破滅の皇女-3
<血に溺れた恋心>
天より降り注ぐ無数の赤い閃光。
燈継が<裁きの雨>で、帝都に放たれた全てのリーゼに攻撃を仕掛けるまでの約三分間、リーゼは分身体を使い帝都の住民を襲い血を回収していた。
大量の血を得たリーゼは、余す事無くその力を解き放つ。
雨の様に降り注ぐ赤い閃光は、地上を無差別に破壊した。
家屋は崩れ、瓦礫によって土煙が帝都の至る所から立ち昇る。皇帝が座する城にも甚大な損害を与えた。
しかし、リーゼは違和感を覚える。
今の攻撃で、一滴の血も流れていない。
「どういうことかしら?誰も死んでないなんて……」
「こういう事だ」
「っ!?」
ザンッ!
突如として空に浮かぶリーゼの背後に現れた燈継は、リーゼの左腕を一瞬にして切断した。
一瞬の油断。背後から迫る燈継に気付かなかった。
だが、リーゼに焦る様子はない。
本体から切り離された左腕は、切断部分から噴き出す血を利用して、磁石の様に引き戻された。
切断から即座に結合する左腕を見て、燈継は更に追撃を行う。
<水流魔剣>
「っ!?」
魔力によって生成された水が流れ、うねりながら聖剣を纏う。
それを見たリーゼは、回避不能と悟り防御に神経を集中させる。
リーゼの背中から生えた赤い血の翼で、自らを覆い隠し燈継の攻撃に備える。
一瞬の思考の読み合い。一瞬の攻防。
だが、どれだけ血界の指輪によって強化されていても、純粋な魔力量では燈継が勝っている。
「がはっ!……」
水平に薙ぎ払われる強烈の一撃。
魔力で生成された水が激しくうねり、巨大な剣身がリーゼにぶつけられる。
リーゼにとって最大の防御はいとも容易く崩れ去り、巨大な水の剣身で肉体を両断された。
しかし、たった一度両断しただけでは、先程の左腕の様に再生される。
ならば、再生出来なくなるまで切り刻むしかない。
燈継は何度も水の剣身を振り払い、リーゼの肉体を切り裂いた。
たとえ、自分が愛した人だとしても……。
(どうしてっ!?再生が……追い付かない!)
「再生できない。そう思っているんだろ?」
「っ!?」
「それは、水属性の攻撃に対して、血液がその水に流されて操作出来ないからだ」
「そうですかっ……ですが、私の血はまだ残っています!」
三度リーゼの体を切り裂いた時、リーゼは辛うじて操作出来る体内の血液を使い、左手の爪の先から血の斬撃を繰り出した。
それを回避する為に体を反らす燈継に対し、好機と捉えたリーゼは地上への脱出を行う。
一瞬にして地上に降り立ったリーゼは、何とか燈継の攻撃から逃れた。
地上で辛うじて肉体を結合させるも、大量の血を損耗した。
リーゼの肉体から放出されていた赤い蒸気も、今は完全に消失している。
「はぁ……はぁ……」
地上に対する無差別攻撃で、更に大量の血を回収する計算だったリーゼにとって、これは大きな誤算だった。
燈継は血界の指輪の性質を見抜いて、これ以上リーゼに血を回収させない様に、惜しげも無く<絶対不可侵聖域>を使用していた。
それと同時に、魔力を抑えて気配を消しつつ、最速でリーゼの背後に忍び寄る。
リーゼが弱い訳ではない。現に、燈継が居なければこの帝都は破壊され尽くしていた事だろう。
「かなりの血を失った……また、回収しなくては……」
視界がぼやけて全身に痛みが走る。
感覚が麻痺しているのか、その痛みも直ぐに消え去った。
心臓の鼓動が自分でも聞こえる程に速い。この喉の渇きを潤す為に、血を求めている。
おぼつかない足元で血を求めて歩くリーゼの前に、燈継が立ち塞がる。
「リーゼ皇女。もう終わりにしましょう」
「はぁ……はぁ……あの男を殺していないのに……終わりにする?ご冗談を。あの男を殺すまでは……」
「これ以上、貴方に罪を重ねて欲しくない。誰も殺させない」
「罪?……私をあの暗く狭い部屋に閉じ込めていたこの帝国を……破壊する事が罪だと言うのですか!?」
「それは……帝国の罪ではなく、リーゼ皇女を救えなかった私の罪です。どうか、その怒りも憎しみも、全て私にぶつけて下さい」
「私に勇者様を恨めと言うのですか!?この世界で私に手を差し伸ばしてくれた、たった一人の貴方を!どうして恨まなければならないのですか!」
「あの時、私が手を取らなかった。その選択の結果が今の貴方です」
「……違います。あれは私の罪です。本来許されるはずがないと分かっていたのに……勇者様を求めてしまった私の罪です。だから、勇者様は自分を責めないで下さい……っ!?」
「っ!?リーゼ皇女!」
その時、リーゼは体内から込み上げる抑えられない衝動によって、口から大量の血を吐き出して地面に倒れ込んだ。
既にリーゼの肉体は限界を迎えていた。
魔力の基礎すら知らないリーゼが、これ程までに戦えたのは血界の指輪の大きすぎる代償を支払っていたから。
使用者の血を吸い取る事で血を操る魔法を与え、使用者の血を消費する事で肉体の身体能力を飛躍的に向上させていた。
人間一人分の血の量だけではあまりにも少ない。故に、他者の血を取り込む事で効果を持続させなければならない。
もしも使用者の血が底を尽きたのなら、血界の指輪の力は失われる。
全身の至る所から血が流れだすリーゼを抱きかかえ、燈継は救出の手段を探る。
「はぁ……はぁ……」
「くそっ!?どうにか元に戻す手段は無いのか!」
「勇者様!ご無事ですか!」
