第4話 蹂躙劇
牢屋を出た呉橋は課長の先導で移動した。
階段を上がって向かった先はロッカーの並ぶ部屋だった。
プレートの貼られたロッカーが向かい合わせに設置されている。
入口付近には綿密な注意書きが記載されていた。
呉橋は次々と暗証番号を入力してロッカーを開けると、手早く武器を揃えていく。
その様子を見た課長が眉を寄せた。
「なぜ番号を知っている。明らかに許可されていない規格の武器も取り出しているようだが」
「有事に備えて調べておきました」
呉橋は答えながらも番号入力の手を止めない。
新たな違反行為に対する罪悪感は皆無であった。
課長は複雑な表情を顔を背けて黙認する。
ものの二分ほどで呉橋は装備の調達を完了した。
ボディアーマーと防弾ヘルメットで身体を保護し、メインの武器は軽機関銃を選ぶ。
背中にセミオート式の軍用の散弾銃を背負っていた。
太腿の側面にはそれぞれナイフと拳銃を差し込み、尻に備え付けたポーチには手榴弾が詰め込まれている。
他にも現代の特殊部隊に準じた装備を身に付けていた。
以前のような能力者の死体を使った兵器は所持していないが、過剰にも見える出で立ちだった。
少なくとも一般警官の武装ではない。
指摘するのも疲れた課長は、何も言わずに部屋を出る。
二人は上階へと向かった。
オフィスは電灯が消えて事務机や書類棚がひっくり返っている状態である。
その間に死体が倒れていた。
クラウンの構成員と思しきピエロマスクが多い一方で、警官のものも散在している。
二人の他には誰もいなかった。
惨状を目の当たりにした課長は悔しげに唸る。
「ひどい有様だな……これも内通者の仕業なのか」
「そうでしょうね。破壊工作の手筈を進めていたようです。セキュリティーの漏洩がなければ、ここまで迅速な襲撃はできなかったかと」
呉橋は冷静に考察する。
彼の目は暗闇の中でも分かるほど猟奇的な色を帯びていた。
研ぎ澄まされた五感は、別の部屋やフロアにいる人間を捕捉している。
いつどんな攻撃をされても対処できるように意識していた。
課長は小さく嘆息すると、スーツの上着を脱いだ。
それを近くの机に放り投げると、さらにワイシャツのボタンを外していく。
「能力戦は久々だな」
「課長も戦うのですか」
「当たり前だろう。私だって警察官だ。口だけの人間じゃない。この状況で命を懸けられないほど臆病者ではない」
腕時計を置いた課長の肉体が変貌を始めた。
筋肉が隆起し、骨格単位で膨れ上がっていく。
前のめりの姿勢になると、体表を茶色い硬質な毛が覆っていった。
頭部の形状も人間から大きく逸脱する。
丸い耳が尖り、徐々にせり上がっていく。
数秒後、その場にいたのは一体の人狼だった。
指先からは鋭利な爪が伸びており、口から覗く牙も同様に鋭い。
逞しい筋肉が課長の本来の面影を見事に打ち消していた。
これが課長の能力――人狼化であった。
動物に変身する能力の中でも、彼のそれは群を抜いて優れている。
変身の過程を見ていた呉橋は指摘した。
「Aランク以上の能力を無断使用するのは規則違反ですが」
「おいおい、よりによってお前がそれを言うか」
課長は狼の口で器用に喋る。
ただし声はしゃがれており、呼吸のたびに鼻息が鳴っていた。
人間時よりも発言しづらくなっているようだ。
腕を回して準備運動をする課長は、荒らされたオフィス内を進んでいく。
「お前を解放した時点で私は責任を追及されるんだ。それが有耶無耶になるように働いてくれ」
「分かりました」
その時、オフィスの出入り口にピエロマスクを着けたジャージ姿の男が侵入した。
手には燃える斧を握っている。
一見すると普通の炎と同じだが、呉橋の目はそれが能力特有であると見抜いていた。
男は甲高い笑い声を発して二人に跳びかかる。
「キャヒッ」
男は事務机を足場にして接近してくる。
呉橋は銃口を向けようとするも、爪の生えた手で制された。
課長はゆっくりと前に進み出ると、野性的な殺気を発露する。
「――ノロマな道化め。よくも荒らしてくれたものだ」
課長の声に抑え切れない怒りが滲んでいた。
燃える斧が振り下ろされるも、交差された人狼の爪が難なく受け止めた。
さらに腕を一閃させて斧を枯れ枝のように解体し、素早い動きで男を蹴り飛ばす。
数メートルを滑空して壁に激突した男は、ピエロマスクの隙間から血を噴いた。
「ぎょぶぇっ」
男は痙攣して立てずにいた。
蹴られた腹は大きく陥没しており、手足も不自然な方向に曲がっている。
指の周りで炎がくゆるも、攻撃に転用するほどの力は残っていないようだった。
