ゾンビマン
ふう……なんとか間に合ったが、マジで間一髪、ギリギリのところだった。
俺が助けに入った時、大狼と少女の距離は1メートル程度しか空いておらず、襲われる寸前だった。
こりゃいかんと急いで間に割って入ったのだが、幸いなことに大狼は俺を警戒して動くことはなかった。
俺の背後でスーツの裾をギュッと掴んでいる少女の姿を確認する。
見た感じ、大した怪我はなさそうだ。間に合って本当によかった。
俺は彼女の無事を確かめると、改めて大狼と向き合う。
大狼はギラギラとした金の瞳でこちらを睨み、隙を窺っている。
それにしても、非常に大きい身体だ。
全長は前世での15メートルくらいあるんじゃないかと思う。
灰色の厚い毛並みで覆われた身体は威圧感を見るものに感じさせる。
そんな大狼と、俺は今一対一で向き合っていた。
まだ他の子達は追いついていない。
一度走り出したら、自分でも驚くほどのスピードが出て、俺は一足飛びで悲鳴が聞こえたこの場所まで着くことができた。
だが、トウカ達は違うようで、未だ現場には現れない。
少し離れた所から走る音が聞こえるため、こちらに向かってはいるようだが。
「貴様……一体どうなっている? 貴様からはまるで生気を感じない。気色が悪いぞ。疾く失せよ」
大狼は睨め付けるように上から俺を見ている。
俺はそんな大狼を気にすることなく、背後にいる生贄に選ばれた少女に話しかける。
「危ないから、少し離れていてくれるか? すぐに片をつけるから、それまでの間だけ」
「あ……はい!」
彼女は小さく頷いて、俺のスーツの裾から手を離してくれた。
そして、たどたどしい歩調で出来る限り距離を取ろうと歩き出す。
それを見た大狼は目付きを鋭くさせると、鋭い牙の生えた大きな口を開いて吠え叫ぶ。
「誰が生贄が逃げていいと言った!!」
その大声に少女はビクッと肩を震わせ、足を止める。
大狼が恐ろしいのだろう。あの太く鋭い牙で噛まれたら、唯の人間であれば一噛みであの世行きは免れない。
過去にあの牙で命を落とした、トウカたち過去の生贄がいる分、彼女には牙が自身に死をもたらすものだという意識が強いのだろう。
「そうだ、そのまま待っていろ。逃げたら貴様の村の人間全員を喰い殺───ガハッ!?」
「もういいから、黙れよお前」
大狼の話の途中で、俺は思いっきり顔面に蹴りを叩き込んだ。
その灰色の毛並みを辺りに散らしながら、4、5回洞窟の中をバウンドして吹き飛んでいく。
蹴り込んだ時の衝撃で脚の骨からバキッという音が聞こえた気がしたが、痛くないので問題はない。
実を言うと、先程からずっと俺は我慢の限界だった。
何度も言う通り、俺は死が嫌いだ。それに付随する、誰かを殺す奴も許せない。
俺は拳を握りしめる。
「立てよ犬っころ。お前が殺した人たちの痛みと苦しみを、おまえの身体にも叩き込んでやる」
「調子に乗るなよクズが……!」
大狼は少しフラついた様子を見せるが、たいして身体にダメージは与えられていないようだった。
その証拠に、こちらを睨む金眼は、微塵も覇気が衰える気配がない。
むしろ、俺を殺す気満々って感じだ。
俺は拳の調子を確かめるように、洞窟の壁に拳を叩きつける。
壁は大きな破砕音を立てて砕け、洞窟の端端に亀裂が走った。
クジョウも言っていたが、身体能力の向上が凄まじい。
それに、痛みもない。推測だが、痛みがないことで脳のリミッターも外れて、人間以上の力が引き出せているんじゃないかと思う。
これだけの力があれば、どんな奴とだって戦える。
「来いよワンちゃん。それとも、首輪でリードしてやらないと歩くこともできないか?」
「……殺す」
大狼の目付きがより鋭くなる。
低い声で唸ると、後ろ足を折り曲げ、前足を地面に根付かせるかのようにピンと立たせる。
それはまるで、陸上選手のクラウチングスタートの構えに似ていた。
あ、れ……?
