生贄の少女
「今年の生贄はお前だ、サクヤ」
朝早くに村長の家に呼び出されたアタシは、開口一番にそう言われた。
生贄、それは毎年春の季節になると村の娘から選ばれる人柱だ。
4年前に大狼の魔物がこのラクーナ村に来て以来、例年のように選出されてきた。
最初の年は村長の一人娘が。
翌年には怠け者だが美しい少女、その次は私の親友だったシェーネ。それに続くように、昨年はシェーネの妹のエンちゃんが生贄に選ばれた。
そして、今年はアタシの番というわけだ。
正直、前々からこうなる予感はしていた。
大狼の供物として選ばれる生贄は、容姿が整った女達だ。
4年前、村一番の美女として名高いトウカさんが最初に居なくなって、年を数えるごとに村の綺麗な人達は生贄となって消えて行った。
その中には、アタシの親友とその妹もいる。
両親が他界して、妹と二人で暮らしていたシェーネは苦しい生活だったろうに、弱音を吐いたところを私はみたことがなかった。私は彼女のそんな強いところを親友として尊敬していた。
シェーネは綺麗な髪をしていた。アタシはその髪を眺めるのが好きだった。
彼女は美しかったが、そのせいで生贄となって死んでしまった。
そして、五人目の生贄となるアタシは彼女ほど美しい容姿をしているわけではない。
五番目に選ばれるという時点でお察しだろう。
そこそこの容姿で、子供を身ごもってないという理由だけで生贄に選ばれたのだ。
同年代のアタシと同じくらいの容姿の娘を探せば、生贄に選ばれたくないからと好きでもない相手とまぐわって、子供をお腹に抱えている。
皆、そうすれば生贄に選ばれないと知っているからだ。
でも、アタシはそんなの御免だった。
たとえ生贄に選ばれて死ぬことになったとしても、好きでもない男の子供を身籠るなんてまっぴらだ。
最後の時まで気高く振る舞っていたアタシの大切な親友シェーネのように、アタシも死ぬ間際まで自分の心に正直に生きていたい。
「……構いませんよ。アタシだって、散々生贄として運ばれていく女の子達を黙って見捨ててきたんですしね」
皮肉るように、アタシは村長の前で自嘲する。
そう、大切な親友が生贄として洞窟内連れていかられた時さえも、アタシは見捨ててきたのだ。
そうしなければ村の人全員が大狼に喰われてしまうから。
アタシは保身のために親友が死ぬのを見送った。
本当に……醜い。
「お前の両親には既にこのことは伝えてある。……すまんな」
村長が頭を下げてアタシに詫びてくる。
この人も4年前と比べて随分と老け込んだものだ。
一人娘を生贄として大狼に捧げたことを悔いているのだろう。
アタシにもその気持ちはよく分かるよ。
アタシが後悔したのは、親友がいなくなったのを実感した2日後のことだった。
罪悪感で胃の中のものを全て吐き出して、それからしばらくは水を飲んだだけで吐き出してしまうくらい重症だった。
ついには心も荒れ果てて、アタシを心配する両親や妹に当たり散らして傷つける始末。
そんなアタシを助けてくれたのが、シェーネの妹のエンちゃんだった。
彼女は甲斐甲斐しく世話をしてくれて、アタシが吐き出すたびに背中を摩ってくれた。
シェーネが死んで辛いのはエンちゃんだって同じ、いや、肉親だったエンちゃんは私よりもその苦しみは大きいだろうに。
アタシもそんなエンちゃんのおかげで、次第に精神は安定していき、元の生活に戻っていくことができた。
翌年、エンちゃんが生贄に選ばれた。
それも、アタシに知らせることなくエンちゃんは大狼の生贄に選ばれ、アタシが全てを知ったときにはもうエンちゃんはもう大狼に捧げられた後であった。
その時からだろうか。
生きていることが辛くなったのは。
