ALL ENDED しょうじょのはかば
全ての記録を見終え、カリエルは何も思いつくものが無かった。情報は酷く主観に寄っていて、ごく最近の史実として考えるのは非常に危険だとは思う。しかし断片的に彼女達の生活に出てきた『外』の世界の情報が、妙にリアルだった。閉鎖され、閉じこもらされた世界の中に、入りこんでくる『外』が齎した物は、決して正義ではなかった。例え彼女達の生きる世界が違ったとしても、そこにいて、もがいて苦しんでいたのは、他でもない、十八歳の少女達だったのだ。
ただ、彼女達を取り巻く人間が、普通の大人ではなかっただけで、彼女達は普通の少女だった。いるべきだったのだ。
「………」
カリエルはそっとデジタルメモを置き―――両手を頭の後ろで組んだ。
「誰だお前は。どうしてこの中にいる。家人はどうした」
自分に向かって凄む声。まだ若い少年のものだ。記録の関係者の子供―――否、孫かも知れない。それくらいには若い。カリエルは目の前を向いたまま答えた。
「私はシルファー家前当主のカリエル・シルファー。この家に住んでいるというお二人の聖女様に会おうとお訪ねした所、ご高齢の従者様にお話を伺いました。彼女が疲労で倒れられたのと、許可を得ましたので、こちらのデジタルメモを拝見していました」
「カリエル? 嘘をつくな!」
「いいえ、事実です。お調べになるのなら、五十年前秋口頃の、西アインにあるシルファー村戸籍をお調べください。私の出生記録がある筈です」
少年はじっとこちらを見ているらしい。何も疚しい事はしていないのだから大丈夫、と、カリエルは自分に言い聞かせ、深呼吸を繰り返した。
「そのまま、ゆっくりこっちを向け」
言われた通り、足を半歩ずつずらし、身体を捻じ曲げないように、真っ直ぐ身体の向きを保ったまま、身体を反転させた。
黒い髪に、白い肌、鈍色の瞳―――ヴィアナルス系の少年が、小さな拳銃を構えていた。シルファー家でも見た事のある小さな銃。恐らくサクラだろう。声変わりはしていないだろうから、確実にそれよりも幼いと思われるものの、彼は確かに、記録の中のマルク・ヴィアナルスを髣髴とさせる姿をしていた。
「カリエル! カリエル何してるの! お婆様のお粥は?」
遠くから女性の声がする。少年は答えた。
「不審者だ、お母様! カリエルって名乗ってる、中年男が居る! お婆様の寝室!」
直ぐに軍靴のような足音がして、黒い軍服を着た女性が飛び込んできた。但し、手に持っているのは恐らく、猟銃だ。
「名前を名乗り、目的を言いなさい」
「名前はカリエル・シルファー。ここには、この国を救ったという二人の聖女様に人生の御助言を賜りに参りました」
女性軍人は暫くじっと見据えて何か考え込んでいたが、銃を構え直して一歩近づき、問いなおした。
「………。聖女が『二人』ということは、今、シャローム国のどこでも教えていない筈。何故あなたは、至聖の存在が二人だと言っているの?」
「はい、私の父からそのように伝えられました。建国の折に活躍した二人の聖女様は、私にとって大切な存在であると」
「………、ああ、そうか。なるほど」
女性軍人は何かに納得すると、銃をおろし、少年の銃も降ろさせた。
「カリエル、この人はお婆様がお産に関わった、あの赤ちゃんよ」
「…え、この人が? 嘘だ」
「あの記録の年代から考えれば妥当よ。赤ちゃんは子供に、子供は青年に、青年は老人になるのよ、カリエル。人は、老いるの」
カリエルと呼ばれた少年は、不思議そうな顔をしたが、銃を腰に納めてくれた。
「ごめんなさいね、シルファーさん。私はこの子の母親、あの方の義理の娘です。義母がもう目を覚ましているので、お話をどうぞ最後まで聞いてください」
少年はまだ警戒していたが、母親に手を引かれ、自分の前を歩いた。
