コーヒーを好む頃
わたし、本田裕子は怒っていた。それは今わたしの目の前にいる男、佐々木晴樹が原因である。それなのに、晴樹はへらへらと笑いながら、まあまあなんてわたしをなだめようとしている。「ねえ、ちょっと来て」と言って大学からこのカフェに引っ張ってくるまで、ずっとこの笑いが続いている。絶対にわたしが何に対して怒っているのかわかっているのだ。
「ねえ、誰と誰が付き合ってるって?」
注文したコーヒーがきた後、そうわたしが問いかけると晴樹は笑みを浮かべながらも何とも言いにくそうに答えた。
「裕子と俺、かな?」
その答えに対し、わたしははぁとため息をついた。わたしと晴樹が付き合ってたなんて、そんな記憶はわたしにはない。
「で、どうしてそんな噂がたっているわけ?今日小百合から、どうして言ってくれなかったのって言われて、何の話かわからなくて驚いたんだけど」
そう言うと、わたしはとりあえず気持ちを落ち着かせようとコーヒーを口にした。晴樹はそれを見ながら、相変わらずなんとも言えない笑みを浮かべている。
「裕子、今彼氏いないでしょ?で、俺はちょーっとめんどうな女の子に付きまとわれてて、それで…」
「それで、女除けにわたしの名前を出したと」
そう付け加えてやると、へへへと笑いながら、ダメだった?と聞いてきた。
晴樹はいつもこうだ。高校時代に仲良くなって以来、遠慮がないというか。いつもわたしをいいように使っている。
「あのね、高校時代のこと忘れたの?あの時も同じようなことがあって、好きな人に「本田さん、佐々木君と付き合ってたんだね」って言われてわたし失恋したんだからね」
そう言ってわたしは晴樹をにらみつけた。そういえば高校のときも今と同じように、カフェで話をしたんだった。あの時はコーヒーが苦手で、何か別のものを注文した気がする。なんて過去の苦い記憶を思い出しながら。
すると晴樹はわたしの怒りなんてお構いなしに、にこりと笑った。
「でも今、裕子には恋人も好きな人もいないでしょ?」
なんで断言できるのだろうか。わたしは晴樹と恋バナなんてしていないし、好きな人がいたとしても絶対言わない。
「なんで晴樹にそんなことわかるのよ。晴樹に言ってないだけでいるかもしれないじゃない」
「うーん、裕子と同じ講義ばかり受けてるけど、男を気にしてる風でもないし、同じサークルに入っているけど、寄ってくる男をまともに相手してる風でもないし。それに、小百合が裕子に彼氏はいないって言ってた」
あっさりと返され、なんでそこまでわかるんだと、わたしは頭を抱えたくなった。確かに同じ学科だから講義はたいてい同じものをとっているし、サークルも一緒だ。小百合には、晴樹になんでも教えるなと言っておいた方がよさそうだ。
「百歩譲って晴樹の言う通りとしましょう。でも、今後好きな人ができないとは限らないじゃない。噂は自然に消えるだろうけど、今後こんなことはしないように。あと、人のこと観察しないで」
そう言ってやると、晴樹は全く懲りた様子もなくやっぱり笑っている。
こいつ、聞く気ないな
そう思うと、やっぱりため息しか出てこない。
「じゃあ、嘘じゃなくなればいいわけだよね」
そう晴樹に言われ、わたしは意味がわからず晴樹を見返した。わたしの顔を見て、意味がわかっていないことを察したのだろう。晴樹は何でもない風に付け加えた。
「だって俺、前から裕子のこと好きだもん。付き合ってよ」
いきなりの告白に、あまり恋愛経験のないわたしは頭の中がパニックになってしまった。
「あの…でも…わたし、晴樹をそんな風には…見てないというか…えっと…」
しどろもどろにそう答えると、晴樹はやはりにこりと笑って答えた。
「そんなこと知ってるよ。だから、ゆっくり考えて。でもこれから猛アピールしていくから、覚悟しておいて」
わたしを利用するなっていうはずだったのに、なんでこんなことになってるの。晴樹が告白している側なのに、なんでそんなに余裕そうなの。そんなことを思いながら、わたしは真っ赤な顔を見られないよううつむくことしかできなかった。