千年の果て-1
「流石は勇者だ。見事、ゼロ魔法を習得したか」
エリオ・リンドハルムは、燈継とマスター・ゼロの戦いを全て見ていた。
いや、それだけではない。
アテラとアーネスの戦いも、ラーベとローシェがアーネス一派と戦っている所も、研究室の魔獣が暴れている所も、魔法都市での戦いを全て見ていた。
魔法都市に居る者で、今のエリオ・リンドハルムを観測できる者は居ないだろう。
唯一人を除いて……。
「ようやく見つけたわい。全く、こんな所に隠れおって……」
「……誰だ?」
「千年ぶりじゃのう。お互い、あの時から変わっておらんな」
「成程……脱獄者か」
エリオが居る空間は、幾重の魔法によって創られた別世界とも言える空間。
そこ居るエリオを認識する事は、普通ではあり得ない。
そんなエリオを捉えたのは、見た目だけなら無害な一人の老人。
綺麗に伸びた白髭を撫でながら、もう片方の手は腰に当てている。
しかし、今のエリオを捉えたという時点で常軌を逸した化物であり、老人の口ぶりから、封印監獄から脱獄した囚人だと直ぐに理解できた。
「儂を覚えておるか?」
「さあ、千年も前だとあまり思い出せないな」
「まあ、当然じゃな。お主はこの世界に生きる全ての生命を見張っておる。監獄に入れた存在など、その時から既に頭の中から消えとるじゃろうな」
「随分と私に詳しいな。誰かに聞いたのか?」
「ただの仮説じゃ。まあ、ほぼほぼ儂の勘は当たっとると思うがのう」
この二人の会話は、この二人にしか通じないだろう。
世界の理から外れた話は、常識ではかる事は出来ない。
目の前の老人は、この世界を脅かす存在だ。それでいて、エリオは冷静を保っている。
慌てる要素は無い。かつて監獄へ入れたという事は、遥か昔にエリオが勝利したということ。
エリオは自分にとって脅威となる存在を知らない。
「それで?折角脱獄出来たのに、どうして私の前に現れたんだ?何もせず平和に暮らしていれば、私は手を出すつもりは無かったが……」
「決まっておろう。お主を殺しに来た。所謂、リベンジマッチじゃ」
「……正気かい?」
「世界の理から外れたお主が、他人に正気を語るでない」
「それもそうだね」
「まあ、何じゃ。お主に負けてからの千年間、儂はお主を殺す手段だけを考えておった」
「私の前に立っているという事は、その算段がたった訳か」
「まあな」
老人の返答は簡潔だったが、その言葉には千年の重みがある。
その返答を受けて尚、エリオは余裕のある態度を崩さない。
「一先ず、邪魔が入らんようにするかのう」
老人は腰の後ろで手を組んだまま、ゆっくりとエリオに近づいてくる。
一歩、また一歩と足を踏み出していき、五歩目の足が地面に着いた瞬間、世界が変わる。
「<逆 盃・明鏡止水>」
その時、エリオは自分が立っている地面が、大地ではなく水の上だと理解させられた。
立っている水面を見下ろすと、奈落の底にまで繋がっていると思わせる程の暗闇が広がっている。
水が黒色に濁っている訳ではない。一切の濁りなき水が、果てしない暗闇を映している。
そんな水面に立っていながら、足が沈む感覚は一切ない。
足を動かせば波紋が広がる程度で、他は普通の地面と変わりない。
その世界は、太陽の日差し、周囲の騒音など、戦いにおいて老人が不要と判断した全ての情報を除外した、エリオと老人の二人だけの世界。
太陽の日差しが届かない代わりに、淡い炎の光が何処からともなくその世界を照らしている。
実際に炎があるのではなく、老人が必要と思う程度に明かりが灯されているだけ。
「これは……思い出したよ。君のこと」
「ほう……光栄じゃのう。お主に思い出してもらえるとは」
「月調 天涯 。千年前に満月帝国を築いた皇帝で、その帝国を私が滅ぼした」
「まあ、帝国の歴史は、お主によって抹消されておるみたいだがのう」
「仕方ないよ。あれはダメだ」
「まあ、儂は別にあの国に思い入れがある訳ではないし、歴史から消えようが別に構わんのだが」
「へえ?てっきり復讐に来たのかと思ったよ」
「復讐ではない。儂はただ、もう一度お主に挑み勝利したいだけじゃ。言ったであろう、リベンジマッチじゃと」
二人にしか理解出来ない会話。この二人の世界に、邪魔者が入る事は出来ないだろう。
そして、邪魔者が入らない事こそ、天涯が望んでいる事。
「成程、それで完全結界という訳か。外からの邪魔が入らず、この結界の主である君を殺さなければ、外へ出る事は出来ない」
「お主を外に出さんとというよりは、外からの邪魔を入れん為じゃ。お主がその気になれば、儂を殺さずに外へ出る事も可能だろうがのう」
