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仮想遊戯  作者: 菊華紫苑
終章 活霊活現
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PAGE10 九腸寸断

 例えその人の生が短く、憎しみや妬みに満ちたものだったとしても、真の愛が心を融かし、今際に愛と赦しと歓びを見出すだろうか。それはきっと不可能で、愛を知らない者は愛する事が出来ない。例えその愛をとうの昔に失っていたとしても、輝ける愛に触れた事のある人間は、人の営みが続く理由を知っている。

 ただ、忘れているだけで。

 ただ、覚えていないだけで。

 ただ、思い出せないだけで。

 であるならば、確かに一度でも心の底から愛されたことがあるのなら、その人は愛の儚さと永遠性を知っているのだ。

 ペラッカはそう信じていた。その為に、潔く友の為、名誉のために死ぬことを選ばず、臓腑を焦がす激しい炎の中、呻いて呻いて、苦しむ生を選んだのだ。

 母であれば命を捨てられる。不名誉や屈辱から身を守る為に命を捨てる。そんなことが出来るのは、英雄か、命の重さを理解できない若造位だ。殆ど多くの人間が、自分のために生きるのだ。それを非難するのは、人が自分は高尚であると思いたいからだ。そんな風に非難する心の方が余程劣悪であることに、命の危機に瀕した事が無い人間は気づかない。気付いた者は、『冷血漢』と罵られる。

 嗚呼、そうして民衆が人である健康で文化的な生活を営むために、五人の少女が犠牲になる事の、なんと正しい事だろう。

 

 麻酔が切れ、血が十分に行き渡り、カリエラは目を覚ました。

「カリエラ、よかった」

「…いたたたたた!」

「動いちゃダメよ、お腹、まだ糸で合わせてるんだから」

「き、聞くのも痛い…ううう~」

 半べそをかくカリエラの左腕は、まだ固定されている。

「シア…? お母様は、どうなったの? お父様は…?」

「………。マルク・ヴィアナルスは、多分死んだよ。失血多量か、酸素不足による窒息でね」

「…そう」

「ペラッカさまは生きておられるわ。今は、ちょっと疲れて眠っておられるけど…呼ぶ?」

「ううん…。お母様が、無事だったなら、いい」

 よかったぁ、と、カリエラは細い息を吐いた。その息があまりに震えていて、カリエラの身体が弱っていることを示している。

「ハーヤー、立会人が必要だから、やっぱりサンダルフォナさんとペラッカさまを呼んで」

「? ハーヤー、いるの? …レハヘルは? 助かった? エバは?」

「カリエラ、ちょっと待ってね」

 傍にいるからね、と、エクソシアはカリエラの頭を撫でた。エクソシアの顔と声は判別できるらしく、カリエラは首を僅かに動かして、周囲を見回している。

「ねえ、ここ、どこ? 私達、助かったの?」

「ここは、旧アンモナ別荘のままだよ。さっき、さっきね。ほんの一時間前に、国連から連絡があったの。夜間の飛行は危険だから、朝、夜が明けたらヘリが来るって。…ねえ、カリエラ、ほら、外がもう空色だよ、見える?」

