ハッチの外は白い雪 ~柩の外は青い空 外伝(その2)~
「あ、えと、どうも」
体の雪を軽く払いつつ先客たるわたしと店員たる彼女にそそくさと挨拶をして、カゴを片手に店内をゆく『彼』。
直後キスをせんばかりの勢いで顔を寄せ合う店員女と魔法少女。
「ヘイヘイ、噂をすれば、ってか?」
「そういえばこのあたりに住んでたんだっけ、彼」
彼──矢和慎人。
ごくふつうの、どこにでもいそうなヘッドホン少年。
けれどその名は、少なくとも魔法少女であれば誰もが知っている。
なんたって彼は彼女の──久保叶唯の「彼」なのだから。
彼に何かあれば世界が滅ぶ。
彼女が、叶唯が滅ぼす。
……とまでは、まあ言われてないけれど。
でも似たようなもんだ。
「あの、すみません──」
その彼がまたレジ前に戻ってきて、わたしたちは顔を離してぐっと口をつぐむ。
とはいえさすがに店員のえいこさんは黙ったままではいられないので、
「ええとはい、何でしょう?」
「花火、なんてあります? セットのやつとか。売れ残りでもいいんですけど」
「花火──ですか? っと、ちょっと待ってくださいね」
レジを回って店内へ出るえいこさん。
ざっくり見回ってから「倉庫のほうも見てきますね」と、さらにバックヤードへと入って行った。
ふだんなら絶対こんなサービスはしないのに。
大切な常連をほったらかして花火探しかい!
まあいいけどね(いいんだ)。
それはいいけど、でも真夏でも雪の降るこの世界で花火なんて。
さすがあの叶唯の彼氏をやってるだけのことはある(たぶん褒めてる)。
とまれ、そんなものがまだ残っていたらそれこそ奇蹟だ。
それはもう花火の形をした魔法だ。
閑話休題。
その彼と並んでレジ前に残されたわたし、ちょっと気まずいかも。
制服と髪型と店先に停めた戦車で、わたしが魔法少女なのはバレバレだし。
っていうか彼とは、実はそれなりに顔見知りと言うか、知り合いだったりする。
あの文化祭の日、わたしと叶唯の歌の方向性の違いについて、彼とはけっこう熱く語り合ってしまったのでした。
うわ恥っず! 思い出すだけで恥っず!
平々凡々に見えてこの彼は、語る時は語るのですよ。
びっくりしたですよ。
まあ今は「平々凡々モード」で、おとなしくお菓子や飲み物でいっぱいのかごを下げていますけれども(なんか似合ってますけれども)。
いずれにせよ、このまま無視ってのもありえないし。
というわけで、お互い軽く目配せしつつちょこんと頭を下げてみたり。
「……すごい量だね」
思い切って話しかけてみたり。
「これ? うん、ちょっとね──おかげでお小遣いパーだけど」
わたしは彼が耳から外してマフラー越しに首へかけてるヘッドホンを、ちょこんと指さして、
「もしかして、あの子の歌?」
「うん。聞く?」
わたしも歌うのを知っている彼が、ちょこんとそのヘッドホンを上げて見せた。
店内に流れるBGMの隙間から聞こえる、かすかな歌声。
「いいよ。急いでるんでしょ」
たぶん。
きっと。
その子──叶唯のために。
「──おまたせしました」
やっとえいこさんが戻ってくる。手にはいかにもお子様向けな花火セット。
お世辞にも売り物とはいえないほどくたびれてる。
ていうかむしろよく残ってたもんだ。
「すみません、最近はほとんど仕入れてなくて。これも使えるかわからないんですけど」
「大丈夫です。いざとなったら魔法とかありますし」
「なるほど。でもこれ、こんなんですけどぶっちゃけかなりお高いですよ?」
かすれかけた値札シールに記された数字は四桁の後半。
うっそ!
ゴミでしょだってこれどう見ても!
けれど彼は、むしろほっとしたようにうなずいて、
「……大丈夫です。あるだけでもありがたいです」
そして花火を受け取ると、当然のようにわたしの後ろに並ぶ。
慌ててレジ前を譲るわたし。
急いでる風なのに、なんて律儀な子。
「いいの?」
「かまいませんよ。こちらのお客さまはただのサボりですから」
わたしが言うより早く、お菓子でいっぱいの彼のカゴを受け取って答えるえいこさん。
おいおい!