運んだ部屋ではなく、老女は外にいた。裏口から、広大な庭、というより、外の世界が広がっている。風は変わらず優しく、戯れる対の蝶が何組もいる。老女は三つ仲良く並んだ石碑の前に赤や黄色、白や橙の花束を置いており、その隣に遠目からも分かる程に上等な布団と枕をした別の老女が、巨大な歌道ベッドに寝ていた。
「お義母さま、まだ歩かないでください! 倒れられたばかりなのでしょう」
「いいのよ、懐かしい人が来てくれたのだもの、皆に教えないと。彼女もそうしたいだろうし…、ああ、貴方、カリエルさん―――貴方じゃないわ、坊や。どうぞいらして」
行ってもいいものか、と、二人に振り向くと、女性軍人はどうぞと促した。青々と生えた瑞々しい芝生を踏むことを躊躇いつつも、老女に近づく。老女の隣で眠っている別の老女は、真黒な肌をしており、血管が浮き出て、真っ白な寝具が悍ましく思えるほどに不気味な姿だった。大分小さいが、この老女が繋がれているのは生命維持装置だ。老女は彼女の腹の上に乗せた沢山の花々を一掴みカリエルに寄越して微笑んだ。
「『貴方の』聖女は、此処にいます」
「………。私は…、父から、聖女様は、生きていると…」
「ええ、五十年前、シルファー家でメタトリーナさんの作った御夕飯を食べた娘たちは、皆ここにいます。誰を聖女と呼ぶのか、それは、私が決めるべきではありません」
石碑を見ると、名前が刻まれていた。
『自由』『光輝』『姉妹』『真実』。恐らく、本名を刻むことを許されなかった、本名を翳すと眠りにつけなかった魂たちなのだろう。カリエルは老女から受け取った花束を三つに分け、「姉妹」に一束、眠っている老女の腹に向きを変えて花を戻し、残る一束を老女に差し出した。
「あら、聖女は二人なんでしょう?」
「それは間違いでした。貴方もまた生き残ったのだから、苦しんだのだから、貴方もまた、聖女と呼ばれるべきです。―――『聖女ペラッカ』様」
「………」
老女―――ペラッカは笑って、差し出された花束を受けとり、すぅ、と、香りを吸いこんだ。
「…わたしは、酷い女です。友の首を斬り、友の手を汚し、同胞を見殺し、息子を死なせ、息子を息子に戻すことも、生かすことも出来なかった―――私は、無力な欠陥品です」
「…そこに、横たわっておられるのは…『カリエラ』様ですね」
名前を少し強く呼んだように思う。それでも眠る老女は、呼吸の音すらしなかった。液晶画面のグラフだけが、彼女の臓器の一部が動いていることを示している。
「…ええ、そうです。…この墓の『真実』は―――ティファレト・カリエラのものです」
「…何故、お亡くなりに…。聞いても、宜しければ…」
ペラッカは貰った花束を『真実』に供えて答えた。
「…五十年前、ケテルを産んだ私は、すぐにケテルが奇形の小頭症の可能性をハーヤーから聞きました。ケテルをマルクが気に入らないことは予想がつきました。聖女が奇形を産めば、その事実諸共消されるかもしれない。だから、私はハーヤーと相談し、もう一人身籠る事にしました。幸い、『たまご』は、初めから十個あったのです。その内の一つの『たまご』から、細胞を一部切り取り、私はおなかに『たまご』と『一部』の両方を入れ、十月十日育てました。『たまご』は、切り取った部分以外全て持って生まれました。それがティファレト・カリエラ、私の二人目の子です」
「………人工的に、インターセックス(中性)の子供を作ったのですね」
「そうです。性器は女に、内臓は男に―――睾丸と陰茎になる筈の細胞を、まるごと私のおなかの中に残しました」
「出産までは良かったかもしれません、しかし出産後は? それらは貴方の身体にとって『異物』でしかない筈、身体が持つはずが―――」