なんかヤバげな雰囲気……。
「グッハアッ!?」
気がつけば俺は、身体を三分割に裂かれて洞窟の壁面に叩きつけられていた。
頭、上半身、下半身と分かれて、作りかけのプラモデルみたいな状態だ。
「グ、ガアアアアアアア!?」
洞窟内に響き渡る絶叫。
だが、これは俺の声ではない。
叫んでいるのは俺を引き裂いた大狼自身だ。
「腕が!? 我の腕がアアアァァァア!!」
大狼は地面をのたうち回っている。
よく見ると、俺の身体を三分割にした右の前足がドス黒く変色している。
俺はその事について、心当たりがあった。
恐らく、俺を爪で引き裂いたせいで大狼の身体がゾンビ化しているのだろう。
俺の血を浴びると、たとえ死体であってもゾンビ化するのだから、生者の場合もまたしかりだ。
「ぐぅううっ! クソがぁ!!」
そう言うと、大狼はゾンビ化しつつある自身の右前足を牙で噛みちぎった。
千切れた右足からは、血が止めどなく溢れている。
「ハア……ハア……危ないところだった。あと少しで肉体を悍ましいナニカに乗っ取られるところだった……」
「失礼な奴だな」
俺は分割された身体を自力でくっつけながら、口を尖らせる。
裂かれた身体同士を近づければ、切断面は直ぐに塞がった。
大狼は出血多量のせいか、息を荒くする。
しかし、黄金の瞳に宿る光は決して揺るがない。
「何なんだお前は……! 魔物なのか? いや、違う。こんな悍ましい奴が魔物である筈がない! 化け物め!! 貴様のような奴がこの世に出たら世界が滅びる! ここで我が消さなくてはならないッ!!」
酷い言われようだ。
一回蹴っただけで、ここまで悪口を言われるとは思わなかった。
器の小さい狼である。きっと今まで痛い目に遭った事がないに違いない。
大狼は三番の足で器用に立ち上がると、再び俺と対峙する。
硬直状態となり、俺たちの間に静寂が訪れる。
それにしても、トウカ達遅いな。
走ってる音も聞こえなくなったし、あいつら人任せにしてるな?
「さっきは思った以上の速さに面食らったけど、その足じゃあもうあんなスピード出せないだろ」
俺は挑発するように大狼に問いかける。
「この我を舐めるなよ化け物。動けずとも攻撃する手段くらい持っている!」
大狼は大きく口を開くと、俺の身体は吹き飛んだ。
見えない砲撃だろうか。俺は空中を舞いながら、冷静に考える。
目には見えなかったが、大狼の咆哮が弾丸のように固まりとなって発射されたのだろう。
漫画などで見たことあるから分かりやすい。
大狼の咆撃は止めどなく撃たれる。
その度に身体の一部が弾けて、肉片が辺りに飛び散った。
俺が地面に落ちた後も、大狼は油断なく咆撃を浴びせ続けた。
洞窟の地面がえぐれ、土煙が辺りに舞う。
「ハア、ハア、ハア……これだけ攻撃を続ければ、さすがにあの化け物も死んだろう……」
大狼はホッと息を一息ついて、攻撃の手を止める。
俺はその一瞬の隙を見逃さなかった。
「ッ!?」
眼を大きく見開いて、大狼が驚愕しているのが手に取るように分かる。
それもそうか。片側の視界がないから、たぶん頭の半分くらい吹き飛んでるし、右半身もどっかにいっている。
どうして生きてるのか分からないだろう。
「お前はいったい、何なんだ!!」
「ただの、ゾンビだよッ!!」
俺は雄叫びと共に、真っ赤な血が滴る左手を貫き手の形にし、大狼の巨体を突き貫いた。