第1話 殺戮刑事
男は路地裏に停めた車の中で無線に耳を澄ませていた。
ノイズ混じりの無線の声は、淀みなく情報を伝えている。
『容疑者が繁華街を南へ逃走中。推定Bランクの能力者です。繰り返す――』
男はエンジンをかけて車を発進させた。
猛スピードで通りへ飛び出すと、赤い光とサイレンを振り撒きながら走る。
助手席に置かれた端末が着信を知らせていた。
男は前を向いたまま手に取って応答する。
端末から年長の男の声がした。
『呉橋。無線を聞いたか』
「はい。Bランクの能力者だと」
『つまりお前の出番ではない。くれぐれも捜査の邪魔をするなよ』
「俺は警察としての役目を全うするだけです」
通話を切った男――呉橋は無表情で運転を続ける。
彼は上司からの忠告を一切気にしていなかった。
ただ目的だけを見据えてハンドルを握る。
車が赤信号を突っ切ったところで、呉端は端末で別の人間に電話をかけた。
数コールを挟んで、今度は若い女の声が発せられる。
『もしもーし、クレちゃん?』
「水上さん、ナビゲートをお願いします」
『了解、任せて。それよりも課長が怒ってたよ。帰ったら説教だろうね』
電話の相手である水上は苦笑していた。
呉橋は表情を変えずに言葉を返す。
「別に構いません。ルール違反に罰があるのは当然なので」
『律儀だねぇ。過去の活躍を盾に開き直ったらいいのに』
「罰は罰ですから」
呉橋の意志は強固だった。
それを知る水上は、気さくな口調で道案内を始める。
車は速度制限を無視したスピードで街を走る。
『そこの交差点を右ね』
「はい」
『ちなみに容疑者は炎系の能力よ。派手にぶっ放してるから注意して』
「分かりました」
車がひと気の少ない道に入った。
前方を必死に走る男がいる。
ニット帽を被るその男は、逃げ惑う人々に炎を飛ばしながら駆けていた。
小脇に札束のはみ出したバッグを抱えている。
男を凝視する呉橋の目が豹変していく。
無感情だった瞳に、きりきりと別の色が滲み始めた。
握られたハンドルが小さく軋む。
アクセルの踏み込みで車が一気に加速した。
呉橋は淡々と報告する。
「捕捉しました」
『はーい、じゃあそのままやっちゃって。できたら生け捕りでね』
「それは約束できません」
『あー……まあ、うん。いつも通りだね。逆に安心したよ、うんうん』
水上との通話はそこで終わった。
助手席に端末を投げた呉橋は、猛速で容疑者の男に迫る。
呉橋はそのまま追突するつもりだった。
数メートル手前で気付いた男が跳んで躱した。
手から噴出させた炎で推進力を得ると、空中で回転して着地する。
車から出た呉橋は、散弾銃と刃物を持っていた。
前者はポンプ式の軍用で、後者は堅牢なサバイバルナイフである。
呉橋は二つの武器を手に男へ歩み寄る。
男は片手を呉橋にかざしながら怒鳴った。
「なんだテメェは!?」
「警察だ」
呉橋が散弾銃を発砲する。
男は炎の噴射で真横に跳んで避けた。
しかし弾が掠めたのか、右脚から血が流れ始める。
激昂する男は、再び呉橋に手を向けた。
「チッ、ふざけやがって! 丸焼きにしてやるよ!」
男の手から炎が放たれ、呉橋のいた場所を焼き焦がしていく。
勢い余って近くの店舗や車まで炙っていた。
動画を撮っていた野次馬達が慌てて逃げ出す。
勝ち誇る男は炎を消して、すぐさま怪訝な表情になる。
そこに呉橋の死体は存在しなかった。
男の視界の端で何かが光る。
外灯の光を反射させたナイフが、すくい上げるように突き込まれてきた。
仰天した男は大げさに飛び退く。
ナイフを持つ呉橋は、無感情な声音で述べる。
「炎系統の能力者は威力に慢心する傾向にある。だから視界が塞がろうと気にせず攻撃してくる」
散弾銃が火を噴き、男の左足を抉った。
間髪入れずに行われた射撃で、バッグを抱える右腕に無数の穴が開く。
男は苦痛のあまり絶叫した。
「ぎゃあああぁっ」
「放射口は手のひらのみか。溜めは平均して一秒といったところか。典型的なBランクだな」
「てめぇ、なぜそれを……!?」
「観察の結果だ。お前のような犯罪者を何人も見てきた」
呉橋はそう言いながら散弾銃を撃つ。
残る左腕も被弾でずたずたに耕された。
破れた衣服の合間から鮮血が漏れ出している。
呻く男が膝をついて項垂れる。
次の瞬間、顔を上げて炎を発射した。
今までで最も広範囲を焼く強烈な炎だった。
「ざまあみろ! 炎は口からも出せるんだよォッ!」
「知っている」
呉橋は男の背後に立っていた。
彼は焼けた上着を捨てて、男に散弾銃を突き付ける。
手足や顔に軽い火傷を負っているが、その冷徹な表情が歪むことはなかった。
呉橋は恐ろしいほど静かに告げる。
「お前の口の動きを見れば一目瞭然だ。不意打ちで逆転を狙っているのは分かっていた」
言い終えたと同時に、呉橋は散弾銃を連射する。
いずれも男の手足や尻といった部位を狙っており、頭部や胸を意図的に避けていた。
呉橋は弾切れの散弾銃を捨てると、ナイフで男の背中を切り刻む。
「いぎゃぁっ、痛い、痛い! 痛いぃっ!」
「そうか。お前が焼き殺した被害者はもっと苦しかったろう」
呉橋は顔色を変えず、執拗に男を苦しめた。
散弾で抉れた四肢を踏み砕き、ナイフの刃先で皮膚を削る。
致命傷にならないボーダーを見極めて痛め付けていた。
度重なる拷問により、男は虫の息となっていた。
アスファルトに多量の血を流して、抵抗もできずにただ倒れている。
呉橋は腰から自動拳銃を抜き取った。
男の後頭部に狙いを定めて引き金に指をかける。
「罪と罰は釣り合うべきだ。悪は相応の報いを受けねばならない」
「た、たすけ、て……」
「断る」
呉橋は発砲した。
それきり男は動かなくなった。
死亡を確認した呉橋は、踵を返して車へと戻る。
遠くのサイレンが近付きつつあった。
呉橋は車を発進させると、すぐに端末で連絡をする。
彼は通話相手に用件を告げた。
「課長、容疑者を殺害しました」
『……お前は、本当に』
「では失礼します」
呉橋はすぐに通話終了のボタンを押す。
それから署に戻るまで何度も着信があったが、彼が反応することはなかった。