PAGE9 四鳥別離
―――日記は途中まで破られた痕跡がある。
畜生、と、声が聞こえた。母親の遺体に泣き縋るレハヘルが、顔を上げる。
「エバ…。公国はなんて? 攻撃してくれるんだよね?」
「………」
苦虫をかみつぶしたような、否、苦虫をしこたま飲みこんだような顔で、エバが戻ってくる。サンダルフォナは変わらず眠り続けているが、不穏な空気を感じ取っているのか、呼吸が短く、少し早い。
「…駄目だって。今国連で会議中だそうよ」
「そんな…そんな! アヴァリチアの特使が殺されたのに、そんなバカな!」
「私達は所詮、シャローム国の中にしかいられなかったから、全く気付かなかったんだけど…。マルクが不可侵条約みたいなのを結んでいたそうなのよね。加えて初めて知ったんだけど、レラーさんは国籍上シャローム国の国民なのよ。難民申請が通ってなかったんだって」
「そんな馬鹿な! だって、もう十年以上シャローム国にいなかったのに!」
そうだよ、と、カリエラが同調した。
「政治の事は分からないけど、トクシって、要するに外交官でしょ? 国籍も持ってないのに、どうしてそんなことが―――」
「アヴァリチア公国は、国連の加盟国じゃないのよ。国連は人権侵害と女性差別の国を世界から一掃する福音復帰の組織だから、ただの殺人じゃ動いてくれないみたい。殺人は生存権の侵害かもしれないけど、言っちゃなんだけど世界中でやってるからね。内乱認定するには、まだ時間が経っていなさすぎる。事態を見極める時間が必要だし、それ以前にこの土地は不可侵条約を結んでいる土地で、何処の国を基準として裁判をするかだって何年も争うのよ」
「じゃあ母上は犬死じゃないか! 空を飛んでぼく達を助けに来てくれたのに!」
「それも問題みたいね。あのヘリとコンテナは、アヴァリチア公の私財だったらしくて、国際上は武力装備した代物で、国際法を無視して不可侵領域を侵したことになる。公国はアヴァリチア公の治める君主制国家だけど、多くの国で国家承認がなされてないんだって。多くの学説では、公領はシャローム国の領土だそうよ。だから、シャローム国の法でしか裁けない」
「そんなの、理屈じゃないか! 頭の中でしか人の命を考えてない!」
「マルクが何で、あんなに子供を強引に造らせてたのか、やっと分かったわ。十八年経ったって言ったって、国家の歴史としてはまだ『たまご』と言われても仕方がない。国家の永続性を主張するには、法と秩序、領土領民の確立が必須だからね。政府承認もまだされてなかったみたい」
「そんな難しい言葉ばっかり並べて、ぼく達を山猿か何かと勘違いしてるんじゃないのか! 辺境の地だと思って馬鹿にしやがって!」
カリエラは全く話の意味が分かっていなかったが、レハヘルはある程度理解しているらしかった。エクソシアも、レハヘル程でもないが、ある程度理解しているらしい。レハヘルはエバに尚も噛みついていたが、カリエラがふと聖国母を見ると、血塗れの金属と濡れたタオルに囲まれ、真っ白な顔になって眠るレラーの顔を撫でていた。泣いているのだろうか。
「聖国母様…」
「…レラー、はね。…どこかに、行く、のに、…足が、ないと…。何故か、いろんな、物が…操作、出来てね。…いつも、…ふざけて、るけど。…そんな時、とても、輝いてた、のよ。…革命の、後…。私の、使いとして…政府から、派遣した…の。…そのまま、帰って、これなくて、ね…。仕事が、終わら、なくて」
「…立派な、ご学友で、建国の英雄の一人だったと、聞いています」
「私が、知ってる中、で…せかいち、し…あわせ、な、母親よ。…レハヘル、を、産んだ…のだもの…」
お疲れ様、と聖国母が、皮膚と一体化した白い唇を撫でた。
―――ここから一部の日記が欠落している。日記の続きは、夜間の様子を記されていたものと思われる。前後を補完すると、この後、襲撃があった模様。別荘は半壊した状態であることが窺える。
「―――カリエラ!! ―――ごほっ、ごほっ」
「ふん、『カリエラ』ね。…まさか十八年、この俺をこんな近くで出し抜いてたとは、恐れ入ったよ、聖国母」
どさりと仰向けに倒れたカリエラの腹から、どろどろと血が流れている。外は薄い青色で、夜明けが近いが、まだ暗い、そんな時間だというのに、目の前で巨大なボルトアクションの銃を構えた国父は紅く染まっている。目は狂気に光り、自分とうり二つの筈の娘を蹴り転がして、聖国母に詰め寄った。
「やめて、ころさない、で…しんじゃう、カリエラ、が―――」
「『カリエラ』は十八年前に首を斬っただろうがッ! 他ならぬ聖国母ペラッカ、お前の手で斬っただろう! 心底憎いぜ、あの決意の冬から四半世紀、俺達の民主国家のために邁進していたあの日々が、お前という欠陥借り腹を最初に選んだせいで、もうおしまいだ! シャローム国は他国に切り分けられる、国家は最早なく、母国もない! 十八年だ! 国を作る為に費やした全ての時間を、お前が壊したんだ! ペラッカ!!」
ペラッカは凍えるように怯えて縮こまり、命乞いすら出来なかった。
「畜生! 何もかも無駄になった!! 諸聖童子は誰一人残らなかった!! ケテルでさえ!! だのに、どうして一番に切り捨てられるべきお前が、此処まで来れたと言うんだ!! 十八年前は二人、そして今度は何人犠牲にした!!?? その人間は、元々は俺の国のものだった!! 死ぬのならば俺と国王のために死ぬべきだったのに!! なんで!! お前が!! 残った!!」
