連載小説を完結させるのは片想いを終わらせるのに似ている
皆さまも良き執筆ライフを!
こんにちは、聖属性エッセイストひだまりのねこです。
私、エッセイストなんですが、一応活動のメインは、ハイファンタジーの連載小説なのですよ。エッセイとファンタジーの二刀流、ふふふ、カッコいい。
去年からもう少しで8か月、書き溜めなしで毎日投稿して現在475話。120万字弱。
もう一本は、メイン作とリンクした作品で、こちらは週一投稿で現在51話、12万字。ちなみにこちらが週一投稿なのは、メイン作と物語の進行ペースを合わせるためです(笑)
まあ我ながらよく書いているなと自画自賛しているわけですが、最近ちょっと変なのです。
メイン作が最終章に入るなあという段階で、名状しがたい感覚に襲われまして。
これは一体なんだろうと考えて、すぐにわかりました。
これが作品が完結することに対する作者の未練なのだと。
この感覚ですね、アレに似ているんですよ。そうアレ。
片想いの相手に対していつまでも行動が出来ないアレです。
告白してしまえば、上手く行くにしても、玉砕するにしても、はっきり結果を出せるんですが、しなければいつまでも可能性を秘めたまま先延ばしが可能。
まさにそんな感じ。連載小説も延ばそうと思えばずっと連載可能なんです。例えば主人公の一生を描いて、次はその子どもといった感じにね。
先日、別の小説投稿サイトで読んだエッセイによると、なろう様の完結率は12%だそうです。ちなみにノベプラ様は10%。エッセイなどを除いた連載小説となると、さらに割合が減るでしょう。
皆さま、作品に対する愛が、片想いが止まりませんね。ふふふ。
物語を完結させるとは、自分と作品との関係を何らかの形で決着をつけることと等しいのです。
これは辛いでしょう。
大好きな、自分の分身であり、下手をすると自分自身よりも大切な作品を終わらせる。
だから完結できなくなる。もっと良い方法があるはず。今はまだその時ではない。
でも……その片想いを終わらせなければ次には行けない進めない。
そんな葛藤の中で書き手は日々悩み、苦しんでいるのかもしれないなあ。なんて私は想像するのです。
私? 私は終わらせますよ。私自身が次に進むために。何より愛すべき物語の登場人物たちを自由に解放してあげるために。
それができるのは作者だけ。私にしか出来ないことだから。
でもね、いつまでも完結させない、出来ないのも私は好きですよ。
なんか不器用な愛って感じで素敵じゃないですか。死ぬまで一緒だよみたいな? お前は誰にも渡さない!! みたいなのもありかと。
私もそんな情熱的な関係に憧れるのですが、残念ながら、私、モテるのですよ。
早く書いてくれっていう順番待ちが見えているので仕方ないのです。
やれやれなのです。
皆さまも素敵な恋(執筆ライフ)しましょうね!