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悪を成す


「はぁ……はぁ……」


歩く度全身に響く痛みに耐えながら、ようやく所定の場所へ来たセロス。

崩れる様に木の影に座り込み、追手を警戒するがその影はない。どうやら、今回は生き延びた様だ。

意識が朦朧とする中、セロスの耳には馬の軽快な蹄の音が聞こえてくる。

方向からして追手ではない。ならば答えは一つ。


「っ!大丈夫か!セロス!」

「ああ。なんとかな……。辺境伯の娘は……」

「仲間が先にアジトへ連れ帰った。俺はお前を迎えに来ただけだ……あの日以来だな。お前のこんな姿は」

「そうだな……」

「これを飲め。乗れるか?早くアジトへ帰ろう」

「ああ」


ファウロから渡された回復薬(ポーション)を飲み干し、なんとか自力で立ち上がれる程度には回復したが、完全に傷が癒えたわけではない。

ファウロに馬に乗せられアジトへ帰還する間、セロスは眠りに就いた。自分の過去を、夢見ながら。


「勝者!セロス!」

「「「おおおおおおおお!」」」


闘技場に鳴り響く歓声は、傷だらけのセロスにとっては耳障りな騒音でしかなかった。

満身創痍になりながら医務室へ行くも、支給されるのは質の悪い回復薬(ポーション)と包帯だけ。

死闘を繰り広げた勝者に与えられる報酬は、僅かな金銭と次の試合。

地獄の様な毎日を生き続けるセロスの唯一の希望は、闘技場で十五連勝した者にのみ与えられる市民権だった。


ここは、大陸の西に位置する戦士の国、パルトデール王国にある闘技場。奴隷として連れてこられた者が殺し合う、地獄の場所。

親を魔物に殺され孤児となったセロスは、奴隷商人に拾われ、とある貴族に売られた。子供ながらに過酷な労働をさせられたセロスは、成長するにつれて強靭な肉体を手に入れた。

セロスが15歳になった時、この闘技場へ連れてこられた。

セロスが勝てば貴族に金が入る仕組みらしく、初めはセロスを勝たせる為に武器や防具を買い与えた貴族だったが、セロスが三連勝を果たした時、セロスは闘技場の管理者に売られた。

それ以降、劣悪な装備によって苦戦を強いられるも、持ち前の強靭な肉体に加えて、闘技場へ来て初めて開花した戦いの才能によって、人間、魔族、魔獣といった強敵を相手に勝利を積み重ねたセロス。

そして、遂に十四連勝を上げた。

あと一勝。あと一勝で、この地獄から解放される。


「さぁ!最強の剣闘士セロス!見事、十五連勝を上げて奴隷から這い上がれるか!それとも、ここで惜しくも死んでしまうのか!?」

「「「セロス!セロス!セロス!」」」


闘技場の観客がセロスの名を叫ぶ。

しかし、それは声援ではない。会場を盛り上げ、死闘を繰り広げて殺し合いを望んでいるだけだった。


「そして!そのセロスの相手は!なんと!あの魔法都市出身のエリート魔導師!ザーゼッシュ・グーフォード!」

「「「おおおおおおおお!」」」

「魔導師?」


セロスが相手の入場口に注視すると、一人の男が観客に手を振りながら歩いてきた。

白を基調とした衣服に、豪華な装飾が施されている。どう見ても、この闘技場で戦わされている奴隷ではない。


「初めまして。剣闘士セロス。紹介に預かったザーゼッシュ・グーフォードだ。今日は楽しもう」

「……お前みたいなやつが、なぜ俺の相手なんだ」


この闘技場は、連れてこられたり、売られた奴隷の他に、賞金目的に出場する者もいる。賞金が目的の者は、同じく賞金を目的に出場した者と試合を行う。

奴隷も同じ仕組みで、相手は同じ奴隷か、魔獣のどちらか。

しかし、目の前の魔導師は、奴隷でもなければ、到底魔獣にも見えない。

では、なぜ自分の対戦相手にこの魔導師が立っているのか。セロスの疑問は当然だった。


「ここの管理者に頼まれてね。君なら見事十五連勝するだろう。それで、君には悪いけど、私が君の勝利を遮る事になった。許してくれ」

「……腐ってやがる。どいつもこいつも」


だが、やることは変わらない。ただ、勝てばいい。それだけだ。


ゴーン!


試合開始の合図と共に、セロスはザーゼッシュ目掛けて剣を持って突撃した。


「勝者!ザーゼッシュ・グーフォード!」

「「「おおおおおおおお!」」」


試合開始から、十分後。会場に響く歓声は、血を流して倒れているセロスの耳には届いていなかった。

次に目を覚ました時、死後の世界だと勘違いしたが、見覚えのある天井に嗅ぎなれた血の匂いで理解した。

死に損なった。結局、またこの地獄へ帰ってきた。


「頑丈だな貴様は。傷が癒えたらまた稼いでもらうぞ。死んだら捨てる」


朦朧とした意識の中で声だけが聞こえて、言葉の意味は理解できなかったが、それが誰かは理解できた。この闘技場の管理者、ボード・カンギフ。闘技場で富豪になった男だ。

また、地獄の様な日々が始まる。もし仮に十四連勝した所で、またあの魔導師に勝利を妨げられる。次は死ぬか、また死に損なうかのどちらか。


(どうすればいい。どうすれば、この地獄から解放される?)


