それぞれの休日
エルフの国、正式名称をクリスタル王国と呼ぶこの王国には、約八十万のエルフ族が暮らしている。国土の七割が巨大な森林を占めるクリスタル王国には、五つの主要地域が存在する。
巨大な森林地帯の中心に、女王の居座る王都が存在する。王都には最も多くエルフが暮らし、活気溢れる都市として王国の中心となっている。
自然との調和を重んじるエルフらしく、王都と言えども完全に木々が倒され開拓されている訳ではない。女王の居城を除いて、殆どが質素な造りの石材の住宅が多い。
王都から北へ位置する所に、交易都市のレグドヘイムが存在する。
この都市は、他種族の国家との貿易拠点として栄えている。
エルフ達の主な生活用品である食料、衣類、酪農品に関しては自給自足で補えるこの国では、主な輸入品として、ドワーフの採掘する鉱石類、特定の地域でのみ栽培される食物、人間種の職人が作った装飾品の他、嗜好品が挙げられる。
他種族がクリスタル王国に入れるのは、このレグドヘイムまでであり、他国の外相との会談もこの都市で行われる。
王都から東へ進めば、森林地帯の外にある領土に、肥沃な農業地帯が広がっている。
広大な耕地で採れる作物は、王国全土の食糧供給を完全に満たした上で有り余るほどであり、王国の名産品としてレグドヘイムで売りに出されたり、他国へ輸出される。
五百年前の魔王軍との戦争で、問題視されていた食糧問題を崩壊寸前の所で支え続けた事で「テーブルの英雄」として名を馳せた。
王都から南へ位置する所に、第二の都市メルヘイムが存在する。
この都市は、酪農が盛んに行われている地域で、ここで造られた乳製品もレグドヘイムへ運ばれる。
一般的な乳牛ではなく、一角牛と呼ばれるエルフが古くから共に過ごして来た、角が生えた牛から搾乳する。
癖の無い甘みのある味で、そのまま飲めるのは勿論、菓子に使われたり、パンに使用する事で甘みのあるパンが造られることから、レグドヘイムでは高値で取引されている。
王都から西へ位置する所に、兵営が存在する。
必要最低限しか開拓を行わないエルフだが、唯一この西の地区は木々が伐採され、兵営が設立された。
その理由は、クリスタル王国から西側にある人間種国家との関係によるものだった。今でこそ魔王軍との戦いを切っ掛けに同盟関係にあるが、それ以前は幾度か小規模ながら戦争が行われていた。そのことから、先代国王は西側の防御を固める為、兵営の設置を決断した。
全ての主要地域には王都から街道が敷かれている為、その道に沿って歩けば迷うことは無い。
しかし、徒歩で行くとなれば、かなりの距離がある事を実感し後悔する。
「……馬借りてくればよかった」
勇者、休日に街道で座り込む。
週に一度の休日は、いつもなら宮廷の書庫で興味のそそる本を読み漁るか、ラーベに捕まって王都を振り回されるのが常となっていたが、今日は違う。
王都から北に位置するレグドヘイムへ足を運ぼうと意気揚々と一人で飛び出して、歩き始めて体感二時間が過ぎたが、未だにレグドヘイムは見えない。
道は整備されていても、木々は生い茂っている為、森の中は薄暗く、木漏れ日によって照らされている程だった。魔法を使えば光は生み出せる。さらにいえば、魔法を使えばレグドヘイムまで超特急で行けるのだが、なんだか今日は歩きたい気分だった。
水筒代わりの竹の筒から水分を補給し、喉を潤して一息ついていると、自分の歩いてきた方角、つまり王都の道から、こちらに向かって来る気配を感じる。
ラーベかと考えたが、一人で行くから付いてこないで欲しいと念入りに押したから、その可能性は低い。
そして、聞こえてくる音で正体が判明した。
「荷馬車だな。乗せてもらえると有難いんだが……」
こちらに近づく馬の蹄と車輪の音を聞いて、立ち上がる。
予想通りの荷馬車の姿が見え始め、手を振って自分の存在を示した。御者もこちらに気付いたらしく、手を振り返してくれた。
御者が馬の手綱を引いて、燈継の前で停止した。
「どうしたんだい、こんな道端で一人とは。まさか馬に逃げられたのかい?」
