第8話 もたらされる末路
窓の外の景色が高速で流れていく。
車内ではチープな歌謡曲が流れ始めていた。
最初は無音だったので、何かの拍子にカーラジオが起動したらしい。
運転手の呉橋は手探りで曲を止める。
彼はそれどころではなかった。
全体が血肉でコーティングされた禍々しい怪物トラックは、数十台のパトカーに追われながら高速道路を走っている。
ヘリの狙撃や能力捜査官の攻撃も加わり、ほんの些細なミスで止まりかねない状況だった。
驚異的な集中力と運転テクニックを持つ呉橋は、数時間単位でその逃走劇を継続させている。
クラウン本拠地の廃ビルと地下研究所を破壊した呉橋は、巨大トラックに乗ったまま市街を突き進んでいた。
現在は高速道路だが、ルート次第で一般市民の只中を通ることになるだろう。
ちなみに血肉のコーティングはクラウンを皆殺しにした時のものだ。
彼は地下に隠れた構成員を含めて残さずに始末してみせた。
あまりの数に破砕機が肉詰まりを起こしかけるほどであった。
警察の追跡を捌く呉橋が視線を止める。
助手席に置いた端末が震えて着信を知らせていた。
呉橋は通話開始をタップして口を開く。
「はい」
『クレちゃん、今どこにいるの』
水上の声だった。
珍しく真剣な雰囲気である。
彼女の質問に対し、呉橋は最低限の言葉を返した。
「都内ですが」
『警視庁に向かってるでしょ』
「はい。なぜ分かったのですか」
『大ニュースになってるよ。改造トラックが暴走中だって。クラウンの本拠地で何か新しい手がかりを見つけたのかなぁと思って』
水上は半ば確信した口調でそう述べる。
四方八方で鳴り響くサイレンも通話に入っているだろう。
特に隠すことでもないため、呉橋は現在の目的を正直に伝えた。
「クラウンの地下研究所の書類に警視総監の名前が出てきました。つまり警視総監は犯罪者と癒着しています。決して見逃せる行為ではありません」
『だからってこんな風に動いたら騒ぎになるに決まってるじゃん』
「……すみません」
真っ当な叱りに呉橋は謝る。
端末の向こうで水上がため息を吐いた。
それから彼女は感情を込めずにつらつらと提案する。
『とにかくデータを送って。それをメディアにばら撒いて告発するから。あたしは内通者じゃないから安心していいよ』
「水上さんのことは信頼しています。最初から疑っていません」
『よろしい。じゃあ、そっちは大変そうだし一旦切るね。告発後も追跡は止まらないだろうから気を付けて』
「分かりました」
呉橋は端末を操作して、クラウンの本拠地で手に入れた情報をすべて水上に送信した。
これで現在のチェイスが軟化するとは彼も思っていなかった。
強行突破で警視総監を狙うつもりでいる。
操作を終えたばかりの端末がまたもや着信を訴えた。
水上ではなく課長だった。
応答しようか迷う呉橋だったが、通話開始をタップする。
その瞬間、怒鳴り声が彼の鼓膜を叩いた。
『呉橋! お前はついに狂ったのか!?』
「どうでしょう。以前からだと思いますが」
『ふざけるな。いくらお前でも身内を敵に回すなんて……』
「身内ではありません。水上さんの話を聞いていませんか」
『あいつなら熱心にパソコンを触っている最中だが』
「告発中ですね。警視総監がクラウンの内通者の一人だったのです」
その時、通話中の端末に水上からメールが届いた。
呉橋が開くとそれは位置情報だった。
警視総監の居場所がリアルタイムで地図アプリに表示されている。
すぐさま呉橋はトラックのナビ画面と連動させてルート案内を開始させた。
現在地から考えると、五分とかからない距離だ。
警察の妨害を加味してもそう時間はかからないだろう。
一方、水上から話を聞いたと思しき課長は驚愕している。
『警視総監が……!? そんなまさか』
「事実です。証拠はあります。課長にも送信しますね」
その時、呉橋の瞳が散大した。
警視庁の敷地から黒いリムジンが発進するところだった。
呉橋は記憶上のデータを漁り、事前に調べていた車種とナンバーを照らし合わせる。
そしてあのリムジンが警視総監のものであると確信した。
ナビの位置情報もリムジンを示している。
呉橋は通話を繋げたままの課長に報告した。
「警視総監を見つけました」
『おい待て! 相手が犯罪者だとしても、とてつもない権力を持った相手だ。お前が敵うはずがない。一度撤退して作戦を練り直せ、いいな』
「この機は逃しません」
呉橋が通話を切るとすぐに着信が来た。
通話を開始した途端、気の抜けた水上の声が発せられる。
『課長ってばすごい剣幕だったよねー。そんなに説教臭くならなくても、クレちゃんが正義なのは分かってるのに』
