episode10「甘い蜂蜜はいかが?-It's A Honey Honey Joke!-」
マテューに案内され、二人はスラムの西側の区画へと進んでいく。
ミラルが一人で歩いた時とは違い、道に慣れたマテューとしかめっ面で警戒するチリーがいるおかげで周囲からギラついた視線を向けられることもなかった。
しばらく進んでいくとかなり奥まった位置に一軒の家があるのが見つかった。他の家よりも少し上等なのか、丈夫そうな木造の家だ。
マテューがこの辺りをうろつくことがあるのは、ロブの住んでいる家がこの区画にあったからだ。
「この辺の奴にしちゃ、妙に身なりがまともな女が二人も歩いてて本当に驚いたよ」
スラム地区では、身なりがまともなだけでも相当浮く。それも女二人となれば尚の事だ。
「で、ここがその家か?」
チリーが問うと、マテューはすぐに頷く。
「うん。確かこの家に入っていった」
「まさかこんな場所に隠れていたとはな……」
ラウラ・クレインとヴィオラ・クレインの関連性は、あくまで名字からチリーが連想しただけのものだ。関係ない可能性も十分にあったし、ラウラに会っても賢者の石に関しては何も得られず、というパターンもある程度は覚悟していた。
「こりゃマジでヴィオラの関係者かもな」
エリクサーの発見者、ヴィオラ・クレイン。その関係者であると考えれば、身を隠すのも自然な話だ。何せエリクサーと言えば飲んだ者をエリクシアンへと変化させる霊薬だ。どの国も喉から手が出る程その生成方法を知りたがっているハズである。
「よーしマテュー、お前はもう帰っていいぜ。また後でな」
「な、なんだよ! 俺だってここまで来たら気になるよ!」
チリーはすぐに言い返そうとしたが、すぐに口をつぐんで嘆息する。
「……ったく、俺とミラルから離れんじゃねえぞ」
「おう!」
呆れ顔でそんなことを言うチリーの真横にぴったりくっついて、マテューが力強く頷いた。
「優しいじゃないの」
「アホか。一々構ってらんねーだけだよ。行くぞ」
ぶっきらぼうに答えつつ、チリーは家のドアを叩く。
しかし、中から返事はなかった。
「留守か?」
今度は力強くドアを叩く。すると、ドアが開いて中から小柄な女が顔を覗かせた。
薄い空色の長髪をツインテールに結った、独特の風貌の女だった。その上右目が赤で左目が緑という、所謂オッドアイで、目立つことこの上ない。袖のゆったりとしたワンピースを着ており、スラムに住んでいると言われてもにわかには信じがたい。
ミラルは、彼女が赤いフレームの眼鏡を着けていることに気付いたが、ミラルの知っている眼鏡とは形状が少し違うように思えた。
「お前がラウラか?」
「違うよ」
チリーが問うた瞬間、女は即答してドアを閉める。
「おい! こら! 開けろ! お前ラウラだろ!」
「人違いだよ~」
「人違いなのか!?」
恐ろしい剣幕でチリーがマテューを怒鳴りつけると、マテューは慌てて首を左右に振る。
「どっちがラウラだったかわかんないけど、歩いてた二人の内一人はあいつだったぞ! 間違えるもんかあんな見た目のやつ!」
「だよなァ!? おいこら! 開けろ! ラウラはどこだ!」
このままではチリーがドアをぶち破りかねない。
ミラルはどうにかチリーを落ち着かせ、今度はミラルの手でドアを叩く。
「すみません! 私、アルド・ペリドットの娘のミラルです!」
「……ん?」
ミラルの言葉に、ドアの向こうの女が反応を示した。
「ラウラ・クレインさんに会えと言われてここまで来たんです。何か知りませんか?」
それから、数秒の間があった。
しかしやがて、ドアはそっと開かれる。
「入り給え。ラウラくんは不在だけど、話を聞こうじゃないか」
「……! ありがとうございます!」
「お茶いる? おやつもちょっとあるよ~」
妙に軽い調子の女に、三人は一度顔を見合わせた。
***
女は、ラズリル・ラズライトと名乗った。
家の中はかなり散らかった様子で、そこかしこに破壊の痕がある。割れた花瓶や床に落ちた絵画がそのままにされており、ミラルは違和感を覚えた。
チリーは警戒した様子でラズリルの後ろを歩き、マテューは物珍しそうに家の中を見回している。
「いやあ散らかっててすまないねぇ。ちょっと色々あった後でね」
三人は暖炉のある居間に通され、机を囲んで座るよう促された。
ラズリルはすぐに居間を後にし、やがて数分後にドタバタと足音をさせながら戻ってくる。
「喜び給え諸君! はちみつがまだあった!」
「「おお!?」」
そんなものは食べたことがないマテューは勿論、食事をまともに取れていない二人はほとんど動揺に近いリアクションを見せた。
「パンに塗ってぇ……へへ、こないだ市場で買ったいい感じのハーブティーも出すよ~」
至れり尽くせりである。皿に乗せられたパンにははちみつが塗ってあり、淹れられたお茶は冷えていたがいい香りが漂ってくる。
「いい生活してやがんな」