「恥ずかしながら、レグドヘイムに徒歩で行こうとして、その遠さに後悔していた所でした」
「徒歩で?随分無茶な……って!その黒髪!貴方様はもしかして……ゆっ勇者様!?」
「ええ……まぁ一応そうです……」
御者の男は、クリスタル王国と人間種の国家を行き来する行商人で、これからレグドヘイムへ行き、人間種の国から仕入れて来た品物を売りに行くという。王都へ立ち寄った理由は、仕入れた品物の一部を女王に献上する為だったらしい。
小太りで口ひげを生やした、エルフのイメージとはかけ離れた男の荷台に乗せてもらい、燈継はレグドヘイムを目指した。
一方、燈継にはそんなつもりは一切無かったが、拒絶されたと心底傷ついているラーベは、宮廷の庭園に設置された茶会用の椅子に座り、テーブルに顔を伏せてうなだれていた。
「もうだめだ……私の生きる意味に拒絶された……」
「ラーベ様、どうぞお茶でもお飲みになって下さいな。先代勇者様が好まれた物ですよ」
「うぅ……ゆうしゃさま……私はもうだめだ……」
ラーベにお茶を差し出したのは、庭園の手入れを担当するミレイノ。
先代勇者にもお茶を出した事があるミレイノは、ラーベを慰める意味でも同じものを出したが、今のラーベにはむしろ逆効果になってしまった様だった。
「大丈夫ですよラーベ様。勇者様はラーベ様の事を拒絶などしていません」
「私が付いていくと言ったら、絶対についてくるなと言われたのだ!これはもう完全に嫌われた!もうおしまいだ!」
守護者の称号に相応しくない姿で、大声で泣き始めるラーベに流石のミレイノもお手上げ状態となった時、この場に最もふさわしくない男が登場した。
「ごきげんよう。至宝風神剣を持つ守護者ラーベ。今日は何時にもまして、その肩書に恥じない姿だね。尊敬するよ」
「……笑うがいいアーライン……惨めな私を……」
アーラインの挨拶に対して、何時もなら直ぐに怒りを露わにするラーベだが、今日に限っては自虐的なその姿を見て、アーラインはつまらなさそうな表情を浮かべた。
「……重症だねこれは。ミレイノ、僕も一杯もらえるかな」
「アーライン様。ラーベ様をからかうのも、程々にしてくださいね」
「ああもうやめるよ。今のラーベはつまらないからね」
ラーベの対面に座り、ミレイノが淹れたお茶を飲みながら、アーラインはラーベの愚痴に付き合う羽目となり、早々に後悔する事になるのだが、自業自得である。
そして、燈継が宮廷に居ない間、専任世話係のフォーミラの仕事は激減する。
燈継の自室を清掃すれば、後は本人が帰って来るのを待つ事が彼女の仕事となる。それまでは、基本的に他の侍女たちの手伝いを行う。
「ありがとうフォーミラ。貴方のおかげで、予定より早く終わりそうよ」
「気にしないでリーロ。勇者様がお帰りになるまでは、手持ち無沙汰だったから」
燈継がレグドヘイムへ向かうと言った時、フォーミラも付き添うつもりだったが、燈継に断られてしまった。フォーミラは一人では危険だと説得を試みたが、燈継が予めレイラから許可を貰っていたらしく、女王の許可を得ている以上、フォーミラは口出し出来なかった。
「でも羨ましいわ、勇者様のお世話が出来るなんて。宮廷で働く侍女なら、皆憧れるもの」
「そうね、本当に光栄だわ。でも、勇者様ったら全然、私を頼ってくれないのよ」
「そうなの?」
「ええ。何でも自分一人でやろうとして……もう少し私の事を頼って欲しいわ」
「私からすれば、贅沢な悩みね。私なんてまだ一度も勇者様とお話ししてないんだから」
燈継が積極的に話せるのは、レイラ、アーライン、ラーベ、フォーミラ、ミストーリアの五人である。それ以外の者とは、あまり関わっていない。
それ故、侍女達の間では、燈継と挨拶を交わした事や、目線が合った事などが自慢話となる。
「そうなの?勇者様はとってもお優しいから、きっと話しかけたら応えてくれるわ」
「そんな恐れ多い事出来ないわ……。はぁ、本当にフォーミラが羨ましい。一度でいいから変わって欲しいわ」
「ふふ。ダメよ。誰にも譲らないんだから」
共に働く同僚から羨望の眼差しを受けて、心からの幸せを噛み締めたフォーミラは、満面の笑みで応えた。