CAR LOVE LETTER 「APOLLO13」
車と人が織り成すストーリー。車は工業製品だけれども、ただの機械ではない。
貴方も、そんな感覚を持ったことはありませんか?
そんな感覚を「CAR LOVE LETTER」と呼び、短編で綴りたいと思います。
<Theme:TOYOTA PRIUS(NHW20)>
まずい。これはまた非常にまずい。
今私は高速道路を走っている。予定ではもうこんな時間にはバラエティ番組でも観ながらビールを飲んでるはずだった。
しかし私の眼前にはお笑い芸人達の繰り広げる馬鹿ばかしい体を張った企画ではなく、赤いランプの長蛇の列が並んでいる。
そうだ。今この道路はもの凄い渋滞なのだ。
もう一時間位はこんな状態だ。妻も子供も動かない車列に辟易して、会話も途切れて陰湿な空気が車内を取り巻いているのだが、私は実はそれどころではない。
まずい。これはまた非常にまずい。
私は無意識に、指でハンドルをトントントントンと叩いていたようだ。
それに妻が気付き、苛立ちを込めてこう言ってきた。
「ちょっとそれやめてよ。どうしたの、さっきから。」
打ち明けるべきか一瞬迷ったが、いずれ話さなければならなくなるかも知れない。ならば、今打ち明けてしまおう。
「・・・ガソリンが、無いんだ。」
妻は眉間にシワを寄せ、えぇ?と聞き返す。
だから、ガソリンが無いんだよ。もう給油しなければかなりまずい状況なんだ。今すぐ動けなくなってもおかしくないんだよ。
だってこの車、ハイブリッドでしょ?と妻は言うが、ハイブリッドだからってガソリンが要らない訳じゃない。
普通の車に比べて減りが少ないと言うだけだ。
しかし失敗だった。前のサービスエリアでガソリンを入れておくべきだったんだ。
以前、西日本支社に出張した時に、本社から支社までの往復を無給油で余裕を持って走りきった私のプリウスだ。今回も十分余裕を持って帰宅出来るはずだったのだが、この渋滞は想定外だった。
どうもエンジンは走る為と言うよりも、バッテリの充電の為に動いている様な気がした。
そうか、渋滞をノロノロとモーターで走ってバッテリを使っているから、チョコチョコエンジンがかかっているのか。
ならばバッテリを節約すれば、サービスエリアまでのあと5キロをなんとかしのげるのではないか。
完全に電源を落としたいのだが、渋滞の車列は牛歩ではあるが進んでいる。そういう訳には行かない。
私はまず、一番電力消費量が大きそうなヘッドランプを消した。
どうせ渋滞だ。後続からも十分視認出来るであろう。私は次にスモールランプも消す事にした。
しかし依然としてエンジンはオン、オフを繰り返す。まだ何か無駄な電気を使っているものが、節約出来るものがあるはずだ。
「ラジオ、止めるぞ。」
別にいいけど、と言った顔をして、しかし少々不安気な表情で妻は私の人指し指の動きを追った。
何だか、この人生のピンチとも言うべき状況を工夫を凝らして乗り切ろうとしている自分が、まるで映画の主人公の様に思えてきた。
そうだ。宇宙空間での事故で絶体絶命の危機に瀕しながらも、見事地球へ帰ってきたあの映画、アポロ13の様じゃないか。
私は自分がまるで、トム・ハンクスの演じるアポロ宇宙船の船長の様な、そんな気がしてきた。
私は、トム・ハンクスが遠くに見える地球を親指で隠す仕草をするワンシーンを思い出し、サービスエリアの案内表示を親指で隠した。あと3キロ。
アポロが宇宙を漂っていた時、電力消費量は僅か豆電球一個程度まで抑えていたと言うじゃないか。
そんな状況で宇宙で生存し、地球へ帰って来たのだ。ここは地球だ。まだ減らせるモノがあるはずだ!
私はエアコンのスイッチに手を伸ばす。
それを見て妻が「ちょっと、何考えてるの!」と私を制止しようとする。
「ガソリンも、電気も・・・無いんだ!」私の頭の中はもうまるっきりトム・ハンクスだ。その一言にも、やけに力がこもる。
反面、かなり引き気味の妻。しかし私の気迫に負け、不満いっぱいの流し目で、もそもそとコートを羽織る。
今日は雪がちらつく真冬日だ。妻のあの目も分からんでもない。
エアコンが止まる。車内の暖かな風も止まってしまう。窓から冷たい空気が流れてくる。私も息子もコートを着込む。
静寂に包まれたと同時に、モーターのキーンと言うノイズと、時折掛るエンジンの振動が私の不安をかきたてる。
もう少し。もう少しでサービスエリアなんだ。
あと1キロのところまで来ているんだ。
すると息子が、「お父さん、・・・トイレに行きたい。」と言ってきた。またもや問題発生だ!
聞くとかなり我慢していて、もう限界ギリギリまで来ていると言うじゃないか!この寒さで助長されたか。
・・・そう言われると、私自身もずいぶん前からトイレを我慢していた事に気付く。
まずい。これはまた非常にまずい。
絶体絶命か・・・!
しかしそう思った瞬間、目の前の車列が左にウィンカーをともし、するすると進んで行くじゃないか!
・・・サービスエリアだ!ランプに向かって前を行く車が数台、勢い良く飛び出して行く。
今だ!!
私はまるで、アポロが地球への軌道に乗るためにロケットを噴射するかの如く、今まで足を載せていただけのアクセルペダルをぐっと踏み込む。
モーターとエンジンが最後のパワーを振り絞り、サービスエリアまでの緩やかなランプを力強く駆け上がる。
ついに来た!サービスエリアだ!
しかもうまい具合に、トイレ前のスペースが空いているじゃないか!私にはその駐車スペースが、太平洋の着水ポイントさながらに思えた。
ついに私達は、苦難の道のりを制したのだ。
すぐさまトイレに駆け込む私達家族。生きた心地とはこの事だ。
ついでに夕食もこのサービスエリアで済ます事にした。
冷えきったこの体に、暖かいうどんが最高の贅沢だった。
まだ渋滞の車列は続いているが、ここまで来れば次のインターで降りて、下道を走ってもそう変わらないだろう。
私はほっとして、家路までの安全運転を心に誓う。さあ、帰ろう!
「お父さん、ガソリン!」
おっと、いけないいけない!
危うくまた、宇宙漂流してしまうところだった。