封印監獄-2
何もない広い空間。その空間の先へ続く長い廊下。
魔王とラドネはその長い廊下を歩き続け、ひたすらに奥を目指す。
入口で遭遇した男以外に、看守とは遭遇していない。
しかし、この封印監獄の看守があの男一人なはずはない。
警戒を解く事無く廊下を抜けた先に、再び広がる巨大な空間。その中心に五人の人物が横一列並んで、魔王達を待ち構えていた。
五人の真中に立つ、青い瞳を持つ青年。力強さを感じる眼差しを向けて、魔王達に問い掛けた。
「ここは、お前達如きが犯してはならない場所だ。それを理解しているか?」
「私はエリオ・リンドハルムに導かれて、ここへやって来た。これ以上正当な理由が必要か?」
「笑止。エリオ様は、ここへ他者を遣わせる事はない。それは、お前の虚言だ」
「お前達は何も知らない……エリオ・リンドハルムという存在が、正しき存在だと妄信している。そんなお前達と、言葉を交わした所で理解し合える訳がない」
「そうだな。お前達を殺すのが、我々の使命だ」
「安い使命だな」
その瞬間、五人の右端と左端に立っていた人物が、魔王へと襲い掛かる。
神速。瞬く間に魔王の眼前へと迫るその手は、魔王の前に立ちふさがるラドネによって防がれた。
それぞれの攻撃を、ラドネは片手で止めている。それが信じられないのか、攻撃を防がれた二人は驚愕の表情を浮かべた。
受け止めた拳を握りつぶす程の力で握り締め、逃がさない様に固定したラドネは、その余りある膨大な魔力を両者に向けて放出した。
「っ!?この魔力は!?」
尋常ではない魔力の放出に、青い瞳の青年は驚きを隠せない。
ただ膨大な魔力だからという訳ではない。その魔力が、他でもない星の魔力だったから。
「星天魔法……」
逃げ道を塞がれた二人は、ラドネの膨大な魔力を真正面から受けるしかない。
彼らが全魔力を防御に集中させれば、どれ程至近距離の攻撃でも耐えうる事が出来る。
しかし、星天魔法は次元が違う。
ラドネが片手で握り締めた両者の腕から先は、見るも無残な焼け焦げた姿となっていた。
ラドネが拳を広げ二人を解放すると同時に、その体は地面へ崩れ落ちた。
たった一撃。信じ難い現実を前に、青い瞳の青年は思わず後退りした。
「これ以上、争う必要があるか?」
「……我々が屈すると思うのか?」
「好きにすればいい。どの道、お前達は鍵を持っていない。生きていても死んでいても、変わらないからな」
「我々を甘く見るな!」
残った三人がそれぞれ別々の方向に距離を取り、遠距離から魔法を発動させる。
彼らは、エリオ・リンドハルムに選ばれた存在。魔導師としての実力は、数百年に一度の逸材。
故に、その彼らが古代魔法を使えるのは当然の事。
「「「天に願え。天に祈れ。天に捧げよ……」」」
古代魔法の詠唱を始める三人。
古代魔法は絶大な威力を誇るが、詠唱が必要不可欠。その僅かな時間の詠唱の為に、距離を取り時間を稼ぐ。
しかし、彼らは理解していない。星天魔法は、その魔力を放出するだけで古代魔法に匹敵する。
魔力その物が持つ光と熱。その魔力を纏うラドネが動けば、間合いを取る事に意味はなくなる。
その速さは、空に流れる星の如く。
「「万象を裁く天の鉄槌……」」
まず初めに、左へ飛んだ一人がラドネの一撃で焼け焦げた姿となって、壁に打ち付けられた。
そのまま、反対方向にいる相手に向けて、星の魔力を圧縮した黒い閃光を放つ。
それに気づいた相手は、別方向へ回避するが、それよりも速くラドネが背後に回り込んだ。
「彼の者、悪鬼羅刹を裁きたまえ……」
背後からラドネの魔力の放出を受けた相手は、跡形も無く消し飛んだ。
残るは一人。青い瞳の青年だけ。
詠唱はあと一節。青い瞳の青年は、白い光を纏い古代魔法を発動させる寸前に至る。
視線の先に魔王を定めると同時に、ラドネが視界の前に現れた。
「天に召されよ!」
最後の一節を唱えると同時、ラドネは黒い閃光を放つ。
青い瞳の青年は、身に纏う魔力と共に肉体が焼かれていく感覚の中で、一人の人物を思い浮かべる。
それは、自分達を選んだエリオ・リンドハルム。
(申し訳ございません……エリオ様……)
ラドネが黒い閃光を止めると同時に、青い瞳の青年だったそれは、地面に崩れ落ちた。
魔王は満足そうに笑みを浮かべた。
「ラドネ。お前なら、勇者も容易く殺せるだろうな」
「お任せください。魔王様のご命令とあれば、誰であっても……」
「よし、囚人を解放しに行くとしよう」
「どの囚人を解放するかは、決めているのですか?」
「ああ。一人はな」
ただ暗く、何もない。
永遠に終わる事の無い暗闇。眠りに就き、どれくらいの時間がたったか分からない頃に、意識が覚醒する。
肉体的苦痛も無ければ、精神的苦痛も無い。永遠の闇の中に生きている。
そして、それは唐突に終わりを迎えた。
「目覚めの時だ。マスター・ゼロ」
「……」
光を浴びた。一体いつ以来かは分からないが、闇の中から解き放たれた。