エンちゃんが居なくなった事実を理解した私は、誰かを恨むでもなく、食べ物を戻すでもなく、ただ生きていることに疲れてしまった。
一度は自殺も考えたことがあったが、トウカさんやシェーネとエンちゃんの命のおかげで生きていると考えたら、どうしても自分の意思で死ぬことは出来なかった。
それからの毎日はあっという間に過ぎていって、気がついたら一年が経っていた。
そして、今日という日がやってきたのだ。
村長と他数人の男達に連れられて、私は村の南出入り口にまで連れてこられる。
魔物対策に周りを木製のバリケードで囲われた、同じく木製の門を村長が開く。
「サクヤ……ワシが送れるのはここまでだ。あとはこの二人と共に、三人で生贄の祭壇まで向かっておくれ」
村長は一緒に付いてきた背後の二人を指し示す。
人相の悪い二人組だ。小さな村だけど、話したことも数回程度しかない。
私は彼らから視線を逸らす。
この門をくぐれば、アタシはもう二度とこのラクーナ村に帰ることはないだろう。
最後にこの村の景色を目に焼き付けるべく、振り返って村の全容を見渡した。
すると、村中のほとんどの人達がアタシが生贄にされていく姿を見にきていた。
哀れに思って涙を浮かべる人、無関心に遠目からアタシを眺めている人、一年に一回の行事だと面白がっている人。そして、馬鹿な女だと嘲りの表情を浮かべている人。
様々な思いを抱えた人々がこの村にはいる。
アタシも、去年までは向こう側だった。
こうして冷めた頭で眺めていると、この村の人達のために生贄になる必要があるのか疑問に感じる。
でも、両親と妹だけは大事だ。あの人達のためにも、アタシが犠牲になる必要がある。
幸い、妹の姿はこの場にはなかった。
まだ寝ているか、両親が家の中に押し止めているのだろう。
もしこの場にいたら、きっと泣きじゃくって他の人達に迷惑をかけていただろうから。
だから、いなくてよかった。
最後に残った家族に対する未練をアタシは断ち切って、男たちと一緒に生贄の祭壇のあるラクーナ村の南端に広がる、リメーク大森林の中へと入っていった。
鬱蒼とした木々の隙間を縫って、アタシ達は生贄の祭壇と呼ばれる洞窟に着いた。
道中魔物に出会うこともなく、問題一つ起きなかった。
認めるのは癪だが、これは大狼がこの森に住み着いた恩恵だ。
強大な魔物が村の近くに縄張りを張ることによって、他の雑多な魔物が出なくなった。
「ここが、生贄の祭壇……」
とてもそんな厳かな名前が付くような立派な洞窟には見えない。
暗くて、ジメジメとして、荒れ果てていた。
シェーネもこの場所に来たとき、アタシと同じ思いを抱いたのだろうか。
「おい、さっさと行けよ! お前がノロノロとしてるせいで俺達まで巻き添えを食うのはごめんだぞ!」
「今更逃げようったってそうはいかねえぞ。俺たちがお前に付いてるのは逃亡を阻止する為なんだからな」
「………別に逃げようなんて思ってないわよ。感傷に浸ってただけ。言われなくても直ぐに行くわ」
最後に見る人の顔がこんな奴らだとは、最悪だ。
アタシはこれ以上やっかみを言われる前に、洞窟の中に足を踏み入れた。
「よし、これで仕事は終わりだな。帰って酒でも飲もうぜ」
「お、いいねえ。にしても、今年の生贄は例年に比べてイマイチだったな。あれで狼も満足してくれたらいいんだが」
「しゃーねえだろ。村の美人連中は軒並みもう狼が喰っちまったんだから。来年はアレより質が落ちるんだろ? その時こそ心配するべきだな」
遠ざかりながらも、男たちの不快な会話が私の耳に届く。
あんな奴らのために、シェーネとエンちゃんは命を捧げたのか。沸沸とした怒りが腹の底から湧き上がってくる。
一言文句でも言ってやろうと振り返れば、男達の姿は既になくなっていた。
「クソ野郎ども」