「ラウラくんはお金持ちだったからねぇ。ラズの生活はほとんどそのおこぼれさ」
何故か得意げにそう言いつつ、ラズリルはパンをかじると幸せそうに目を細めた。
「お、俺……アンとベイブに黙って……こんな……ううっ……」
「なら後で二つ持って帰り給え」
初めて口にするはちみつの甘みに涙を流すマテューに、ラズリルはわざとらしくウインクをして見せる。
「ほんとか!? ほんとに!? 嘘だろ!?」
大はしゃぎのマテューはもう、今にも踊り出さんばかりの勢いだ。
そんな彼の様子を横目に見つつ、チリーはパンをかじりながらラズリルを見据える。
「で、ラウラはどこだ? まさかパンとはちみつで俺を誤魔化そうって魂胆じゃねーだろーな?」
「……せめて口元のはちみつを拭ってから言いなさいよ……」
口ではいつも通りに振る舞っているが、チリーの機嫌は明らかに良い。よほどはちみつがおいしかったのか、目元や口元から笑みが隠し切れていない。
とは言え、はちみつの甘味でとろんとした心地でいるのはミラルも同じだ。
フェキタスに来るまでの間、チリーにパンをもらって以降はロクなものを食べていない。パンは勿論、はちみつの甘みなど最早劇物のようなものだ。
しかしその少し間の抜けた感覚は、ラズリルの次の言葉で一気に引き締められる。
「いやあ、非常に申し訳ないんだがね……ラウラくんはつい先日攫われた」
あっけらかんとそう言うラズリルに、ミラルは思わず持っていたパンを取り落としかける。
「い、一体どうして!?」
「ありゃ、知らずに来たんだね。ラウラくんは、エリクサーの発見者であるヴィオラ・クレインの娘だぜィ」
どうやらチリーの予測はほとんど正解だったらしい。
「ヴィオラ・クレインがエリクサーを発見したのは知っているね? 実は彼女、エリクサーの生成も行っていたんだよ。当然、ラウラくんはそのあとを継いでいる」
「じゃあ、家の中が妙に荒れていたのは……」
「うむ。押し入られました」
このラズリルという女、どうも考えが読めない。チリーはそう思ってラズリルを注意深く観察していたが、特に何かを仕掛ける様子はなかった。今のところ食事に毒が混じっていた様子もない。
敵意は感じないものの、ラズリルにはほとんど隙がない。チリーはやや警戒を強めつつラズリルの観察を続ける。
「えらく落ち着いていやがるな」
「そーでもないよ。正直心臓が飛び跳ねているよ。聞こえないかい? あ、今肺とぶつかった気がする」
軽口を叩くラズリルをチリーが軽く睨みつけると、彼女は小さく咳払いをして見せる。
「さて、この辺りでそろそろ深めの自己紹介と行きましょうか。まずはラズとラウラくんの甘~い馴れ初めからね」
言いながら、ラズリルは自分のパンにもう一度はちみつを塗りたくる。
一同が固唾を呑んでラズリルが話し始めるのを待っていると、ラズリルは少しを間を開けてから話し出す。
「まあ、ラウラくんとは偶然出会って意気投合しただけだから甘くもなんともないんだけどね」
はちみつのたっぷり乗ったパンを口にしつつ、ラズリルはあっけらかんとそう言う。
大量のはちみつに見惚れるマテュー以外は、そんなラズリルになんとも言えない視線を向けていた。
「でも結構恩があるからちょっとは甘いかな。この顔にかけてるこれ、マジックフレームはラウラくんがくれたものだよ」
「マジックフレーム?」
ミラルが問い返すと、ラズリルは自慢げに頷く。
「魔法遺産か」
「そだよ」
興味深げに呟くチリーに、ラズリルは短く答える。
伝承では、この世界はかつて魔法使いと呼ばれる超常の力を操る人々が支配していたと言われている。魔法遺産とは、古代の魔法使い達が遺した現代の技術では再現不可能な奇跡のアイテムを指す言葉である。
「ラズは生まれつき視力がイマイチでね。こいつでようやくまともに目が見えるレベルなんだ。ちなみに普通の人がかけると相当遠くまで見えるようになるよ。夜中でもね」
ラズリルのマジックフレームは、便利だが魔法遺産の中ではそれ程強力なものではない。
魔法遺産、その最たる例こそが――――賢者の石である。
「さて、本題に入る前に先に君達の素性を明かしてもらえるかな?」
ラズリルの言葉に、ミラルは確認するようにチリーへ視線を向ける。
すぐにチリーは頷いた。
「どの道今はこいつしか手がかりがねえ。話せ、最悪俺がなんとかしてやる」
「おお怖。ラズは平和主義なんだ。暴力はご勘弁願いたいね」
「……いいぜ。テメエが隠し持ってる武器を全部そこに並べてくれたらな」
鋭い目つきでチリーが言うと、ラズリルの瞳にほんの一瞬だけ動揺が映る、
「体格のわりに足音が重てえンだよテメエは」
「レディの体重に言及するのはマナー違反じゃないかな?」
間髪入れずに軽口を叩くラズリルに、チリーは小さく舌打ちする。
「……話します。どこまで信用してもらえるか、わかりませんけど……」
これ以上言い争いをしていても話は進まない。意を決してミラルが話し始めると、ラズリルは黙って耳を傾けた。




