第2話 振るわれる力
某日。
補強されたパトカーの車内には呉橋と水上がいた。
車を運転する呉橋は、前だけを見据えている。
その瞳は張り詰めたような気迫を帯びており、爆発寸前で留まっていた。
助手席に座る水上は、ファーストフード店のコーラを飲んでいた。
ストローを噛みつつポテトを頬張っている。
口の周りを油だらけにした彼女は、肩をすくめて大げさに嘆く。
「ドライブデート中に応援要請なんて残念だよね。ねえ、クレちゃん?」
「デートではありません。それに、現場へ迅速に迎えるのは良いことでしょう」
「相変わらず真面目じゃん。もっとさ、楽しんでいこうよ」
水上は呉橋の肩を何度も叩く。
呉橋はほとんど反応しない。
機械のように正確な動きで運転をしている。
彼らの向かう先では能力犯罪者が待っていた。
水上は端末のディスプレイを操作して、羅列された情報を呉橋に伝える。
「犯人は怪力系の能力者だって。肉体が強靭だから弾丸が通らないそうだよ」
「問題ありません。その系統とは何度も戦っています」
「さすがだね。自信満々じゃん」
水上はまたも呉橋の肩を叩くも、彼が反応を示すことはなかった。
二人を乗せた車はサイレンを鳴らしながら走行する。
脇に退いた他の車両の間を縫うように進み、ナビに表示された現場へと無駄のないルートで向かっていた。
途中、呉橋が後部座席に手を伸ばす。
彼が引っ張り出したのは、消火器のような物体だった。
ただしホース部分の先端に人間の片手が備え付けられている。
水上は気味悪そうに顔を曲げて問う。
「それは?」
「この前の放火強盗の手です。火炎放射器に改造されていますね」
呉橋は運転したままそれを見せる。
ホースのノズルが手のひらから飛び出していた。
消火器の側面に様々な文字の羅列が貼り付けられている。
それを読んだ水上は呆れたように言った。
「また二課から盗んだの? そろそろ怒られるし、始末書だって書かされるよ」
「既に幾度も処分を受けています。能力者を効率よく殺せるのなら、どんな手段でも用いるだけです」
忠告に対し呉橋は平然と述べる。
彼の横顔には欠片の罪悪感も存在しなかった。
狂気的な目的意識に衝き動かされている。
小言が無駄だと悟った水上は、イヤホンを装着しつつぼやいた。
「無能力者なのに張り切って……」
「だからこそ抑止力にならなければいけません。能力至上主義は間違っていると思うので」
呉橋はハンドルを回して答える。
急カーブの弾みで水上が窓ガラスに頭をぶつけた。
一方、呉橋は姿勢を崩さずに運転を続けている。
ぶつけた箇所を撫でる水上は、それ以上の追及はしない。
彼女は端末の操作に集中するのだった。
五分後、二人は閉鎖されたエリアに到着する。
機動隊がフェンスを立てて厳重に隔離している。
呉橋は車を道路脇に停めると、人間の手を使った火炎放射器を持って外へと出た。
助手席の水上は端末を弄ったまま発言する。
「ここで待ってていい?」
「ご自由にどうぞ」
呉橋は大して気にもせず歩き出す。
二人の間では恒例のやり取りなのであった。
したがって文句を言うこともない。
呉橋個人としても、単独で戦うスタイルに慣れ親しんでいた。
機動隊は呉橋を見ると、ぎょっとした顔になった。
困惑した様子で話し合った末、フェンスを抜けようとして彼を止める。
隊員の一人が呉橋に告げる。
「あなたを関与させないように命令されている」
「入れてください。応援要請は受けました。能力犯罪者を止めなければいけません」
「それはあなたを除いた六課に対してだ! 呉橋捜査官が現場に現れても追い返すようにこちらは言われている!」
別の隊員が強い語気でそう主張する。
しばらく睨み合いが続き、やがて呉橋が口を開いた。
「そうですか。では無理やり突破します」
刹那、呉橋は隊員の顎に肘打ちを炸裂させた。
さらに押し退けるように隊員を突き飛ばして跳躍する。
即席のフェンスを軽やかに乗り越えた呉橋は、騒然とする隊員を横目に駆け抜けた。
彼は怒声を背に受けて走る。
現場では大量の警官がパトカーの陰に隠れて銃を構えていた。
彼らの視線の先には体長十メートルを超える巨人が仁王立ちしている。
警官が断続的に射撃しているが、岩のような肌に弾かれていた。
ヘリからの狙撃も同様に防がれている。
巨人の足下には無数の死体や潰れたパトカーが散乱していた。
死体によっては色分けされたバッジを着けている。
それこそが能力者を示すバッジであった。
パトカーに隠れる何名かも同じを物を着けているが、歯噛みして待機している。
同僚の犠牲を目の当たりにした彼らは、攻め手に欠ける状態で難儀しているのだった。
そこに呉橋が現れる。
火炎放射器携える彼は、警官達の横を堂々と歩き去っていった。
仰天する者が多数いたが、巨人の前なので引き止められない。
歩み寄ってくる呉橋を見下ろす巨人は、不思議そうに頬を掻いた。
危険を感じないらしく、巨人は顔を寄せて呉橋に話しかける。