「ううん…。今は朝なの? 暗いよ…」

「………。そうだね、まだ、ヘリが来てないから、きっと外の世界は、夜なんだよ」

 遠くで、床の軋む音がする。ずりずり、ずりずり、と、何かが擦れている。

「ああ…カリエラ、良かった…。気が付いた…」

「カリエラ、ペラッカとサンダルフォナが、シアの後ろにいるよ。見えるかい?」

「…ううん、…御髪の、黒いのは見えるけど…。なんとなく、顔の白いのも見えるけど…」

「なら、これは何か分かる?」

 そう言って、エクソシアは一度手を離し、どこからかさっと白いものを、カリエラの視界いっぱいに広げた。

「白い…なに? 布?」

「これね、ペラッカさまのお召し物。ずっとずっと昔―――『魔女』に貰ったんだって」

「…ふうん?」

「…カリエラ。あのね、一回しかやらないから、良く見ててね」

「うん?」

 エクソシアはさっと、ペラッカが渡した白いローブをヴェールのようにして頭に被り、目の効かないカリエラの手を、自分の左手に持って行ってふれさせた。

 指の一本に、何か固いものが触れる。エクソシアにそれを問う前に、金属に触れた手の上に、エクソシアの手が乗る。


「『例え、人間や天使の不思議な言葉を話しても、愛がなければ、それらは鳴る銅鑼(どら)響くシンバルに過ぎない。預言の賜物(たまもの)があっても、あらゆる神秘と知識に通じていても、山をも動かす完全な信仰があっても、愛がなければ、私は何ものでもない。愛は寛容なもの、慈悲深いものは愛。愛は妬まない。愛は驕らない。愛は誇らない。愛は保身をしない。愛は益を求めない。愛はいからない。愛は人の悪事を赦す。愛は不正を喜ばず、真理を共に喜ぶ。愛は万事を堪え、信じ、望み、耐え忍ぶ。故にこの愛は、決して滅び去ることはない』。私、イシャ=エバの娘エクソシアは、ティファレト=カリエラ・アイン・ソフ・オウルを夫とし、良き時も悪しき時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、死が我等を分かつとも、貴方を愛し、貴方を慈しみ、貴方のために貞節を守ることを、ここに誓います」


 そう言って、エクソシアは自身の左薬指に指輪がある事をきちんと触らせてから、それを抜き取り、滑り込ませるように、カリエラの同じ場所に指輪を入れた。

「これは、ペラッカさまが、『魔女』から賜った、『せいなるゆびわ』。この指輪を、私達の誓いの印にして良いと仰ったのよ」

「………。シア、冗談きつい」

「どうして?」

「…だって、…私は、シアを、お母さんにしてあげられないよ」

「どうして?」

「………。だって、女の子だもん。女の子は、お母さんに成れるけど、お母さんにさせることは出来ないって、それだけはジェンダーでも何でもないって、言ってたじゃん」

「あら、じゃあ、これは何かしらね?」

 指輪がついていない方の手を引っ張り、エクソシアはカリエラに下腹部―――より正確に的確な言葉で表すのなら、股間に持って行き、触らせた。

「………。え? あれ? ん?」

 なんか、むにむにするものがある。太腿の肉や、恥丘ではない。もっと大きくて、むにむにしている。

「あのね、カリエラはやっぱり、諸聖童子だったんだって。産まれる前に、ちょっといろいろあって―――その、ご母堂様のお腹の中に、えっと…おちんちんだけ置いて来たんだって。だから、これはカリエラの、あの…おちんちんだよ。今は取り付けたばかりだけど、いずれちゃんと使えるって」

「ごめん、シア、私もしかしたらもう死ぬのかも。なんかとんでもない幻聴が聞こえるし、死神の股間をまさぐってるような感触がするんだ。シア、抱っこして」

「うん、いいよ」

 エクソシアはベールをかぶったまま、ぎゅっとカリエラの頭を抱きしめた。目の前が真っ暗になるが、耳元に触れる胸の撓み越しの動悸とほてりを感じるに、エクソシアは今火が出るほど赤い顔をしている。

「………。で、ごめん。今凄い幻聴が聞こえてたから、その、私の股にある肉の塊について教えて。出来れば三語で」

「カリエラは、本当は、男の子」

 エクソシアがきっぱりと、良く聞こえるように、区切って答えた。

「…ソウデスカ」

 これは走馬灯だろうか。もうなんかどうでも良くなってきた。なら、走馬灯なら、素直になってもいいかもしれない。もう終わってしまう幻なら、素直な歓びを甘受したなら、また明日からの残酷な現実に耐えられる。

「…私、ティファレト=カリエラ・アイン・ソフ・オウルは、イシャ=エバの娘エクソシアを妻とし、良き時も悪しき時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、死が我等を分かつまで、貴方を愛し、貴方を慈しみ、貴方のために貞節を守ることを、ここに誓います」

 カリエラはその微笑みが、少し引き攣っていることに、恐らく気づいていない。ハーヤーはそれを感じ取り、耳元で良く聞こえるように、二人の重なった手の上に手を置いて言った。

