パンはいくらか?
「何?一人でレグドヘイムへ行きたいと?」
「一度行ってみたいと思ってたんだけど、ダメかな」
母に直談判を行うにはそれなりの理由がある。
一人で行くと言えば、必ずラーベとフォーミラによって引き止められ、強引に付いてくるか、護衛の兵士を付けられるのが目に見えているからだ。
女王である母の許可をあらかじめ貰っていれば、あの二人も引き下がるしかない。最も、一人で出掛けるにあたって、母こそが最大の障壁なのだが。
「行くのは構わない。しかし、一人というのは許可できん。最低二人は護衛を付けるか、何なら私と共に親子水入らずで出掛けようではないか。いやむしろ、そうしようではないか」
(まあ、そうなるよな)
この反応は予想通り。母は間違いなく、自分が付いてくると言い出すと思っていたが、予想できた反応だからこそ、こちらも返答を用意している。
アーラインが言っていた。重要なのは駆け引きだと。戦いの中でも、外でも、自分の思い通りに物事を進める事が、勝利を手にする道だと。
「どうして?この国に危険があると思えないけど」
「それでも、何があるかは分からん。もし其方の身に何かあれば、それは私にとって最も忌避すべき事だ。だから、護衛は必ず付ける。最悪の場合に其方の盾となる者が必要なのだ。その盾は私でも構わないが、一人での行動は許可できない」
(やはり防御が固い!早々に切り札を使うかしかないか……)
「……母さん知っているか?元の世界には、母の日という記念日があるんだ」
「母の日?」
「そうだ。母に対して、日頃伝えられない感謝を伝える日だ」
「向こうの世界では、そんな記念日が制定されているのか……」
「俺には今まで無縁の記念日だった。でも、この世界で母さんに出会って、すごく嬉しかったんだ。本当に、心の底から」
「燈継……」
「だから、今まで会えなかった分、少しでも何か形になる物を贈りたいんだ。色んな物が出回っているレグドヘイムなら、きっと良い物が見付かるはずだ。でも、誰かに見られてると恥ずかしいから、一人で行きたいんだ。だから、だめかな?」
これが、用意した切り札。
元の世界では、とっくに母の日は過ぎていたので全然近くはないが、母はそれを知らないからこそ、かなり効果的なはずだ。
母の様子を窺うと、効果は抜群だった。
「燈継……なんと嬉しい事を言ってくれる……私も其方に会えて……本当に……本当に良かった。出来る事なら、もう二度と其方をこの手から離したくはない……」
涙を溢れさせながら、強く抱きしめてくる母の温もりは、この世界で初めて得た物だった。心が幸せで満たされる感覚。母の日はとうに過ぎていたが、母と出会えた事に感謝と喜びを示して、何かプレゼントしたいというのは、紛れもない本心だった。
城にはほとんどの物が揃っていて、欲しい物も基本的にはフォーミラが手配してくれる。何度か王都を見て歩いたが、生活必需品や衣類等は売られていて、他には宮廷に従事しているエルフ向けの商品等、女王である母の贈り物には適している物は無かった。
だからこそ、品揃え豊富なレグドヘイムへ行きたかった訳だが、プレゼントを買うのに誰かに付いてこられると、何となく恥ずかしいから一人で行きたかった。
「やっぱりだめかな?」
「今回だけは、特別に許そう。しかし、条件がある」
「条件?」
荷台に揺られながら、母とのやり取り思い出す。レグドヘイムへ向かう荷馬車に拾われ少し経った頃、御者の商人が、もうじきレグドヘイムが見えると知らせた。
「お!見えてきましたぜ勇者様。あれがレグドヘイムですよ」
荷台から前方を確認すると、森が開けた先に大きな壁が聳え立ち、道沿いには門がある。レグドヘイムを囲う城壁が見えたが、当然街の様子は入るまでは分からない。
門の前に近づくと、門番に止められ手続きと積み荷の確認が行われる。その際に門番との面倒なやり取りがあると思っていたが、すんなりと通してくれた所を見ると、既に母が手を回していたらしい。
門が開かれ、いよいよレグドヘイムへ足を踏み入れる。
「おお!」
「どうですかい勇者様。ここがクリスタル王国で一番栄えている交易都市レグドヘイムですぜ」
思わず声を上げてしまう光景だった。
王都は自然との調和を重んじる都市だったが、それ故に不自由という訳ではないが栄えているとも言えなかった。
だが、レグドヘイムの街並みは、ゲーム等で見るファンタジー世界の街並みと酷似していた。店が立ち並び、店主達の呼び込みの声が聞こえる活気溢れる場所だった。
