ハッチの外は白い雪 ~柩の外は青い空 外伝(その1)~
鉄製の重たくて冷たいハッチを押し上げて頭を出す。
見上げた空は一面の雪色で。
その空の下、ゴトゴト走る青色の戦車の上で。
そのハッチから顔だけ出して、わたしはふと思ったのだった。
「魔法少女、やめよっかな」
☆
ふと魔法少女をやめようと思った。
月から落ちたドラゴンのせいで滅びかけてる世界の端っこで。
たまに走るコンビニトラック以外は誰もいない常夜の国道で。
白く青く淡く輝く魔法の雪を蹴散らしてゴトゴト走る戦車の上で。
わたしは気がつくと、そう決意していた。
たまたま手持ちの魔法が尽きたから(最近魔法の収集サボってたからなあ)?
鉄製の重たいハッチから見上げた空が雪色だったから(いつものことやん)?
さっき黒猫が前を横切ったから(魔法絡みじゃないふつうの猫だったけど)?
ここまで三回連続で目の前で信号が赤になったから(誰かに呪われたかな)?
ここんとこ毎週日曜になると第一級吹雪になるから(誰かに呪われ以下略)?
……まあ表向きの口実なんてどうでもいい。
大切なのはそれがうそ偽りのない、この時点におけるわたしの本音だったということで。
さっき保温ポットから注いだばかりの熱いココアが、黒い防寒手袋をした手の中でココアアイスになっていた──そのわずか数分の間で、わたしの心もしっかりと固まっていた。
つまりその日、わたしは本気で魔法少女をやめたかったのだ。
「やめちゃうんだ、魔法少女」
コンビニでバイト中のいい歳をした女が、そうだねえ、と言ってうなずいた。
「お互い、クラス会や同窓会にゃ顔も出せない身の上だしねえ」
「待った。待てコラ。この滅びかけた世界で三〇過ぎてまだ夢を見てるバイト女と一緒にされたくない」
「よく言うわこの歩くリアル中二病少女。やーいツインテ!」
「誰のおかげで世界が滅びずにいられると思ってるんだか!」
「お陰様で働き口といえばコンビニくらいしかない世界で苦労してるわありがとう!」
「文句を言う暇があったらさっさと次の曲を書けっての!」
実はわたしと彼女は、あと二人ほど加えたメンバーでバンドを組んでいた。
さらに彼女はけっこう本気でプロを目指してて、おかげで未だにコンビニあたりでくすぶっている(これはこれでこの世界では重要なお仕事ではあるけれど)。
「魔法少女やめちゃうやつのために魔法少女のための歌が書けるかっての~♪」
「うっせい早くにくまんよこせえ!」
逃げたな、と笑うバイト女──えいこさん(三〇過ぎ未婚。恋人なし)。
「おや何か言ったかね?」
にくまんが入った保温器を横目に銀色のトングをカチカチ鳴らすえいこさん。
「そっちこそ」
わざとらしくコートをはだけて脇に下げた魔法少女専用の戦闘杖をチラ見せするわたし──加古井立夏(ちなみに魔法少女歴三年目の一五歳。恋人なし)。
「お客さま、セクハラ発言並びに店内での魔法使用は、万引きの現行犯とみなして即刻警察へ突き出しますのでご了承ください」
「竜灰の魔法少女と万引き犯を同列に扱うなあ!」
あとセクハラ発言はごめんなさい。
さておき。わたしが本気でこの魔法の杖──〈マトック〉を振るえば、こんな店一瞬で消えてなくなるぞ。
「そしたらご近所から『竜灰教会』へ非難轟々、あんたもチェーン全店で出入り禁止になるわよねえ」
コンビニ以外の流通ルートが壊滅状態の現在、冗談抜きで人々の生活はこのコンビニチェーンにかかっている。
「もう一生、にくまんもあんまんも食べらなくなるわよ」
楽しそうに指を振るコンビニバイト女えいこさん(こらマニキュア禁止!)。
「アイスもカップ麺も。あと歯磨きとかシャンプーとか、それからそれから」
「あーもうわかったからさっさとにくまんよこせ! それとあんまんも追加でよろしく!」
大きな口をさらに大きく引き伸ばして笑うえいこさん(制服が悲しいほど似合いすぎ)。
「はい毎度──って、にくまんとあんまん一個ずつ? 外の連中の分はいいの?」