「ローシェか!頼む!リーゼ皇女を治してくれ!」
「っ!これは……」
ローシェの治癒魔法は、肉体の外傷を治す事が出来る。
しかし、リーゼの肉体の損傷は外傷とは根本的な違いがあった。
リーゼの肉体が受けているダメージは、外傷ではなく血界の指輪を使用した事による代償。
リーゼが血を回収できなくなった事で血界の指輪の力が失われ、その力を使用していた反動がリーゼの肉体に返って来た。
逃れられない代償の支払い。これは、一種の呪い。
リーゼの肉体が、その反動に耐えられるはずがない。
「勇者様……申し訳ございません。皇女殿下の体はもう……」
「っ!?くそっ!どうしてリーゼだけが!」
「はぁ……はぁ……勇者様……」
震える右手をゆっくりと動かして、燈継に差し出した。
今にも灰となって消えていまいそうな細く冷たい右手を、燈継は両手で優しく包み込んだ。
優しさと温もりを感じながら、リーゼは燈継に語り掛けた。
それが、最後の言葉の様に。
「ゆ、勇者様……」
「っ!リーゼ皇女……私は、貴方との約束を果たさなければなりません!だからっ!どうか生きて下さい……」
「約束……ああ……そうでしたね……だけど私は……勇者様を……殺そうと……」
「それはリーゼ皇女の罪ではありません!だからどうか、自分を責めないで下さい!私こそが……」
「ふふ……勇者様も……ご自分に罪があるなんて……私と同じ事を……」
呪いに犯されながらも、白く美しい顔に浮かべた優しい笑み。
それは、リーゼが心から溢れた喜びの表れ。
自分の愛した人が、自分の為に罪を背負おうとしている。
それが心の底から嬉しかった。
だけど、本当はそんな事してほしくない。自分の愛した人に、罪など背負って欲しくはない。
「勇者様……私の事は……もう……忘れて……下さい……」
「忘れるなんて事は有り得ません!私は貴方を!……」
「世界を……救う……勇者様が……私一人に……囚われては行けまっ……せん……だから……どうか……私の事は……」
目の前の視界がかすみ始める。
抱きしめられる燈継の表情も見えない程に、リーゼの視界は閉じようとしていた。
あらゆる感覚が失われて行く中で、燈継の温もりだけは感じられた。
そして、リーゼの顔に降り注ぐ水滴は、自分が最も愛した人の涙だった。
(リーゼ、俺は君の事を……)
初恋は覚えていない。
そもそも、人を好きになるという感覚がよく理解できなかった。
成長するにつれて、可愛いと感じる同年代の異性も居た。でも、好きかと問われると自分でも理解出来なかった。
この世界に来てからも、美しいと感じる女性は多かった。
だけど、心の底から恋をすることなんて一度も無かった。
リーゼに出会うあの日までは……。
そう。あの日から、全てが変わった。
リーゼの事が頭に浮かんで、リーゼに会いたいと願う様になった。
だから、何度もリーゼの部屋を訪ねた。
彼女の呪いを解いて、いつか外の世界を一緒に見て回りたい。そんな夢も思い描いた。
自分の気持ちには気付いていた、その気持ちを伝えたいと思ったこともある。
だけど、それは許されなかった。
世界を救う使命を持つ勇者が、たった一人の為に自分の願望を優先させてはならない。
この気持ちを皇帝に利用されるかも知れない。あの皇帝にだけは、弱みを握られてる訳にはいかない。
だから、この気持ちは押し込んだ。
「はぁ……はぁ……ゆ……勇者様……私は……貴方の事……愛して……います……だから……どうか……私の事……わすれ……」
だけどもう、その必要は無い。
本当はもっと早く伝えたかった。この想いを。
これは、俺にとっての罰だ。自分の罪は、自分で背負う。
だから今は……彼女にこの想いを伝える。
「リーゼ……俺も君の事を愛している。だから、絶対に君の事は忘れない」
「っ!……ああ……本当に……夢……みたい……」
リーゼは生まれて始めて、心が幸せで満ちていくのを感じる。
その暖かさは心地よくて、いつまでも自分を満たしてくれる様な感覚。
自然と笑みが浮かび、喜びが溢れて涙が止まれない。
それと同時に、全身から力が抜けて視界が暗く閉じていく。
リーゼは自分の死を悟った。だけど、後悔や恐怖は無い。
「ああ……この……夢が……もっと……」
その言葉を最後に、リーゼの心臓の鼓動が止まった。
全身から力が抜けて、目は閉じられている。
血界の指輪によって、破壊衝動に駆られていた事が嘘の様に、安らかな顔をして眠っている。
それは、最後に愛する人の中で夢の様な一時を過ごした事が、リーゼの中にあった邪悪な感情を取り払った。
最後の最後で、リーゼは本当の幸せを知る事が出来た。
しかし、燈継の中の怒りは収まらない。
リーゼの左薬指から外した血界の指輪を握りしめて、思考を巡らせる。
「どうして……リーゼが十三至宝を……」
隠し持っていたとは思えない。
そもそも、リーゼが十三至宝を手に入れる術なんてないはずだ。
どれだけ考えても、正解に辿り着く事は出来ない。
行き場のない怒りが湧き上がる燈継の前に、その元凶は現れた。
パチ!パチ!パチ!パチ!パチ!
「「っ!?」」
「ブラボー!実に素晴らしい喜劇だった!楽しませてもらいましたよ!」
「お前はっ!」
「改めて名乗るといたしましょう!魔王軍契約魔将が一人『失楽』のジュトス。以後、お見知りおきを」