「まあね。それで?私をどうやって殺すのかな?」
「そう焦るでない。まずは、儂の力で試させてもらう」
「奥の手を出す前に死ぬんじゃないかい?」
「儂はそこまで間抜けではない。死なない程度にやらせてもらうつもりじゃ」
天涯がようやく腰に回した手を解いて、戦いの構えを取る。
左右の手で刀印を結び、エリオに向けて右手の刀印を振り下ろす。
傍から見れば、ただ手を振り下ろしただけに過ぎない。
だが、エリオは僅かに体を横に逸れてそれを躱した。
その直後、背後から凄まじい衝撃波が届き、地面の水面に波紋が広がる。
「相変わらずいい眼じゃの」
「どうも。じゃあ、終わらせてもいいかな」
「っ!」
「顕現せよ<神剣・太陽神の剣>」
その瞬間、天涯の視界は炎に埋め尽くされる。
人の身では一瞬にして灰となる灼熱の炎が、薄暗い世界に明かりをもたらした。
よもや、その炎を浴びて生きているだけでも奇跡というのに、天涯はその炎の中から無傷で姿を現した。
天涯の地面に広がる水面には、未だ消えない炎が燃えている。
「ふう……恐ろしいわい」
「良く生きてたね」
「儂も同感じゃ。あと刹那遅れていれば死んでおったわい」
天涯を囲む様に展開された呪符が、次第に燃え尽きて足元の水面へと落ちていく。
その防御が間に合わなければ、天涯は今の一撃で死んでいた。
しかし、それでも天涯は慌てる様子はない。
エリオは早々に終わらせようと、次々と攻撃を繰り出してくる。
「顕現せよ<神弓・光神の矢>」
「<月華転生・不死火之鳥>」
瞬きの間に行われる一瞬の攻防。
エリオが放つ光の矢は、出現と同時に天涯の胴体に大きな風穴を開けた。
それと同時に、その風穴が塞がる様に炎が燃え上がり、天涯は倒れる事なく反撃を行う。
「<新月流・虚空霊拳>」
「ん?」
視界には何も映りはしないが、エリオはその場から瞬時に移動した。
その瞬間、エリオが居た場所が大きく歪み、凄まじい衝撃が弾けた。
水面には大きな波紋が広がり、エリオはその場に留まる事無く移動し続けている。
エリオを捉えようと空間が歪むと同時に起きる衝撃は、神速で移動するエリオを捉える事が出来ない。
やがて神速で駆け回るエリオは、初撃よりも速い速度で天涯に迫った。
「顕現せよ<神剣・太陽神の剣>」
再び全てを灰と化す灼熱の炎が、薄暗い世界を照らした。
刹那の灯ではあるが、その刹那で全てが灰となる。
エリオの攻撃を受けて生きている事の方が難しい。
エリオと攻防が成り立つだけでも、天涯は常軌を逸した強さだと分かる。
全ての攻撃が即死に至る。その攻撃を受けて尚、天涯は生きていた。
「お主の炎は、不死鳥をも灰にするか。儂の術が死んでしもうた」
「術が死んだだけで君は生きている。成程、千年前に君を脅威だと感じた記憶を思い出したよ」
「まあ、このまま戦えば、千年前と同じくお主に敗けるだろうがのう」
「じゃあ、奥の手とやらを使うのかな?」
「まあ、そうなるな」
エリオに風穴を開けられた天涯の胴体は、傷跡を残さず元通りになっている。
彼の言う術によるものだが、それはもう使えない。
そこで天涯は諦めた。やはり、自分の力だけではまるで通用しない。
故に、封印監獄で過ごした千年間で手に入れた力を使う事を決めた。
「では行くぞ。儂の千年間の全てを、お主にぶつける」
「……」
「異界接続<獄法・大焦熱>」
「っ!?顕現せよ<神剣・太陽神の剣>」
その瞬間、エリオが天涯に迫る。
これまでよりも速く、光よりも速い速度で迫るエリオ。
それと同時に、再びあの炎が天涯を飲み込んだ。
だが、その炎の中において、天涯はその身を燃やされながら足を踏み出した。
「そうか……そこに至ったか」
「まあな。お主ならその理由も理解できるだろうな」
「そうだね。だからこそ、千年前とは違う意味で君は脅威だ。今ここで、確実に殺す」
「ふっ……道連れじゃよ」
太陽神の剣によって炎を受けながらも、天涯の体はその炎によって焼かれていない。
何故なら、太陽神の剣の炎よりも熱く、決して消えない炎を身に纏っているから。
天涯はその身に炎を纏い、太陽神の剣の炎を無効化した。
身に纏う炎は近づく全てを燃やし尽くして、天涯へ届く前に灰となる。
「無論これだけではない。異界接続<獄刀・八岐大蛇>」
天涯が無から取り出した刀は、黒く禍々しい魔力が、無数の蛇の様に刀に巻き付いている。
その刀を見ているだけで、全身を恐怖で支配する代物。ただの一般人が見れば、それだけで死に至るだろう。
エリオだからこそ、精神に異常をきたさずにその刀を見ていられる。
天涯はその刀を構えて、エリオに告げた。
「共に逝こうではないか。地獄の底までな」