えいこさん(バイト女/作詞作曲&キーボード担当)がまだらに雪の張り付いた自動ドアの向こうを見た。
つられてわたし(魔法少女/ボーカル&リズムギター担当/たまに作詞も/ただし魔法少女は廃業予定)も顔を向ける。
雪塗れのガラスドア越しに、外の駐車場を占領して巨大な青色の戦車が停まっているのが見えた。
旧陸上自衛隊第二世代型ナナヨン式中戦車──とかいうらしい。
車体の先にはでっかい雪かき(どーざー、とかいうらしい)付き。
けっこう昔の戦車らしい。中も狭いし、内装の白い塗装はあちこち剥がれかかってるし。
でも砲塔の形が魔法を受け流すのに最適な形状をしていて、わたしたちの間ではけっこう人気がある。
砲塔のハッチ(本当はきゅーぽら、とかいうらしい)も、ツインテ&コートでも楽に出入りできるよう二回りほど広くしてある(「フタまわり? ハッチ(=蓋)だけに?」……なんておっちゃんギャグは禁止!)。
さらに本来の四人乗りを三人用に改造、搭載する砲弾も魔法装填実包(吸血鬼級対魔用最終兵器)五発分だけにして、どうにか最低限の居住環境も確保してある。
加えて休憩スペースと連絡用を兼ねた四輪駆動車を一台牽引しているので、その気なら倒したシートの上で足を伸ばして寝ることもできる。
ちなみに戦車の色はわたしの好みで青にしてみた。
正確には青一色ではなくて、青と水色と白のトリコロール。
運転手のワカツキ三佐(四〇代/けっこう偉い/おっちゃん&ベース担当)いわく、「昔のT2ブルーみたいだ」と。知らんわ。
警備のフルカワ巡査(二〇代/下っ端/新米ヤンキー&ドラム担当)は、牽引してるオレンジ色の四輪駆動車の中で仮眠中。
彼らこそわたしたちのバンドの残り二人のメンバーであり、同時にわたしを含めた三人でチームを組んで、道路の雪かきと警邏をかねて一日中戦車で走り回っている仕事仲間なのだった。
今だって実はそのパトロールの途中だったりする。
魔法使いと戦車乗りと警察官がいれば、たいていのトラブルはその場で解決できる。贅沢を言えばあともう一人、本職のお医者さまがほしいところだけど。
でもまあ、そこはわたしの治癒系魔法(自信なし……)でごまかすしかない。
あと見たまんまぐーたらヤンキーなフルカワ巡査も、あれで救命救急士の資格を持ってるし。
こう見えて、わたしたちはけっこうバランスの取れたパーティーだと思う。
でもそれはそれ、これはこれだ。
全てが万事物不足、大緊縮時代の情勢下にあっては道草ひとつも財布と相談だ。
魔法少女として『教会』からそれなりの報酬は得ているけれど、それもそれ。
パトロールの活動費は別会計で、こちらは国の予算から出てる。
つまりとてもしょぼい。
わたしは預かっている財布の残高をざっくり暗算して、冷徹に首を横に振る。
「おっちゃんはCレーション(戦闘糧食)が残ってるし、フルガーもカップ麺が余ってる。だからいらない。あとでお湯だけちょだい。二リットルほど」
「相変わらずひどいなこの魔法少女は」
「だからやめちゃるっての、魔法少女」
「相変わらず短絡してるなわが歌姫は」
「──きっとさ、向いてないんだよわたし」
さり気なく本音を混ぜてみた。
「魔法少女に?」
「それもだけど、何より〈竜灰魔法〉に」
ひとくちに魔法といっても、それには大きく二つの系統がある。
一つはこのは世界を滅ぼしかけた月のドラゴンの灰を使う〈竜灰魔法〉。
元々が異世界の最終兵器クラスのドラゴンが残した魔法なので、その威力は折紙付き。その出自からも完全に戦闘向き。
とはいえもちろん、コンビニを吹っ飛ばすだけが能じゃない。
工夫次第では、たとえば「決して冷えない溶けない超高温の雪だるま」とかも作れるのだ!
何だそれと思うかもしれないあなた。甘いです!
これに水や雪をぶっかけて水蒸気を発生させ、それで「たーびん」とかいうのを回すとあら不思議! なんと電気ができるのです!
魔法かよ! 魔法だよ! でも後半はただの工学、電磁気学だよ! 頭痛いよ!