「今日、二人は神の御前に夫婦となりました。これから先の人生を、愛を持って共に生きなさい」

 その言葉に、擽ったそうにカリエラが笑う。ひゅ、ひゅ、と、呼吸に声が混ざってくる。ハーヤーがペラッカの身体をカリエラの頭の方へそっと動かすと、カリエラは敏感にそれを察知した。

「お母様? そこにいらっしゃるの?」

「ええ、…いるわよ。カリエラ、黙っていてごめんなさいね。貴方、本当は確かに、男の子だったの。お母さんのおなかの中に、一部忘れて来ちゃって、それで、今回手術をしたから、…一緒に、くっつけたの」

 とんでもない発言がさらりとされたが、カリエラは気づかず、熱に浮かされたような瞳で何処とも分からぬ場所を見上げながら、言った。

「おかあさま…おかあさま、おかあさま、おかあさま…」

「うん、ここにいる。カリエラ…ここにいるわよ」

「シアが、私のお嫁さんに、…なってくれるって、言ったよ」

「ええ、出来るわ。貴方は元々男の子なんだもの」

「そうしたら、………私、わたしのころも、うんれ、もらえる、んらよね?」

「勿論だよ、諸聖童子なんか軽く塗り替えちゃうくらい、たっくさん産んであげる。だから、元気になろうね」

「おかあさま、そうしたら、…なまえ、つえてくえまっすか? ころもたいのなまえ、ひおいひおい、つえておしいれす」

「勿論よ。孫だもの。何人でも何十人でも、幸せになれるように、願いを込めて名付けるわ」

「おああああ…おああああ…。うっれ、して」

 ぐるぐると回り始めた眼球を見つめるだけで、目薬のように涙が零れた。ペラッカが薄く硬い胸に、後頭部をあてて抱きしめる。エクソシアが上半身に覆い被さるように、思い切り愛をこめて抱きつくと、ぐちゃ、と、腹が濡れた。

「おかあああ、おはあああ…。…あいあおう。…あいうい…。………」

「ええ、ええ。私も愛してるわ、カリエラ。恋を知らなくても人を愛せる事を教えてくれたのは貴方なのよ。貴方がいたから、十八年も耐える事が出来たの。貴方は悩んで成長するだろうけれど、その時どちらの道を選んでもいいように、ずっとお腹で護って―――」

 そこまで言った時、ごぼん、と、ペラッカの喉奥が爆発するような喀血が起こった。白い肌に鈍色の淡い虹彩を浮かべたカリエラの顔に、大量の血が流れる。しかしカリエラは、何も言わなかった。

「うう…あ、あああ…そんな、そんなぁ…」

「シア、少しカリエラの身体をずらしておくれ。隣に横たわらせてあげよう」

「………。はい」

「ペラッカ、身体、動かすよ。子供を失う事は、何にも増して悲しい事さ。好きなだけお泣き。私達は隣の部屋にいるから、大声でお泣き。但し、お前もまだ、腹を掻っ捌いて内臓を刻んだばかりだ。あまり大声を出すと、ほぼほぼ自殺みたいな形で死んじまうからね」

 ペラッカは答えなかった。

 カリエラの指を胎で組ませ、ベッドのぎりぎりまで身体を動かし、念のため道具箱などと様々な箱類を置いて、渕を補強した。シアがそれらの肯定を終えて、扉を閉めた時、吹き飛ばすような音が、扉の奥と、屋根の上から落ちて来る。今度は一体何だと、吹き飛びそこなった別荘の影、座り込んだハーヤーの隣に潜んで、空を見上げると、巨大なしゃもじが空に浮かんでいた。そこからロープが二本垂れている。あれが、ヘリコプターだろう。明るい場所では初めて見る。

「遅いよ、国連の、デブめ………」

「あの人たちが? じゃあ、助けが?」

「この地帯に、ヘリで来られるのは、国連だけだ。他の国がやったら、大問題だぜ。…まあ、マルクのバカが、シャローム国が侵入しちまったけど…。さて、責任を取れる元ヴィアナルス会はいるのかねえ…」

 ふう、と、ハーヤーが長い長い溜息を吐いた。


 ―――これについての日記は此処で終了している。

 以上十ページ。元聖国母ペラッカによる日記より推察された事実。この資料は、現在世界に認知されている歴史認識と多くが符合する。

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