頭をガシガシと掻いてアタシは苛立ちを抑える。
どうせもういない人のことで、アタシはなにを怒っているのだろう。
アタシが怒ったところで、彼女はもう怒ることも笑うこともできないのに。
「……はあ、行きますか」
溜息を吐いて、アタシは洞窟の中を進んでいく。
奥に行けば行くほど、外の光は届かなくなって、洞窟内は暗黒に支配される。
暗闇に包まれ、アタシの目にはもう何も見えなくなっていた。
ごつごつとした手触りの洞窟の岩壁に片手をついて、壁伝いになんとか前に前進する。
先へ進んでいくと、やがて鼻腔に激しい獣臭を感じるようになる。
アタシはその臭いにたまらず眉を顰める。
獣臭がするということは、恐らくもう近くに大狼はいるのだろう。
流石に緊張してきたアタシは、ゆっくりと歩を進ませる。
すると、顔に暖かい風を感じた。
大狼に会うことなく、別の出口に着いてしまったのだろうか。
初めはそう思っていた。
だが、それは直ぐに違うと分かった。
なぜならその暖かい風には、今まで以上に濃く激しい獣臭が混じっていたからである。
そう、まるで目の前に大狼がいるかのような───
アタシがそう思った瞬間、金色の横線が目の前に走った。
その横線は徐々に大きくなっていき、まん丸の形になる。
暖かい風は、出口から流れる春の温風ではなく、大狼の鼻息だ。
そして、目の前の金色の丸い物体は、大狼の瞳だった。
アタシは大狼の目と鼻の先に立っていたのである。
金色の瞳が、ギョロリと動いてアタシを捉えた。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!!!!」
アタシは恐怖に駆られて、叫び声を上げてしまう。
死ぬ覚悟でこの場所にやってきたというのに、本当に情けない。
死んだらシェーネに会える。エンちゃんにも謝れる。そう思っていたのに、自然とアタシの足は洞窟の外へと向かっていた。
怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。
実際に目の前で自分に死をもたらす存在を見て、アタシはそれしか考えられなくなっていた。
「ふぁ〜あ。なんだ? ああ、そうか、今日が生贄を運んでくる日だったか。おい、逃げるな。逃げたら村の奴ら全員喰い殺すぞ」
大狼のそう脅してきても、アタシは足を止めなかった。
今はただこの場所から逃げたい。その一心で、足を動かす。
「チッ。今年の生贄も逃げ出すのか。今度からは逃げないのしろって条件を付け足しておくか」
大狼の話など耳に入っておらず、アタシは暗闇の中を訳も分からずただひた走った。
「あっ!?」
視界が制限された中で走ったせいか、アタシは足がもつれて転んでしまう。
「鈍臭い奴だ。まあ、我からすれば楽で助かるが」
二つの金色の瞳がアタシを捕らえて離さない。
その瞳から流れたい一心で、アタシは目を瞑った。
「………なんだ、貴様は……!?」
大狼から、驚愕の気配が伝わってきた。
その驚きの声は、アタシに向けられたものではない。
では、いったい誰に向けられたものなのだろう。
アタシ以外、この洞窟にやってくる人なんて居るはずがないのに。
大狼がアタシをぬか喜びさせるために、演技をしているのかと思ったアタシは、少しでも逃げるために這って地面を移動しようとした。
だが、そこで何かにぶつかった。
いや、この感触は何かというよりは、誰かというような─────
「遅れて悪い。そんで、後は任せろ。クソみてえな生贄の風習は、今日で俺が終わらせるから」
顔も姿も見えない男の人は、たしかにそう言って、アタシを庇うように大狼の前に立った。
守ってくれる人がいる。それだけで、アタシはなんだか救われたような気がした。