襲撃
クリスタル王国の北西に位置する隣国の人間種国家、グランザール王国。
七百年のという長い歴史を持ち、その最盛期は大陸最大の領土を誇り、魔族国家に対する影響力も持ち合わせていた。
その繁栄の影には、グランザール王国の歴史の立役者である、星界の巫女の存在が大きい。
干ばつが起きれば雨を降らせ、嵐が起きればそれを治め、戦争が起きれば勝利へと導く。グランザール王国が窮地に陥った時には、必ず星界の巫女が救いの手を差し伸べて来た。
グランザール王国が最も繁栄した五百年前、魔王軍による侵略が開始。
後に、種族の垣根を越えて連合が結成される事となるが、初めは人間種の国家だけで魔王軍を相手していた。
当然、最も国力のあるグランザール王国が対魔王軍の主戦力となり、負担も大きかった。
グランザール王国が敗戦を重ね始めた頃、対魔王軍を掲げた連合が結成される。魔族国家の参入で、一時は戦況は好転したかのように思われたが、魔王軍の誇る十二人の幹部が直接介入を始め、再び戦況は悪化した。
しかし、この窮地においても、星界の巫女は救いの手を差し伸べた。
勇者召喚。この偉業により、グランザール王国は魔王軍を押し返し、遂には勝利を手にした。
魔王軍に勝利した後は、勇者召喚の功績から連合の主導国的な立場となり、グランザール王国は更なる繁栄の道を辿るかの様に思われた。
戦後、最も多くの損害を出したグランザール王国の国内状況は悲惨なもので、食料不足を始め、徴兵された男性の多くが死亡した事によって、深刻な労働力不足が発生。
食糧不足は、肥沃な農耕地帯を持つクリスタル王国から購入する事で、辛うじて持ち堪える事が出来たが、財政を圧迫する結果をもたらした。
一方、労働力不足は早急に解決できるはずもなく、当時の国王が採った政策が種族間移民政策。連合が結成された事で、人間種と魔族が国交を樹立し、互いの国を行き交う様になった。
そこで、人間種のみならず魔族にも市民権を与え誘致する事で、国内の労働力確保を図った。
結果としては、最低限の労働力確保には成功し、窮地を脱した。
しかし、この政策によって新たな問題も発生した。
五百年という長い年月の中で魔族が繁殖し、都市や村で当然の様に魔族が生活している多種族国家へと変貌を遂げたグランザール王国。
それにより、能力に優れた魔族が市場を占める割合が高くなり、重要な役職に就く魔族も現れ始めた。
例えば、ドワーフの職人の造る物は低価格な物でも品質が良く、高価格の物なら一生ものに出来る程優れている。これにより人間種の職人の造る物は売れなくなり、生活が困難となる。
他にも、王国軍では獣人族が将軍として就いており、その武勇は良く知られている。
この様な事態は、自然と魔族排外主義を掲げる集団を生み出し、魔族に対する暴行や傷害、最悪の場合は殺害事件に発展した。
こうした歪みが王国を蝕み、いずれは内側から崩壊の結末を迎える。いつからか、王国に住む者達はそんな言い表せない不安を感じていた。
辺境伯に仕えるオルデン・ファークロフトも、その一人だった。
「ダブロス様、次の農村の訪問で最後となります」
「ふう……ようやく最後か。まったく面倒だ」
「ご辛抱下さい。ダブロス様のご訪問によって民達の不安は和らぎます」
「分かっておる。反乱でもされたら面倒だ」
「ありがとうございます」
近頃、王国の各地で農村が野盗の被害に遭い、深刻な問題となっていた。
それも一時的な被害ではなく、継続的に各地で勃発し、国王は遂に軍を動かす事を決断をした。
しかし、軍は一向に成果を上げる事が出来ずに、国民は不安と不満を募らせていた。武器を持った農民による反乱が起きた所もあり、各地の領主達も対応に追われた。
ダブロス・フェン・ルスタイン辺境伯も、領民の不満を解消する為に農村を訪問していた。
「お父様!エリーは退屈です!王都に居る友人に会いに行きたいです!」
「我が儘を言うでないエリ―。お前も領主の娘なら私を見習い、民を案じる良き領主を演じるのだ」