「俺が正義とは限りませんよ。違法行為に手を染めているのは確かなので」
『あ、そういう自覚はあったんだ』
「当然です」
やり取りをしていると、街路樹が一斉に揺れて倒れ始めた。
そのすべてが巨大トラックの進路上だった。
呉橋は瞬時にアクセルを踏んで街路樹を削り飛ばす。
追跡のために密着していたパトカーがクラッシュして大事故を起こしていた。
直進するリムジンだけが何の被害もない。
街路樹を避けたような様子もなく、平然と走行し続けている。
その事実に着目した呉橋が呟く。
「警視総監に腕利きの護衛がいるようです」
『ちょっと調べるね……って、クレちゃんなら知ってるか』
「はい。もちろん知っています」
呉橋が頷いた時、リムジンのルーフが開いた。
車内からよじ登って登場したのは、占い師のような格好をした細身の男だった。
頭巾で顔が見えないものの、澄んだ青い目には強固な意志の光がある。
その視線は呉橋を罰するかのように睨んでいた。
呉橋は動じずに情報を暗唱する。
「Sランク能力者。日本最強のボディガードの藪螺目。因果律の操作でどんな要人でも守り抜くプロです」
『ミステリアスなビジュアルも人気だよね。ファンクラブもあるらしいよ』
水上も知っているらしい。
Sランクともなると規格外なのだ。
それ以下とは根本的に扱いや価値が異なってくる。
『ヤブちゃんの因果律操作は厄介だよー。望んだ結果を引き寄せて、不利な事象を敵に押し付けるんだから。チートだよチート』
「どんな能力にも必ず弱点があります。完全無欠などありえません」
『殺しのプロが言うと重みが違うねー』
「茶化さないでください」
話す間にも藪螺目の攻撃は始まっていた。
彼が手をかざすだけで、街路樹やポストや電話ボックスが次々と巨大トラックに炸裂する。
サイコキネシスのような不可視の力ではない。
因果律の操作なので、究極的に言えば自然現象である。
運の傾きを変えることで、普段なら起きにくい出来事を発生させているのだった。
妨害攻撃を受けながらも呉橋は加速し続ける。
リムジンとの距離が少し縮まった。
呉橋は障害物を破砕機で壊しながら話す。
「藪螺目の能力には二つの弱点があります。一つ目はタイムラグです」
放置車両が側面からスピンしてぶつかってきた。
怪物トラックはびくともしない。
頭巾の上からでも分かるほど、藪螺目が歯噛みをしている。
呉橋は淡々と自説を語り続ける。
「能力発動には物事をプラスとマイナスで区別し、それを能力によって引き寄せるか、他に押し付けるか考えなければいけません」
『でも区別がオート仕様になってるかもよ。オートなら思考のラグもないし、防御が堅い能力は大概そのタイプだよね』
「自動判別でも必ずグレーゾーンが生じます。世の中のすべての事象に良し悪しを付けるのは不可能に近いからです。負うリスクが高く、自己判断を要する瞬間は手動になるでしょう。そこで確実にタイムラグが発生します」
呉橋が運転席の赤いボタンを押した。
すると巨大トラックの前面から角のような避雷針が伸びる。
それが空気音と共に発射されてリムジンを狙う。
藪螺目が大きく腕を動かすと、避雷針は風に吹かれたように上へと飛んでいった。
紙一重のタイミングだった。
もし軌道がずれていなければ車内の警視総監を貫いていたかもしれない。
或いはその展開を認識したからこそ、藪螺目は因果律を操作したのか。
そんな藪螺目は片腕を負傷して出血していた。
避雷針が掠めたのだろう。
無傷でいなすには猶予が短すぎたのである。
「思考が介入すれば、その分だけ行動が遅くなる。すなわち先手を取りやすい。これが藪螺目の弱点の一つです」
『じゃあ二つ目は?』
「一度に操作できる因果には限度がある点です」
呉橋は別のレバーを引いた。
ガタガタと車内で新たな何かが起動する。
破砕機も愉快そうに軋みを立てていた。
「もし因果の操作数が無制限なら、俺を始末するのは簡単でしょう。ひたすら悪い事象を俺に押し付けるだけでいいのですから。それが実際に起きていない現状を考えると、リソースを管理を怠ると藪螺目が破綻するのだと思います」
数秒後、破砕機が高速で逆回転をした。
そして隙間から高速で白い物体を連続で発射し始める。
恐ろしいペースで放たれるのは、人間の骨だった。
破砕機で粉々にした死体の一部を保管し、弾丸のように飛ばせる仕組みになっていたのである。
「藪螺目はボディガードのプロです。守ることに特化し、自分と護衛対象の及ぶ悪い事象を弾くことに秀でています」
呉橋が語る一方で、骨の銃弾がリムジンへと容赦なく浴びせられていた。
藪螺目の能力で脇へとそらされているが、一部が車体に当たって傷を付けている。
中から聞こえる喚き声は警視総監のものだろう。