……うおっほん。
とにかくカップ麺の湯沸しから魔物退治まで何でもありあり、世界だって滅ぼせる文字通りの「魔法」──それが〈竜灰魔法〉であり、その魔法を扱う者は〈アッシュテイカー〉と呼ばれ、世界のため人々のため、日々真面目に頑張って電気を作ったりパトロールしたり雪かきしたりして、滅びかけた世界を支えているのです(誰か褒めて)。
そしてもう一つ。
といっても、こちらはそんな大した魔法ではなくて。
文字通り世界を支えてる〈竜灰魔法〉とは、並べて語るほどの力も奇蹟もない。
その名もなきささやかな魔法は「人の願い」から生まれる。
そう。
一度滅びかけてぎりぎり立ち直ったこの世界では、人の願いは魔法になるのだ。
とはいえもちろん、どんな願いでも魔法になるわけじゃない。
それならとっくに目の前のコンビニ女は結婚している(わたしじゃない、本人が言ったのだ!)──じゃなくて、とっくに世界は救われている(もしくは終わっている……賭けるならどっち? でも慎重にね。対価は自分の命です)。
魔法として結実するのは、もっともっと単純で純粋な願い。
たとえば「空が飛びたい」とか、「なくしたものが見つかりますように」とか。
たかだかその程度の、誰もが漠然と心に描く日常の「あったらいいな」的願い。
さらに誰の願いがいつどこで魔法となるかは、それこそ誰にもわからない。
古新聞に包まれたフィッシュ&チップス(まだあるのか?)片手に、ロンドン(ドラゴンの直撃を受けた欧州で一番被害の少なかった街)のベイカー街あたりをうろつきながらふと思った(願った)それが、野良猫の形をして東京は渋谷の裏通りでゴミをあさっているかもしれない。
だから街のあちこちで見つかる魔法は基本、誰のものでもない。
無論、わたしたち魔法少女のものでもない。
わたしたちはただの代行者に過ぎない。
では誰のものか──決まっている。
「みんなのもの」だ。
〈竜灰魔法〉のように、使った魔法を記録して『教会』へ報告する義務もない。
とある魔法を望む人がいて、自分にその魔法があれば、その場で自由に使える。
魔法のストックがなくなっても、そのあたりに凝っている魔法を見つけて拾えばいい。
人の願いが結実した魔法は、何気ない形をして人の生活圏に紛れ込んでいる。
それは路地を行く猫だったり、電柱脇に立つ郵便ポストだったり、店先に鎮座する招き猫だったり。
それらを見つけ出して「収集」するのも、(あえて言えば)この魔法の楽しいところ──だったりする。
「まあねえ、確かに厳しい制約付きの〈竜灰魔法〉よりは、ずっとあんた向きかも」
なんて、わたしの倍の人生を生きている彼女(30=15×2。改めて考えるとびっくり!)に指摘されるまでもない。
世界を救うために強力な魔法を使うなんて、そもそもわたしの趣味じゃない。
誰とは言わないけど、とある史上最強の魔法少女じゃあるまいし(アーカイブセンターで見たアニメかよ!)。
たとえば自販機の下に落ちた硬貨を拾ってあげるべく、その自販機を浮かせてみせるとか。
間違って買っちゃった無糖ブラックコーヒーを、伝説のマッ〇スコーヒー並みの極甘にしてあげるとか。
そんなこと、などと言うなかれ。
たかが缶コーヒーされど缶コーヒー。決して甘く見てはいけない(ブラックは苦いけど)。
ありとあらゆるものが欠乏し魔法頼みとなったこの世界では、たかが缶コーヒーの一本が、災厄前の喫茶店で出すマスター自慢の本格派の一杯に匹敵するのだ。
にくまんやあんまんにしても、それと同量の高級肉と同額の値段が付いていたりする。
実は現代のコンビニは、見た目はかつてのそれと変わらないけれど、値段だけを見ればとてつもなく高級なお店になっていたりするのだ(様々な政治的魔法的事情により、生活必需品よりも、嗜好品的なものの方が圧倒的に品不足で高い)。
これもさておき。
パトロールを口実に、毎度毎度わたしの「野良魔法探し」に付き合わされるおっちゃんたち(一人はまだまだ若いけれど。ていうか「若い」って言ってあげないと泣いちゃうけど)には悪いけれど、でもわたしにはやっぱり、〈竜灰魔法〉よりもこちらの魔法のほうが好きだ。