「ごめんね。ちょっと急いでて」
彼に言われて、慌てて笑顔を作る。やばいやばい。
急いでるというその言葉通り、ふつうの少年にはかなり高額の買い物をした彼は、受け取ったコンビニ袋を重そうに提げつつもさっさと店の外へ出て行った。
「……デートか」
「……デートね」
残された三〇代独身女と一〇代魔法少女は最速で意見の一致をみる。
「そいや叶唯、今月はずっとこっちにいるんだっけ」
「世界を守る史上最強の魔法少女との、つかの間の逢瀬ってか。いいわねえ」
いい歌になりそう、と彼女。
その口から軽く流れるフレーズ。楽しそうな顔。
「ならさっさと歌にすれ」
「うん……そだねえ」
鼻歌が止まり、笑顔が消える。
さっきからどうもノリが悪いな。
「どうかしたん?」
「何かね、予感がするんだよね」
「出たな魔法シロート女の『予感』」
えいこさんは、でもちょっと悩んだ風にしてから、
「……うちの父親さ、とうとう死んじゃうみたいなんだよね」
彼女のお父さんはずっとご病気で、それもけっこう長く患っている。
単純な傷とは違い、複数の要因が複雑に絡む病気は、現代の魔法でも治すことは難しい。
というか、逆にその魔法──魔力が悪く作用して体を冒すこともある。
魔法に耐性のない一般の人が大威力の魔法を浴びると、たまに取り返しのつかない呪いに見舞われたりする。
今回は魔法とは関係ないらしいけれど。
「確かなん?」
「この感触はね、うん。間違いない」
「そか」
「うん」
しばし沈黙。しゅーしゅーと蒸しあがるわたしのにくまん&あんまん(食べごろです)。
「──どれくらい会ってないんだっけ?」
「ひのふの、ざっくり一〇年くらい、かな」
「って、わたし五歳じゃん!」
「誰もあんたの歳なんて聞いてねえ!」
広めのおでこ(これまた禁句)に本気の青筋ぴきんと浮かせ、一応お客さまたるわたしに向かってマジ切れ絶叫えいこさん(まあいつものことですよ)。
でもそっか。
家出同然でこの街に流れ着いた彼女と出会ってから、もうそんなになるのか。
「でもそうだよねえ。あのときわたしのギターの前にいたあのちっこい女の子が、今や世界を救う魔法少女だもんねえ……」
「そりゃあ歳も取るわけさ」
「だからあんたが言うなって!」
にはは、と笑ってみる。
……だめか。つられないか。
彼女の顔は、一晩じゅう凍っていた戦車のエンジン並みに反応が鈍い(最終的に魔法で動かすとしても、一度は燃料を入れて自力でエンジンをかけなきゃいけないのです)。
しゃーない。こちらも腹をくくるか。
彼女の『予感』は、実際よく当たるし。
とはいえ彼女は、正しく魔法少女ではない(見た目も含めて)。
けれど一般の人の中にも、いわゆる魔法的才覚と呼べるものを持つ者がいる。
彼女のもその一人で、それで「わかってしまった」のだ。
自分の一番大切な人の、一番知りたくて──でも知りたくない事実を。
「いつ?」
今はまだ魔法少女たる身としてその思いを受け止めるべく、聞く。
「たぶん五日後……遅くても一週間後」
「お母さんには?」
「まだ話せてない。うち離婚してるし」
「初耳」
「いま初めて言ったもん。だから連絡先もわからないし。だいたいどう話したものやら」
人の消息を占うのは、それこそ「名もなき魔法」の得意技なんだけど。
でも今のわたしは、一番見つけやすい飛翔系の魔法すら持っていない。
そんなわたしに、えいこさんは小さく笑って「いいのよ」と言った。
「それよりほら、人は死ぬとき、魔法をひとつ残すでしょ?」
「人によるけどね──ちょっと待った」
わたしはそろそろ蒸かしすぎ気味のにくまんをちらっと見てから、
「わたしに看取り役をしろって? その魔法の見届け役になれって?」
「あんたまだ魔法少女だし。それに」
友だちじゃん、とえいこさん。
「歳は倍も違うけどね」
「それがどーした」
なぜか胸を張るえいこさん。
思わずちょっと笑った。
「でもさでもさ、友だち──の親を看取るとか、そんなのまだ何十年も先のことだと思ってたよ」
「そんな先までこの世界がもつとでも?」
「もたせるでしょ。せめてあの彼が死ぬまでは。彼の魔法少女──史上最強の魔法少女が」
「でも彼が彼だからねえ。今頃どこかで足を滑らせて転んで頭を打って、ついでに戦車に轢かれて死んでるかも」
「おいお……いやありそう。すっげーありそう」
けどそんな理由で滅びる世界って……
いや今はそんな話じゃなくて。
目を閉じて頭を振る。
いい感じに温まったツインテが揺れてほのかに匂いを放つ。
わたしだけにわかる匂い。魔法の匂い。
どんな時でも心を落ち着かせてくれる、懐かしいわが家の匂い。
一瞬閉じていた目を開く。
その目の前──レジカウンターの向こうに立つのは、倍も歳の違う「親友」。