「嫌ですわ!野盗なんてエリ―には関係ないですもの」
「やれやれ、困った物だ」
馬車の中で駄々をこねる娘のエリーを見て、オルデンは心底呆れていた。貴族の娘が全員エリーの様な自分勝手では無い事は知っているが、雇い主であるダブロスの命令があれば、彼女を命を懸けて守らなければならない。
割に合わない仕事。多少剣の腕が立つからと辺境伯に仕えて八年、騎士という職業も苦労が多い。王国軍に所属したいところだが、王国軍では自分の剣の腕は平均より少し上程度だろう。
将来に不安を抱えるオルデンは、馬車が停止した事で思考を仕事へ切り替える。馬車のドアを開けて、外に降り立った。
最後の村でダブロスが村民と顔を合わせ、村民達の日々の不安や不満を受け止め、ダブロスが改善の意を示す事で無事終了した。
因みに、この最後の村の村長はエルフの男である。若さの残る壮年のエルフは、三百年前にこの村に一人でやって来たという。
初めはこの村の労働力の一つに過ぎなかったが、何百年もの間村で生活している内に、村民の頼れる存在となり村長に祀り上げられた。
長命種による必然的な地位向上。この様な事態が、グランザール王国では珍しくない。
表向きには友好な関係を築いているが、ダブロスはこのエルフを嫌っていた。ダブロスが幼き日から、このエルフの男はこの村の村長だった。ダブロスが家を継ぎ領主となると、次第に領主という地位が脅かされている様に感じ始めた。この村の村民は、明らかに領主であるダブロスよりも、エルフの村長を指導者と見ていたからだ。
実際、王に爵位と土地を与えられている魔族が、この王国には存在する。
領主としての役目を果たしたダブロス一行は、再び馬車に揺られて屋敷を目指した。
既に陽は落ちて、屋敷に着くのは完全に夜が更けて、随分と遅い夕食になるなと愚痴を零したダブロスに、腹を空かせていたオルデンが同意しかけた時だった。
ガクンッと馬車が大きく揺れ、馬車の中に居たダブロスとオルデンは態勢を崩しかけたが、何とか持ち堪える。寝落ちしたエリーはダブロスの膝で寝ていた為、ダブロスが手で押さえる事で少しうなされた程度の反応だった。
何事か、と馬車の中から御者に尋ねる前に馬車のドアが開かれた。ドアを開けたのは、馬車を護衛していた騎士の一人ガーリッヒ。
「何事だ」
「野盗です。完全に包囲されています」
「何?数は?」
「二十は確実です。まだ潜んでいる可能性を考慮すれば、我々が劣勢かと」
「なっ!それは誠か!何故悠長に止まっている!」
「道が防がれています。計画的な待ち伏せです」
道を塞いで一時的に馬車を停車させた所を完全に包囲。確かに計画的な犯行と言えるが、だとしたら何故野盗達は襲ってこないのか、オルデンの疑問に答えたのはガーリッヒではなかった。
「辺境伯!我々と取引だ!こちらの提示する額を用意すれば、見逃してやる!」
野盗の目的は金。そして、提示した金額を用意すれば我々を見逃すと言っている。
馬車の護衛に付いている騎士は、オルデンを含めて十五人。そして、ガーリッヒの見立てでは野盗の方が数では上回っている。
オルデンはダブロスに理性的な判断をして貰いたかったが、その願いは当然の様に届かない。
「オルデン、野盗共を一人残らず切り伏せよ。これは命令だ。辺境伯である私が野盗に屈した等とあっては、爵位剥奪も十分に有り得る。良いな、必ず私を守って見せよ」
オルデンは初めから分かっていた。ダブロスが野盗の要求を呑むはずが無いと。
しかし、辺境伯という国境を守る地位に就いている以上、野盗に屈する事が出来ないというダブロスの主張も仕方のない事だった。
だから、オルデンは覚悟を決めるしかなかった。
「御意」
馬車の外を出たオルデンは、自分の眼で戦況確認する。
まず、馬車を中心に円となって護衛に当たる騎士。馬車の進行方向に視線を送ると、一人の騎士が血を流して倒れていた。
既に息絶えているところを見ると、包囲される前に奇襲を受けたと推測できる。貴重な戦力を一人失い、オルデン達の戦力は十四人。