「では、私はこれで失礼いたします。門が封鎖される時間までは、王都までの乗合馬車があるんで、帰りはそれに乗って下さいな」
「分かった。ここまで乗せてくれて礼を言う。ありがとう」
「お安い御用ですぜ。勇者様を荷台に乗せたとなれば、娘に自慢できるってもんですから」
別れを告げた商人は、馬を進めて先へ行き、燈継は門を入った直ぐの所で下ろしてもらった。
商人はこの先にある北区域へ向かうらしいが、燈継が一人で行けるのは、今いる南区域までだった。
これが、燈継がレイラから提示された条件だった。
レグドヘイムは北区域と南区域に分けられている。二つの区域の違いは、北区域は他種族が足を踏み入れる事が出来るが、南区域にはエルフしか入れないという事だ。
これは、他種族との接触を嫌うエルフも一定数居る事から設けられた区域で、南区域はレグドヘイムの三割程度の広さである。
レイラが燈継を北区域に行かせたくない理由も、今はまだ他種族との接触を避けるべきだと考えているからだった。
それでも、南区域は王都に比べれば目を見張る様な品揃えで、燈継の気分は高揚していた。
「さーて、何を買おうかな……」
燈継が麻袋の中を見ると、そこには大きな金貨が十枚入っていた。
クリスタル王国の通貨は、種族間共通通貨と呼ばれる物で、五百年前に起きた魔王軍との戦争で結成された連合に、加盟している国家間で戦後に導入された共通の通貨。
硬貨は全部で、銅貨、銀貨、金貨、大金貨の四種類で、大金貨は最も価値が高い。大金貨が十枚もあれば、市場で売られている商品で買えない物はない。
取り合えず歩き始めたものの、これといった目的の品が無い燈継は、鼻腔を擽る甘い匂いに気を引かれた。
「いい匂いだ。えーと、あの店からだな」
レンガ造りの店の開けられた窓から香る匂いは、一人で店に入る事を躊躇いがちな燈継に、容易に店の扉を開けさせた。
扉に付けられた鐘が鳴り、来客を知らせると店主の美しい女性のエルフが奥から急ぎ足でやって来た。
「いらっしゃい。あら?この辺りでは見ないお客様ね……え?青い瞳に黒髪って……布告された勇者様と同じ特徴……まさか本物?」
「ええ、まあ一応……その、はい。そうです」
さっきの商人とのやり取りもそうだが、自分で勇者と名乗る事がとても恥ずかしい。この世界に来て少しは経つが、やはり元の世界の価値観があるせいで、勇者という肩書に慣れない。
店主との間に気まずい空気が流れて思わず黙り込んでしまうが、店内に視線を移すと甘い匂いの正体に辿り着く。ここはパン屋だった。
「あのすみません、美味しそうな匂いに惹かれて来たんですけど、そのパンを頂いても?」
「ええ、どうぞいくらでも。勇者様に召し上がって頂けるのなら私も光栄で御座います」
店主がパンを袋にいくつか詰めて、頭を下げながら手渡してくる。それを受け取ったのはいいが、展開が速すぎて、早く帰って欲しいのかとすら思える。
あやうく勢いに流れされて、そのまま店を出てしまいそうだったが、重要な事を忘れていた。
「あの、おいくらですか?」
「お代は結構でございます。勇者様からお代を頂くなど出来ませんので」
「それは、こちらとしても困るのですが……きちんと代金を払わせて下さい」
「私といたしましても、勇者様からお代を頂いては困ります……」
「「……」」
この店主、意外と手強い。
こちらが代金を支払うと言っているのに、一切受け取る気配がない。こうなったら、意地でも代金を支払ってやる。これは勇者としての評判を高める為ではなく、純粋に意地でも引かない店主に、折れたくないだけだ。
麻袋の大金貨を一枚握りしめると、それを素早く店主の胸に押し付ける。咄嗟の反応でそれを受け取った店主を確認すると、店主の反応を待たずに体を切り返して店の外へ飛び出した。
手にした物が何かを認識すると、店主は慌てて燈継の後を追った。
「おっお待ちください!勇者様!このような大金、受け取れません!」
「釣りは門番にでも渡しといてください!それでは!」
パン屋の店主が勇者の足に追いつけるはずもなく、燈継はそのまま賑わいを見せる市場に消えって行った。
パン屋での小さな攻防に勝利した燈継の頭の中は、手に入れたパンでもなく、代金を支払った愉悦感でもなく、罪悪感と少しの喜びが占めていた。
「思いっきり触ってしまった……柔らかかったな……」
何が、とは言わないが。