人の言葉というよりも、闇の中で音すらも聞いた事が無かった彼は、目の前に立つ人物に視線を向ける。
当然の事ながら、記憶にない人物だ。
「誰だ……」
この監獄に閉じ込められて、一体どれ程の年月が過ぎたかは分からない。
最後に発した言葉は覚えていないが、久方ぶりに発した言葉がそれだった。
「私の名は、魔王エンドルフ。マスター・ゼロ、私と契約を結べ」
「……」
「ここから解放する。その代わり、私の指示に従ってもらう」
「魔王とは……何だ?」
「この世界を、破壊する者だ」
その答えを聞いて、彼は何を思うのか。
魔王という存在は、考えるまでもなく悪だろう。
魔王に従うという事は、悪に従うという事。それが正しい事がどうか、彼は自分に問い掛けた。
「世界の破壊者か……いい答えだ」
彼は笑みを浮かべた。
世界の破壊という響きに、これ以上無い高揚感を覚えた。
自分で感情を知覚するのは、いつ以来か。
「喜んでくれて何よりだ。マスター・ゼロ」
魔王は彼を縛る牢獄に、調和崩壊を触れさせ牢獄の魔法を崩す。
永遠の闇から解放された彼は、マスター・ゼロ。
本当の名前は、本人ですら忘れてしまった。
何故魔王が彼を解放したか、そこには明確な理由がある。
「原初の魔法。<ゼロ魔法>を極めし魔導師。マスター・ゼロ。我が魔王軍の契約魔将として、歓迎する」
「ああ。よろしく頼む」
地面にまで伸びきった銀髪を揺らしながら、笑みを浮かべるマスター・ゼロ。
マスターと呼ばれているが、彼は決して年老いている訳ではない。
三十代にして、原初の魔法である<ゼロ魔法>を極め、至高の領域へ足を踏み入れた逸材。
その全盛の時代に、彼はエリオ・リンドハルムによってこの封印監獄に囚われた。
それが凡そ、三百年前の事だった。
「さて、問題はあと一人をどうするかだが……」
「全員は解放しないのか?」
「したい所ではあるが、鍵がある訳ではない。この魔剣の能力を使えるのが、あと一回。故に、あと一人だ」
「日を改めれば、その魔剣の能力は戻るんだろう?日を改めればいいだろう?」
「初見でそこまで分かるか。流石だな。だが、それは出来ない」
「何故だ?」
「この監獄の中は、同じ時間を繰り返している。つまり、日が変わる事はない。それにこの監獄は、同じ場所に留まらない。姿を見せるのも僅かな時間だ。一度出れば、次に何処へ現れるかは、予測できない」
では、何故魔王がこの封印監獄を見付ける事が出来たか。
それは、予言があった。
魔王はその予言を信じた。何故なら、その予言を行った人物は、この世界の真実を暴こうとしていたから。
存命の人物ではない。しかし、魔王はその人物が残した物を、信じている。
『そうか。では、儂を解放してくれんか』
「っ!?」
魔王は突如として頭に響く声に驚いた。
声が聞こえた事もそうだが、この監獄に閉じ込められた状態で、外へ干渉できるという事が、信じられなかった。
魔王は確信した。この人物は、只者ではない。
「何者だ?」
『そう大層な者ではない。しかし、儂ならエリオ・リンドハルムを殺せる』
「そのエリオ・リンドハルムに負けたから、この監獄にいるんだろう?」
『如何にも。千年前に、儂は奴に負けた。しかし、この千年間で一つの境地へ辿り着いた』
「この監獄で、何かを得たと?」
『うむ。故に、儂を解放しくれ。儂は……この力で、エリオ・リンドハルムを殺す』
「良いだろう、お前を解放する」
『感謝する』
その声に従い訪れた場所で、調和崩壊の能力を発動させる。
他の囚人達とは違う場所に居た彼は、声から感じた通りの老人だった。
一見して無害な老人に見えるが、魔王は心の底から恐怖を感じた。
(この老人……次元が違う)
「ほう……今時はそんな仮面を着けるのか?」
「私は正体を明かしたくないだけだ。それより、本当なんだろうな?エリオ・リンドハルムを殺せるというのは?」
「そこは心配いらん。必ず殺す。しかし、一つだけ条件がある」
「何だ?」
「儂をエリオ・リンドハルム以外の者と戦わせるな」
「何故だ?」
「純粋な話じゃ、その余裕がない。千年間蓄えたこの力は、全てエリオ・リンドハルムにぶつける」
「いいだろう。だが、エリオ・リンドハルムを殺した後は、私の命令に従ってもらうぞ」
「お主……何も分かっておらんのう……」
「どういう意味だ」
「儂も死ぬに決まっておるだろう。自分の命があるまま、エリオ・リンドハルムを殺す事など不可能。これくらいは当然だ」
「……」
魔王は、この老人に底知れない恐怖を感じた。
それが当たり前と言わんばかりに、この老人は命を捨ててエリオ・リンドハルムに挑もうとしている。
千年間。時間が繰り返されるこの監獄で、年月を数えていたこの老人は、その千年間をただひたすらに、エリオ・リンドハルムを殺す為に費やした。
この老人と、エリオ・リンドハルムの間に何があったかは知らない。
しかし、その殺意だけは本物だ。
「そう言えば、名前を聞いていなかったな」
「儂の名は……月調 天涯。暫しの間、世話になる」