違う。解放されるなんて考えが、そもそも間違っている。


「この地獄を……破壊してやる……」


セロスの肉体は奇跡的に回復した。

そして、再び地獄の様な毎日が始まった。

だが、以前の様にただ地獄で苦しんでいただけではない。密かに学び、磨き、完成させた。


「<秘剣・(ほむら)返し>!」

「なんだとっ!」


セロスが炎の斬撃として打ち返した魔法は、ザーゼッシュ自身に直撃した。

炸裂する炎に呑まれたザーゼッシュが次に姿を現した時、全身に重度の火傷を負い、セロスには肉が焼ける匂いが漂った。

そして、ザーゼッシュは糸を切られた操り人形の様に、バタンと地面に倒れた。


「しょ……勝者は……セ、セロス!」

「「「おおおおおおおお!」」」

「「「セロス!セロス!セロス!」」」


セロス、十五連勝達成。

遂に自らの手で掴み取った地獄からの解放という希望。当然、それをよく思わない地獄の管理者が立ちはだかった。


「お前は用済みだ。あのお方から借りた魔導師を失った以上、俺も面子を守る為にお前の首を土産に持っていく必要がある。だから、死ね」


セロスの下へやって来たボードは、懐から長々と文章が書かれた洋紙を取り出した。

それは、奴隷を奴隷たらしめる制約書。奴隷はその制約書を持つ者には逆らえない。


「跪け」


ボードがセロスに命令する。

一流の戦士であるセロスでも、制約書の前では無力であり、無様に跪きボードに首を差し出すしかない。

戦闘技術の無いボードでも、自ら首を差し出すセロスの首を撥ねる事など容易い。

だからこそ、ボードは護衛も連れずセロスの前に現れた。

しかし、それは間違いだった。


「なぜ……跪かない!私の命令を聞けセロス!首を差し出し跪け!」

「お前も地獄へ行ってこい。ボード」

「っ!」


セロスの剣が振られたと認識した時には、ボードの首は胴体と切り離されていた。

声を上げる間も無く血を噴き出し、胴体が倒れ首が地面を転がる。

何故、セロスは制約書による支配の力を受けなかったか。その原因である一人の男が、セロスの居る部屋に入室した。


「やはり。お前ならやってくれると信じていた」

「礼を言うファウロ。お前のおかげだ」


セロスの右腕であるファウロとの出会いは、この闘技場だった。

ファウロもセロスと同じく、奴隷としてこの闘技場に連れてこられた。この闘技場からの脱出を図っていたファウロは、セロスが密かに魔導師を倒す技を身に付けている事に気付いた。

しかし、もし仮に魔導師に勝てたとしても、制約書がある限りセロスはボードには逆らえない。

そこで、ファウロはセロスの制約書を他の奴隷の制約書とすり替える策を取る。

当然、奴隷のファウロ一人で成しえる事ではないが、奴隷以外の協力者を得るにも苦労しなかった。ボードに不満や恨みを持つ者が、それだけ多かったという事だ。


「試合中にすり替えた事がばれないかと心配したが、最高の形で制約書を持ち出したみたいだな」

「そうか。俺はその心配はしていなかったが」

「なぜ?」

「ボードは魔導師が負けると微塵も思っていない。だから制約書を手元に置かない。その確信があっただけだ」

「そう思わせる程、あの魔導師は強かった。だが、お前は勝った」


制約書の支配から解放されたセロスを止めれる者は、闘技場にはいなった。

全ての奴隷の制約書を焼き払い、闘技場の奴隷達を解放したセロス。

当然、そんな事をすればパルトデール王国から追われることとなるが、セロスは闘技場の奴隷達と共に激戦を繰り広げて追手を振り払い、グランザール王国へ足を踏み入れた。

しかし、解放された元奴隷の集団は、直ぐに大きな壁に直面する。身体に刻印された奴隷の紋章は消えず、奴隷だった証を持つセロス達を受け入れる場所は何処にもない。

救いを求めて教会を訪ねた事もあった。

だが、教会ですらも奴隷の紋章を持つセロス達を受け入れる事はしなかった。

そんな彼らが、盗みに走るのは至極当然の帰結と言える。生きる為には、そうするしかないのだから。


「……懐かしい夢だ」

「起きたかセロス。大丈夫か?」

「昔の夢を見た……俺もいよいよみたいだ」

「セロス……」

「安心しろファウロ。目的は必ず果たす」

「心配はしていない。お前ならやれるさ……」


アジトの洞窟で目覚めたセロスの体は、治療が施され包帯が巻かれている。

軽く体を動かそうとすれば、節々に鈍い痛みが走り苦悶の表情を浮かべるセロス。


「辺境伯の娘はどうだ?」

「眠り粉を嗅がせた。今は大人しく眠っている」

「そうか。後は、勇者を待つだけだな」


あの勇者は娘を見捨てない。必ず一人で来るはずだ。そうでなければ困る。

そんな思いを持つセロスだからこそ、血相を変えた仲間の知らせに驚愕を隠せなかった。


「大変だセロス!森が!」

「何があった?」

「森が!燃えてるんだ!」

「何っ!」


セロスとファウロが慌てて外へ出ると、信じられない光景に理解が遅れる。

目の前に広がっていた緑の自然は、赤く燃え盛る炎の色に染まっていた。


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