ところがここ最近、その「人の願いから生まれる魔法」がめっきり減ってしまっている。
繰返しになるけれど、その魔法は様々な形を得て町の中に紛れ込んでいる。
それを探し出すのもこの魔法の醍醐味なのだ。
いつでもどこでもこの凶悪な〈マトック〉を振るえば発現する〈竜灰魔法〉とは、そこが決定的に違う。
雪かきパトロール中でも、ちょっとした魔法が見つかればそれだけで心が嬉しくなる。
人の思いから生まれた魔法は、持っているだけで心が温かくなる。
それはふつうの人では感じることのできない、魔法少女だけの特権だ。
でもだからこそ、その魔法が町から消えつつあることが、とてもとても心に寒いのだ。
そしてこわいのだ。
人の願いに力がなくなっている──それが目に見えるようで。
みんなが今日を生きるのにせいいっぱいで、明日を諦めてしまっているようで。
決して大げさではなく、世界から希望が消えようとしている。
こっちの魔法を使っていると、それが頭ではなく心でわかってしまう。
世界が実は本当に滅びかけていることが、嫌でもわかってしまう。
それが辛いのだ。
「だからやめるの、魔法少女?」
えいこさんがお母さんと同じ声で聞いた(面と向かってえいこさんを母親に例えるのは絶対の禁句! 注意!)。
「なのかなあ」
まるっきり娘の声で答えるわたし(自信がないとこの声になる。注意!)。
月のドラゴンが灰となってばら撒かれた魔法。
人の願いが結実して形となった魔法。
真に世界に必要な竜灰の魔法と。
その余波で生み出された名もなき魔法。
そもそもがドラゴンの落ちたとばっちりで偶然生まれた、それ自体が奇蹟のような魔法。竜灰魔法の単なる余波。
ゆえにそれはいつ消えてもおかしくなくて。
だから未だに正式な名称さえつけてもらえない。
たとえ消えたところで、世界に必須の竜灰魔法があれば問題ないし、誰も気にしない(少なくとも教会と政府関係者は)。
「まあねえ。竜灰魔法には、久保叶唯っていうギネス級の大物もいるしねえ」
「ぎねす? ──どうせこっちの魔法を使うやつなんて、わたしレベルの下っ端連中くらいですよーだ」
「魔法使いに階級とか序列みたいのあったっけ?」
「公式にはないけど、でも力の差は歴然としてるから」
久保叶唯。
魔物の頂点たる「名を持つ吸血鬼」フィセラと対等に戦える唯一の魔法少女。
対するわたし、加古井立夏。
どんなコーヒーも一瞬でお菓子にできる極甘党の雪かき娘。
「いいじゃん。あんたの魔法で甘くしたコーヒー、わたし好きよ。きっと売れる!」
えいこさん最大級の賛辞「きっと売れる」が出た!
でも甘いコーヒーじゃ世界は救えない。
「あの子だって、ひとりじゃ世界は救えないわ」
わたしは笑って首を振る。
「ううん。冗談抜きであの子──叶唯ひとりで世界は救えるよ」
「でも歌はあんたの方が上手い」
ちょっと前に、叶唯主催で開催された高校文化祭ライブがあった。
わたしたちのバンドも参加して、とっておきの自信作を何曲か披露した。
魔法少女たるわたしがいるので、うちのバンドは基本的に電気使い放題の電脳楽団だ。
でも叶唯のほうから「今回は極力電気は使わない方向で」とのお達しがあって、アコースティック系のスキルを持たないわたしたちは何気に大ピンチだった。
楽器に頼れない分、ボーカルたるわたしが頑張るしかない。
だから頑張った。
もちろん魔法抜きで。ガチで声だけの体力勝負。
ほとんどアカペラ同然の条件で、それでも結果を見れば人気投票で叶唯を抜いて一位になった。
「っても、あっちはあっちで歌に専念するヒマなんてなかったんだろうけどさ」
むしろよくゲリラ文化祭なんて企画する余裕があったものだ。
「そこはほら、『彼』が頑張ったんでしょ……と、いらっしゃいませ! って──え?」
「ああ『彼』ね。って、どしたん──へ?」
チャイムと共に開いた自動ドアから入ってきたのは、その当の「彼」だった。