「ええ、持ちませんでした。だから、『持たせた』のです。いつか、革命はもう一度起こる。暴動であれ戦争であれ、いつか、マルクの栄光は瓦解する。そのどのタイミングでも、私さえいれば、ティファレト・カリエラが男に戻れるように、おなかの中に隠したのです。…カリエラも、サンダルフォナも失くし、私にはこれしか、思いつかなかった。ハーヤーは何度も、危険性を説き伏せましたし、もし成功しても、私は一生ホルモン剤と内視鏡で、頻尿、便秘、腹水、炎症、腹痛、周辺臓器への癒着に怯えながらの生活。それでも良かった、死にたくなかったんです。私は子供達の命より人らしさより、私自身が死にたくなかった。そして、私が生きている内に誰かが死ぬのも嫌だった。その為になら、どんな苦痛にも耐えられたのです。私のおなかの中は、全て、ティファレトにあげるつもりでしたし―――あの心中未遂の時、ハーヤーに、私の内臓の全てをティファレトに移植するように求めました」
記録にあった、ティファレト・カリエラの被弾の下りだろう。恐らく追い詰められたマルクが、道連れにしようとしたに違いない。下腹部に多く被弾したということは、相当な出血だったはずだ。
「血は勿論、神経、血管、筋、筋肉、骨…。すべて、私の再生力が追いつく範囲で、ハーヤーがティファレトに移植しました。私の身体は三分の一、今でも機能が戻っていません。それでも…、ですが…」
ペラッカが言わなければ、と言い聞かせながらも、黙ってしまった事が分かった。カリエルは予測されうる中で最悪の、そして最も可能性の高い予想を口にした。
「貴方は…童子の誰とも、遺伝子上の母親ではない。本当に、子宮を提供しただけの存在です。だから―――遺伝子上は、他人です。…移植が、失敗したんですね」
「ええ、拒絶反応が起こりました。ティファレトは取り付けた性器を一度も使うことなく、死にました」
ん? とカリエルは首を傾げた。
「え? 待ってください、では貴方を義母と、祖母と呼ぶあの母子は、誰なのですか? てっきり私は、彼女…いや、彼? は、時間が経ってからかと…」
すると、ペラッカは愛おしい物を見るかのように微笑んだ。
「そりゃあ、確かに私のおなかに保存して、人工羊水で十八年間育てましたけれど、昨日の今日でセックスなんか出来ませんよ。そもそも、つけただけで、生殖器として機能するかなんて本当に、神頼みでした」
「では、あの人たちは?」
「…あのデジタルメモの書き方ですと、分からないと思うのですけれど…。あの時、この家から―――旧アンモナ別荘から、逃げ出した子がいたんです。国連を待っていられない、信用できないと言って、自分の脚で、助けを求めに行った子が。その子が大人になって、私の子と形だけの結婚をしたエクソシアと、恋愛結婚したのです。だから、あの母は私の義理の娘で、あの少年は私の義理の外孫、ということですね」
ぺたん、と、カリエルは腰を抜かした。
「なんと…。本当に、…本当に、女性というものは…。…私の妻を含めて、母というものは…」
ぽろん、と、竪琴を鳴らすように涙が流れた。ペラッカはゆっくりと屈み、細く皺だらけの人差し指で目元を拭う。
「貴方の話を、何も聞いてないわ、カリエルさん。でも―――でもね、奥さんに裏切られたと思うのなら、奥さんが何も話してくれなかったと悩んでいたのだとしたら、それは違うのよ」
妻は、何年も病を隠していた。息子たちは、それを信頼されていなかったからだと責めた。
妻を、弔う旅に出ると言った。息子たちは、それを否定も肯定もせず、顔を背けた。
「貴方に愛されていると分かっていたから、言わなかったのよ」
「………。え?」
「シア、カリエル。お客様をご案内して。彼の話を聞かなくちゃいけないの」
―――老婆の言葉を聞き遂げて、娘と孫が寄ってくる。孫は少しむくれて、何も言わずに稼働ベッドを動かした。娘は銃を背中に回し、ヘタレている自分に手を差し出す。
嗚呼、太陽を背負ったその姿を、影になったその顔を、私は産声を上げる前に、見ている―――。