どこか怪我をしているのだろうか、それとも興奮しているのか、どこかに命を狙われてでもいるのか。マルクはそれくらいにはおかしかった。
「もう何も生み出さない、賞味期限切れのお前が、どうして残った!! レラーであればまだ使い様もあったのに、襤褸雑巾になったお前が、どうやって国の宝を誑かしたんだ!! 自分で斬った友の首に唆されたのか、あァ!?」
へたり込んでいるペラッカの首を掴み上げ、片手で自分の目の高さまで持ち上げる。ペラッカが軽いのか、マルクの火事場の馬鹿力の所為なのか、それともマルクが狂っているのか。
「国のために尽くしてきた俺達父子を捨てるように唆したのは誰だ! あの離宮で引きこもっているだけの暮らしの何が不満だった! 十八年前からお前は、一度も働かなかったのに!! この三十六年間、お前は一度たりも国のために働かなかったのに!!」
理由を問う呪詛を吐き続けたその口から、パ、パパッと少し多く唾が飛んできた。
「………分からないのですか、元国父陛下」
「…あ?」
ハーヤーだった。ハーヤーが後ろから、やけに近い所から静かに、しかし確かに怒髪天を突いて、語りかけている。マルクがペラッカを吊し上げていた掌を緩め、ゆっくりと腕を降ろす。その手を胸に中てても、まだ分からないようだった。ペラッカは喉を押さえて身体を折り、けほんけほんと咳き込んでいる、。
「命を数でしか見れない人を、民が愛する訳がないでしょう」
「………。ハーヤーか…。お前まで、俺を裏切るのか」
「いいえ、裏切ったのではありません。初めから、私達の主人は、アンモナ一族です」
「………。そうか、アンモナ一族…。そうか、だから公国が―――」
「その通りです。貴方はチによる結束と統治を目指したけれども、イノチに魂があることを忘れた。だから貴方も、忘れられるのです」
「は…。滑稽だな。俺は…姉さん、の…、帰れる、国を―――」
「お忘れですか、元国父陛下」
それ以上は要らないと思ったのだろう。ハーヤーは一度身体を離した。ずるる、と、銃剣を付けた小銃が現れる。その銃身は、中心の排莢筒まで埋まっていたらしく、血が隙間に入り込んでいて、これ以上使えそうにない。倒れ伏したマルクの身体を引っくり返し、逆手に銃身を持ちかえ、膝ごと落とす。左胸に開いていた穴から、掌一枚分、右にずれた位置に、銃剣が防御服を無視して突き刺さる。床に銃剣が辺り、雪のような冷たい音がした。
「マルタッタ・ヴィアナルスは、二十三年前に、カリエラによって殺されたと、貴方方が判断したではないですか。―――…左横隔膜、右這、気管、胃に穴が開いてる。その僅かな時間を―――十八年前に全てが狂ってしまった少女達への慰めに中てさせてやる。光栄に思え」
ハーヤーはそういって、銃剣を引き抜いた。剣は折れ、銃身は拉げている。ぴゅうっと噴水のように、血が吹き上がり、マルクが犬のように早い呼吸を始める。それを見て、ハーヤーはマルクを跨いでペラッカの所に座り込んだ。
「遅くなったね。損害は激しいが、まだ一仕事やれる。仕事を今のうちにくれ、ペラッカ」
「か、カリエラ…。わたしの、こども、が…」
「シア! 止血は済んでるだろうね!」
ハーヤーがペラッカを抱き起こすと、いつの間にかカリエラの片割れにエクソシアが座っていた。
「弾は三つ貫通してますが、一つ、鼠蹊部に残っています! へ、へ、下手に触ったら―――大出血で、しぼ―――」
「ペラッカ、覚悟は揺るいでないかい」
ペラッカは震えながら頷いた。
「全て、護って来たわ…。だから、使って」
我が子を抱きしめる事よりも、乳を吸わせることもせず、只管只管生き続けた。
国で一番上等な肉、魚、野菜、水、麹を食べて、確かに我が子が娘でいるようにだけ務めた。
死ぬのは怖い。だから、死ぬよりも苦しい姿で生き続けたい。
その覚悟の終焉を、ペラッカはただ誇らしい事として受け入れる心算だった。
「シア」
カリエラの処理の続きをしているハーヤーの隣、本棚を倒して作った即席のベッドに裸で寝転がり、ペラッカは涙を流して自分の手を握るしかないエクソシアに話しかけた。エクソシアはその声を聞き届けるために、口元に耳を持って行く。
「はい、はい、何でしょうか」
「あのね。最初で最後の、とても非道いお願いをしても、いい?」
「はい、何なりとお申し付けください。エクソシアは、貴方様のものです…」
「私が着ていたローブね…。ちょっと、汚れてるけど…。元々は、真っ白なマントだったの。それを使ってね、………。―――、―――…。………お願いしていい?」
「はい、他ならぬ貴方様の頼みです。護れなかった、私共の責任ですから、喜んでお引き受けします」
ペラッカは笑った。
「ありがとう」
この部屋に、生きている者は、ハーヤー、エクソシア、ペラッカ、カリエラ、そしてサンダルフォナしかいない。サンダルフォナは、意識があるのか薄らと目を開けて、泣き咽ぶエクソシアの小さな背を、嘗ての友の面影を受け継いだその小さな背を、見つめて涙を一筋流した。
―――これについての日記は此処で終了している。