レバーを持った呉橋は徐々に角度を倒す。
いつの間にか追っ手の警察はいなくなっていた。
空のヘリや能力捜査官もいない。
もはや部外者は追い付けない領域に達していた。
「因果律操作の能力者に、処理困難な量の不幸を与えればどうなるでしょうか。絶対的な死とは、動かし難いものです。たとえSランクの能力でも苦労するに違いありません」
骨の銃弾が弾切れとなった。
呉橋は残念がることなく、ハンドルを両手で握ってアクセルを踏み込む。
高鳴るエンジン音が歓喜していた。
街路樹とピエロマスクの死体を付着させた巨大トラックがリムジンに急接近する。
『えっ……まさかクレちゃん、シンプルに突っ込むつもり……?』
「はい。小手先の勝負では完敗する未来が見えるので。回避困難な攻撃をいきなり仕掛けるのが最適解だと判断しました。これならば因果律の操作の弱点にも刺さります」
『……健闘を祈ってるよ。今回も死なないでね』
「努力します」
通話はそれで終わった。
藪螺目の動きも気にせず、呉橋は力任せに巨大トラックを追突させる。
極太のタイヤがリムジンの後部に乗り上げて潰した。
そのまま両者の車が制御を失って横転し、勢いよく滑りながら近くの建物に激突する。
車内でひっくり返った呉橋は、素早く体勢を戻して運転席の操作盤を弄る。
何の反応もなく、完全に故障している。
ただ追突しただけでここまで酷い状態になるはずがない。
呉橋は即座に原因を察する。
(さすが藪螺目だ。防御用のパーツを全滅させたか)
追突の寸前、事象の押し付けで内部構造を破壊されたのだ。
精一杯の反撃だったのだろう。
最強のボディガードとしての意地があったのかもしれない。
呉橋は側面のドアを蹴り開けて外に出た。
半壊したリムジンのそばにバーコード頭の警視総監が倒れている。
大きな怪我はしていない様子だ。
ただし藪螺目は瀕死である。
腹が裂けて臓物がアスファルトにこぼれ出していた。
脱げかかった頭巾の隙間から見える目はどちらも潰れて血を流している。
(護衛を優先したな。無理な能力行使で反動を食らったらしい)
仕事の矜持を重んじた結果だった。
藪螺目は潰れた喉で必死に声を発している。
「う、ぼぇ……あぁ……ぐ……」
近寄った呉橋は藪螺目を凝視する。
頭巾を掴んで潰れた両目を観察し終えると、彼は手を離して告げた。
「あなたは犯罪者ではないようだ」
「ま、て」
「動かず自己治癒に専念しろ。あなたほどの能力者ならば死なないだろう。この場は俺の勝ちだ」
言い終えた呉橋は動き出す。
倒れていた警視総監は十メートルほど先を小走りで逃げていた。
今の隙に行動したのである。
もちろん逃げ切れるはずもなく、すぐに呉橋が追い付いて肩を掴んだ。
「警視総監」
「ひ、ひいぃっ! 誰かたすけてくれぇっ」
膝から崩れた警視総監は泣き顔で喚く。
必死に助けを求めるも、応じる者は出てこない。
警視総監は縋り付くようにして呉橋に話しかける。
「悪かった! クラウンのデータを見たんだな。よし、何が望みだ。何でも用意しよう。まずは君の言い分を」
「お前の命だけ寄越せ」
呉橋は持参した拳銃で警視総監を射殺した。
額に一発。
自らの死すらも気付かなかったろう。
死体が倒れたすぐ後、過激なドリフトで車が接近してきた。
ドアを開けると顔を見せたのは水上と課長だった。
二人は呉橋に話しかける。
「クレちゃん、早く乗りな。逮捕されちゃうよ」
「警視総監が犯罪者だと周知されれば不問にもなり得るが、落ち着くまでは身を隠すんだ。責任追及は私が請け負う」
「お気持ちはありがたいのですが結構です。今この瞬間も能力犯罪者が悪事を働いています。彼らに制裁を下すのが俺の役目です」
「この状況でまだ続けるのか」
信じられないと言いたげに課長が反応すると、呉橋はほんの少しだけ苦笑して言う。
「はい。今回も軽傷で済みました。死ぬまで繰り返すつもりですよ」
呉橋はふと近くのガラスを見る。
自分の背中と腕に抱き付くように、二つの赤い人影が立っていた。
赤い人影にはうっすらと輪郭が伴っている。
妻と娘だ。
失った家族は常に彼のそばにいる。
呉橋の能力ではない。
彼の心象が映り込んでいるのか。
それとも妻娘が幽体系統の能力で憑いているのか。
本人もよく分かっていなかった。
水上と課長を置いて、呉橋は粛々と歩き出す。
殺戮刑事は、止まることを知らずに次の仕事を求めた。
これにて完結です。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
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