別々の場所で別々の時を生きてきて、でも今は一緒の街で生きて一緒に歌ってる大切な仲間。
この魔法の雪に埋もれゆく滅びゆく世界の片隅で。
たぶんいくつもの魔法みたいな「偶然」が重なって重なって、根雪のようなそれを踏み越えてやっと出会えたわたしと彼女。
それはもう魔法だ。
「奇蹟」という名の、歴とした魔法。
きっとそれは彼女のお父さまが残した(残すことになる)魔法の一部なのだ。
その死後──ごく近い未来に残される奇蹟が一〇年前の過去に及ぼした魔法。
たまに魔法は時をも越える。
はふん。
くるっと振り返り、自動ドアへ向う。
「どしたん? にくまんあんまん、もうとっくに食べごろだよ」
「一番いいやつとっといて。ちょっくら魔法、拾ってくるから」
「続けるんだ、魔法少女」
「ちょっと野暮用、できっちゃたもん」
「悪かったな」
「そう思うならさっさと書け。魔法少女のための新しい歌を」
「あんたが魔法少女であるうちに?」
「時間はないぞ」
「まだ五日ある」
「いいの? 大切な人の命をカウントダウンに使って」
「いいの。わたしの歌は命の歌だから」
「なんのこっちゃ」
ため息一つ。でもいいや。
彼女が、えいこさんがまた笑ってるから。
「さて、んじゃまたあの狭くてうるさい戦車に乗って──ん?」
ポケットに手を入れ、振動する携帯電話を出す。
表示を見なくても同業者からの着信だとわかる。
このご時勢、わざわざ携帯にかけてくる子なんて他にいないし。
「まったくもう何だろな。ここで颯爽と去ればかっこよかったのに」
「あ、それ──」
ぶつくさと携帯を開いたわたしに、彼女が声をこぼす。
「何また予感? ──あ、マヤカ? うん、わたし。何?」
相手の声が聞きずらい。
戦車か、でなきゃヘリコプターの中からかけてきてるらしい。
「シント──くん? うんうん、見たよ。え? だからさっき。いやここで。西三丁目のコンビニ……はあ?」
思わず耳から受話器を放してレジカウンター越しにえいこさんを見る。
「どしたん?」
「よくわかんない。何かシントくんと叶唯を会わせたら世界が滅ぶとかどうとか」
「何それ?」
「さあ。ねえマヤマヤ、それってどういう──え、学校? 叶唯の? わかった、わかったって!」
ぱちんと携帯を畳んでポケットに戻す。
「しゃーない。とにかく彼のあとを追ってみる」
「あの二人のデートの邪魔なんかしたら、それこそ世界が滅ぶかも」
「まったくね。このポンコツ世界が!」
「どうでもいいけど、さっさとやっつけて帰っておいで。蒸かしすぎのにくまんなんて食えたもんじゃないぞ」
「けど新しい魔法も見つけてこないと」
「しゃーない。新しいの入れておくわ」
「いつもすまないねえ」
「いいって。今のやつは破棄ってことで、わたしの晩ごはんにするから」
「おいおい」
「わっはっは」
彼女が笑う。わたしも笑う。よし!
「んじゃちょっと行って世界を救ってくるか!」
「ついでに空を飛ぶ魔法のひとつでも見つけてくることね」
「そっちこそ、新曲早く書け!」
「ほいほい。いってこー!」
「んー!」
向けた背中でツインテを揺らして挨拶代わり。
自動ドアを抜け、戦車のおっちゃんへ手を回して出発進行の合図。
四輪駆動のほうは──いいや放っておこう。どうせ今夜も徹夜なんだし。
世界が滅びなければ……の話だけど。
魔法の力を借りて、さっと戦車の上に飛び上がる。
ぐらっと大きくひと揺れして、アイドリングだったエンジンが息を吹き返す。
105ミリ主砲の下から頭を出したワカツキ三佐が苦労してこちらを見上げる。
「おや手ぶらですかい? あんだけ待たせて──」
「話はあと! とにかくおっちゃん学校へ向かって! この先の県立高校! 最大戦速!」
重たいハッチを開けて体とツインテを入れる。
ハッチを閉じる寸前、いつものようにちらっとだけ空を見上げる。
どこかでバタバタと空の雪を叩く音がする。
風じゃない。マヤカのヘリかも。
その音に散らされるように灰色の空から舞い降りる、白く青く輝く魔法の雪。
青い空なんて、わたしは知らない。
えいこさんは知っている。
戦車のおっちゃんも。ぎりぎり(四駆で寝てる)フルガーも。
でもうらやましいと思ったことはない。
正直言って、わたしはこの空が好き。
この白くて青い雪が好き。
だから。
だから頑張って。世界。
わたしも頑張るから。だから。
えいこさんも頑張ってる。
えいこさんのお父さんもきっと頑張ってる。
もうすぐ新しい歌もできる。
だから世界。
真っ先にその歌を聞かせてあげるから。
だから世界、
そんな簡単に滅びるな。
そんな簡単に諦めるな!
頑張れ。頑張れ世界!
おお!
「しゅっぱあつ!」
おわり