「なんだおめぇ……随分と変な武器を持ってんだな」
「お前を殺す道具だ」
「クク……面白い冗談だなァッ!」
巨人が拳を振り下ろした。
叩き込まれた一撃が地面に大きなクレーターを作る。
その中心地に呉橋はいなかった。
直前で攻撃を察知した彼は、数メートル右で火炎放射器を構えている。
ノズル先端の手のひらから真っ赤な炎が噴出して宙を舐めた。
軌道上にいた巨人は構わず呉橋に襲いかかる。
「俺に生半可な炎は効かねぇぞ!」
巨人はそう豪語するも、炎を顔に浴びた途端に動きを止めた。
ビルに衝突しながら転倒して悶絶する。
両手で押さえる顔面からは白煙と炎が上がっていた。
振り回された手足が地形を破壊していく。
「うぎょああああああぁぁっ!?」
「お前の力は高く見積もってもBランク上位だ。つまり同格の炎は通用する。ただの炎だと慢心したお前が悪い」
呉橋は冷徹に述べる。
彼は苦しむ巨人に向けて容赦なく炎を放ち続けた。
巨人の体表が高熱で徐々に焼き焦がされていく。
必死に抵抗しようとするも、呉橋は上手く距離を取って反撃を受けないようにしていた。
そこにメガホンを持った警官が大声量で呼びかける。
『呉橋捜査官、下がれ! 君は邪魔になっている! 追加の能力者が向かっているんだ! 君の出る幕ではないっ!』
命令された呉橋は止まらない。
まるで聞こえていないかのように炎を浴びせている。
威嚇射撃にも動じなかった。
呉橋の目は巨人だけを凝視していた。
追い詰められた巨人が吼えて、殴打の風圧で炎を吹き飛ばす。
そしてタックルの姿勢で呉橋へと突進した。
真正面から炎を受けても巨人のスピードは落ちない。
負傷を度外視した力任せな攻撃だった。
呉橋は炎で巨人の視界を遮ると、その一瞬でタックルの進路から逃れる。
巨人は放置車両を薙ぎ倒して建物に衝突した。
瓦礫と化した壁を鬱陶しそうに払い除けると、巨人は鼻息を荒くして振り返る。
呉橋は堂々と立っていた。
この期に及んで無表情に近く、ただし瞳だけが奇妙な色を滲ませて巨人を見つめている。
視線を交わした巨人はうすら寒い物を覚える。
呉橋は火炎放射器を構えて述べた。
「怪力系統にも種類はあるが、お前は筋肉の操作に特化したタイプだな。意識が乱れれば制御にもたついて、不意の一撃を受けやすくなる」
「この野郎……!」
「逆上するほど欠点が露呈する。その状態では万全の能力を発揮できない」
巨人が瓦礫を鷲掴みにして投げる。
前進して避けた呉橋はさらに炎を浴びせた。
絶妙な距離を保つ彼は、巨人の猛攻をあしらって攻撃を繰り返す。
そのうち警察の援護攻撃が始まり、巨人の拘束が進められた。
幾重にも絡まった蔦が巨人を大地に縛り付ける。
他にも数名の能力者がそれぞれの手段で巨人の自由を奪っていった。
呉橋は一部始終を眺めていた。
火炎放射器を捨てた彼は、懐から大口径の拳銃を抜いた。
彼は拘束中の巨人に狙いを合わせる。
呉橋の動きに気付いた警官の一人が叫んだ。
「おいやめろ!」
次の瞬間、拘束を破った巨人が立ち上がった。
周囲の警官に襲いかかろうとするも、その前に呉橋が発砲する。
黒い靄を帯びた弾丸が巨人の額を捉えた。
巨人は呆けた顔で停止すると、そのままうつ伏せに倒れる。
堅牢な巨体が急速に枯れて縮小し始めた。
一分もすると、萎びた老人の死体がそこにあった。
拘束にあたっていた警官達が呉橋に注目する。
呉橋は拳銃を下ろして言う。
「無抵抗のふりをしているのが分かったので攻撃しました」
「その銃は何だ。たった一発で倒すなんて……」
「銃ではありません。弾に呪い系統の能力者の骨が使われていました」
呉橋は拳銃に装填された弾を手のひらに出す。
黒い靄に覆われた弾を見て、警官達は顔を顰めた。
弾を装填し直した呉橋は、銃を懐に戻して説明する。
「飢餓の呪いが発動し、被弾者のエネルギーを糧に効力を増したのです。常人に大きな影響はありませんが、怪力系の能力者にとっては致命的でしょう」
「……その弾は認可されていないはずだ」
「非公式に拝借しました。能力犯罪者を殺すためです。それでは失礼します」
呉橋は有無を言わさずその場を立ち去った。
追いかけてくる警官はいない。
それが無駄な行為であることをよく分かっているのだった。
救急車とパトカーが駆け付けて負傷者を搬送していく。
そんな中、呉橋は水上の待つ車に戻った。
端末から顔を上げた水上は、呉橋に問いかける。
「お疲れ様。その腕、大丈夫?」
「問題ありません。軽傷です」
答える呉橋の左腕は出血していた。
上着の生地が破れて痣のできた肌が露出している。
巨人との戦闘で、四散した瓦礫が掠めていたのだった。
それを悟らせずに呉橋は立ち回っていたのである。
水上はハンドルに手を伸ばす。
「運転代わろうか?」
「結構です」
断った呉橋は車を発進させる。
周囲が現場処理に追われる中、二人は署への帰路を辿るのだった。