一方、野盗達は全員が黒いフードを被り、既に短剣を手に持っていた。臨戦態勢を取って何時でも襲い掛かれるように万全の状態だった。
数的劣勢にして、包囲状態。勝機は薄い様に感じるが、オルデンは諦めていなかった。
野盗は戦闘のプロではない。刃物を持った素人か、そうでなくとも多少腕の立つ程度。一方で、オルデン達は辺境伯に仕える騎士。日々鍛錬に励み、魔物の討伐も行った事がある。野盗に退けを取ることは無い。
オルデンも剣を抜き、ダブロスの意志を声高々に野盗に告げた。
「聞け!野盗共!辺境伯は野盗如きに屈しない!貴様らは我々が正義の名の下に裁きを下す!」
「そうか、残念だ」
野盗のリーダーと思われる男が片手を上げて、大きく息を吸って叫んだ。
「掛かれ!!!」
その合図を待っていたと言わんばかりに、一斉に襲い掛かる野盗達。
自分の元へ一直線に向かって来る野盗のリーダーに、オルデンは剣を構えて<身体強化>を発動する。
そして、タイミングを合わせて剣を振り下ろす。オルデンは剣を受け止めてくると予測していたが、野盗は華麗にその剣を潜り抜けた。
「何!」
側面に回った野盗の剣を突き出された瞬間に、間一髪で回避するオルデン。無理な態勢で回避した為、地面に手を付いて態勢を立て直す。
乱れた呼吸を整えながら、思考を整理する。振り下ろされた剣を紙一重で躱し、回避困難な角度からの攻撃。今の動きは明らかに素人の物ではなかった。
そして、同時に戦況が絶望的だと理解した。数で劣っているだけでなく、質が同等かそれ以上なら、明らかに敗色濃厚。
辺りを見回せば、肩を並べて戦っている筈の騎士達の勇敢な姿は少なく、その殆どが地面に血を流しながら、倒れていた。
一度陣形が崩れれば、さらに不利な状況を生み出す。
二対一、三体一、四体一と敵の数が増え、やがて凶刃に倒れる。もはや死の運命がそこまで来ているオルデンの脳裏には、愛する妻と娘が浮かんでいた。
一人逃げ出してでも我が家に帰り、妻と娘を抱きしめたい。叶わぬ願いと知っていながらも、オルデンは天を仰いだ。
(キオナ、リージ。お前達二人の幸せを心から願っている。さようならだ。愛している)
心の中で愛する家族に短い別れを告げたオルデンは、再び剣を握る力を込めて野盗のリーダーを見据えた。
せめて、この男だけは刺し違えてでも仕留めると決意したオルデンは、雄叫びを上げて野盗に斬りかかった。
「はあああああっ!!」
全力で振るわれる剣は華麗に躱される。それでも、オルデンは剣を振り続けた。自分の肉体が限界を迎えたとしても、気力だけで剣を振るう。
しかし、無情にもオルデンの剣は掠りもしない。野盗とオルデンの間には、決して埋められない実力差が存在した。
「終わりだ」
「くっ!」
回避を繰り返していた野盗が、これ以上は時間の無駄だと反撃に転じる。オルデンの剣を短剣で捌き、腹部に強烈な蹴りを入れる。オルデンがくの字に折れた所に、さらに強烈な蹴り上げがオルデンの顔面を直撃した。宙に打ち上げられたかの様に後ろに飛ばされ、そのまま地面に倒れ込む。全身の力が入らず、起き上がることも出来ない。
(俺には……何もできないのか……)
仰向けに大の字で倒れているオルデンの頭上に、刃を向けた野盗が立ち止まった。短剣を振り下ろせば、オルデンの命運は尽きる。
言葉は無い。ただ黙って、野盗は短剣をオルデンの心臓に突き刺した。
胸部から伝う耐えがたい痛みと共に死を迎える。朦朧とした意識の中でそんな事を考えていたが、一向に胸に痛みを感じない。もはや、痛みを感じない程に意識がないのかと疑問に思ったが、どうやらそうではない。
ぼやけた視界を少しづつ明瞭にする事で、状況を理解する。
なぜそうなったかを理解出来たわけではない。ただ、野盗が何かに体を縛られ動けなくなっていた。
そして、オルデンの耳に聞きなれない声が響いた。
「馬にして良かっただろ。おかで、救える命がある」