そこに呉橋が大股で近付いて軽機関銃を突き付ける。
すぐさま課長が止めようとした。
「待て、殺すな」
「その命令は聞けません」
呉橋は躊躇なく発砲する。
ピエロマスクの胸と顔面に穴が開き、返り血が呉橋のボディアーマーに飛び散った。
くたりと下ろされた男の手から炎が消える。
潰れた脳をこぼす男は即死していた。
課長は狼の顔で苦悩を表しながら嘆く。
「お前はどうして、本当に……」
「必要な処置です。後々になって反撃される可能性がありました」
呉橋は悪びれることなく意見を述べる。
それに言い返そうとする課長だが、別の階で聞こえた戦闘音に思考を切り替える。
彼はため息を吐いてから落ち着いて指示した。
「お前が倒した分には口出ししない。だが、私が倒した者は殺すな」
「善処します」
「まったく……」
課長はぼやくも、それ以上は何も言わなかった。
二人は上り階段まで移動し、クラウンの襲撃を警戒しながら進んでいく。
倒れていた同僚の死体を一瞥した課長は小声で述べる。
「私は二階に向かう。お前には一階を任せた。奴らの好きにさせるな」
「了解」
階段を上がったところで二人は別れる。
呉橋は隠れるそぶりもなく廊下を走り出した。
その足音を聞き付けたピエロマスクがそばの扉を蹴破って登場する。
ところが攻撃を仕掛ける前に射殺された。
事前に察知していた呉橋が予知に近い速度で発砲したのである。
別のピエロマスクが前方から椅子を投げてくる。
人体を粉砕しかねないスピードのそれを、呉橋はスライディングで回避した。
そして、的確な射撃で相手を蜂の巣にする。
その間に別のピエロマスクが三人同時に駆け寄ってくるも、あえなく軽機関銃と散弾銃の連射で沈むことになった。
呉橋は止まらない。
能力犯罪者との殺し合いに慣れた彼は些細な仕草を見逃さず、一瞬で相手の能力を特定する。
たとえ特定に至らずとも、最適な行動を取ることで被害を抑えることができる。
停電中の署内は視界不良だが、呉橋が怯むことはなかった。
署内を跋扈するクラウンの構成員を殺しながら、彼は広々とした会議室に辿り着く。
そこには血に沈んで突っ伏した警官の死体が大量に座っていた。
ホワイトボードには血でピエロのイラストが描かれている。
室内には十数人のクラウン構成員がいた。
それぞれ氷の武器を持っていたり、座った場所から植物を生やしてたり、青白い光と共に帯電していたりと様々な特徴を持つ。
彼らは一斉に呉橋を見た。
仮面越しに視線が交錯する。
そうして誰が指し示したわけもなく、残虐な笑い声を上げて襲いかかった。
数分にも及ぶ激しい戦闘音が会議室から発せられる。
次第に音の頻度が減り、ついには静寂が訪れる。
ほぼ無傷の呉橋は、散乱したピエロマスクの死体を見下ろしていた。
死体の大半は爆発や銃弾による欠損で死んでおり、一部は刃物による刺し傷や切り傷が原因だった。
奇妙な損壊をしているのは、他の能力者の攻撃が当たった影響だろう。
呉橋は同士討ちを狙った結果であった。
弾切れの銃を捨てた呉橋は、死体に向けて冷酷に言う。
「揃ってDランクかCランク……よくてBランクの下位だ。それで袋叩きにできると思うな」
会議室を出た呉橋は、その後もクラウン構成員を駆逐していった。
途中で何度か他の警官と遭遇するも単独行動を徹底し、驚異的なペースで蹂躙を進める。
彼についていける者は一人としていなかった。
結局、その後は大きな騒動もなく事態は終息した。
クラウンによる襲撃は内通者の手引きが要因の一つとして、今後はその人間の特定や調査が必須ということになった。
当然ながら呉橋も独断で調べて、能力犯罪者として抹殺することになるだろう。
したがって組織としては、殺される前に内通者を捕縛するのが課題となった。
死体処理と清掃を行う署内にて、呉橋は巡回する。
残党や追加の襲撃を警戒しての行動だ。
完全武装で歩き回る姿は他の者達から露骨に煙たがられたが、その程度で呉橋が気にするはずもない。
見落とした場所がないか彼は念入りに調べていく。
やがて呉橋は仮眠室に到着した。
その向こうから人の声と電子音が聞こえてくる。
彼はさらに複数の気配を捉えていた。
耳を澄ませる呉橋は、銃を握って素早く扉を開けた。
そこではベッドに寝そべる水上がネットゲームに興じていた。
周囲には気絶したクラウン構成員が倒れている。
扉の音に気付いた水上はゲームを中断してマイペースに手を振った。
「あ、クレちゃーん。ちょっとジュース買って来てよ。ここから動くの面倒でさ……」
呉橋は無言で扉を閉める。
彼は水上の呼び声に応じず、その場を立ち去るのだった。