナイフはギリギリ避けられる。反撃の糸口こそ掴めないものの、致命傷だけは避けられる。
「ラズ……もしかして操られてるの……?」
「悔しいけどその通りだ……訓練は……覚えているね?」
そのままラズリルは何度もミラルへナイフを振るったが、ミラルはその全てから致命傷を免れた。
だがあくまで致命傷を負わないだけだ。ミラルの服や腕にはいくつも切り傷が出来ている。頬をかすめたナイフを避けつつ、ミラルは思考を巡らせた。
ザップはエリクシアンだ。身体能力だけでミラルやラズリルを圧倒出来るハズなのだ。
それをしない理由が、ミラルにはわからない。
「あなたエリクシアンなんでしょ! こんな汚い真似しなくたって、私達を始末出来るハズよ!」
「おい! お前! 汚いって言ったな! なんだよクソ! お前まで俺の心をちくちくさせるのか!?」
「はぁ!?」
次の瞬間、ラズリルのナイフが速度を上げる。
首筋が薄く切れる。後もう少し深ければ致命傷だっただろう。ゾッとしながらもミラルは、ザップの情緒とラズリルの状態を関連付けた。
(あいつを刺激したら、ラズの動きが速くなった……?)
「お、俺は怪我するのは嫌いなんだよ……! 見ろよさっきの傷ゥ! しばらく痕が残るぞ! これが消えたって心にはずっと傷が残るんだッ……! 痛ェよォ……! 戦いなんてのはこんなのの繰り返しだろ! 自分でなんてやってられねェーーッ!」
「な、なんなのよコイツ……!」
ザップの言動はミラルには理解し難い。情緒が激しく、泣き喚くような声は聞くに耐えなかった。
要するにこの男は、自分が傷つくのが嫌で他人を操作して戦っているというのだ。呆れた臆病者だが、この戦い方を可能にしてしまうのがエリクシアンの力なのだ。
このままでは当然勝ち目はない。チリーかレクスが来るまで堪え忍べる可能性は低くなってきている。
(何か……何かないの……!? この最低な男をどうにかする方法!)
ザップが直接戦わないのは、ミラルにとっては不幸中の幸いだ。
エリクシアンの動きよりも、人間であるラズリルの動きの方が避けやすい。
そこから隙を見出すことが出来ても、ミラルには決定打がない。武器を持っているわけでもなければ何か攻撃手段があるわけでもない。
ミラルにあるのは――――
(……あるわ。一つだけ……不確定要素だけど!)
すぐに、ミラルの中で即席の作戦が組み上がる。
しかしこれは一か八かの賭けだ。それも賭けに二度勝たなければならない。
ゴクリと生唾を飲み込んでから、ミラルは意を決してザップに向かって叫んだ。
「あなた……本当に最低だわ!」
その言葉に、ザップの顔面が青ざめた。




