PAGE7 一斉射撃
太陽がまだ空に浮かぶ前、白く夜が薄くなっていく頃に、崖の裂け目から出発した。その時、イシュが山の裾野を見下ろして言った。
「もしかしたら、何人か聖国母の亡命に気付いているのかも」
「追いかけてきそう? イシュ」
「追いかけてはきているみたいだよ。ただ、悪者はどちらだろうね。でも源泉付近に、ヘリが来てる筈だから、今はそこに急ごう」
「それ、ミニミ持ってる?」
「勿論、風切り音も少ない特別優秀なニンジャだよ」
エバがヒュゥ、と口笛を吹いたが、カリエラもエクソシアも全く面白くない。
「シア、大分斜面きついけど、大丈夫?」
「………」
「………」
「シア、亡命中でも身分の差は忘れない事よ」
「え…あ、はい、大丈夫です。すみません、ちょっと寝不足で」
それきりエクソシアは何も答えなかった。
日の出と共に出た筈なのに、太陽が天辺に来ても山頂が見えない。ただ、何か大きな建物の屋根のようなものが、かれこれ一時間前から見えている。決して無駄にはなっていない筈なのに、とにかく、とにかく傾斜がきつい。不自然に抉られた山肌や、薙ぎ倒された古びた樹が落ちてきたりと、まったく足がかりにならないものも、障害も多かった。昔、ここをガルガリンに乗って、降りて来たのよ、と、聖国母が懐かしむ様に、寂しそうに言った。
日も沈む頃になって、漸く廃虚に辿りついた。廃虚と言うより、人が住むのを止めた地域だろう。そこそこ栄えていたのだろうに、今はだれもおらず、雪に勝ち残った草が、家の壁を覆い隠している。固まった根雪は岩のように地面に張り付いていて、誰も手入れをしていなかったのだろう、硬く硬くこびりついた氷に脚を取られる。
「今日はここまでッスかね。…ペラッカさん、もし大丈夫な用であれば、旧ヴィアナルス邸が使いたいッスけど…」
「…どう、して?」
「あそこだけ、一番広いじゃないですか。仕える部屋は多い方がいいし、昨夜はあんな裂け目だったから、此処でくらいしか疲れが取れそうにないッス」
「………。シア」
「………」
「シア?」
「え! あ、すみません、何でしょうか、聖国母様」
とことこ、と、シアが近づいてくる。ペラッカは負ぶわれているだけなのに、十分疲れた身体を乗り出し、じっとその身体を観察した。
「…雑魚、寝だけど…。大丈夫?」
何で私には聞いて下さらないんだろう、と、カリエラは思った。
「はい、聖国母様の仰るとおりに。本当に、ちょっと、寝不足でぼうっとしているだけにございます。申し訳ございません」
「じゃあ、…ヴィ、アナルス、邸で」
「分かったッス。ここを乗り越えれば、源泉地帯までは傾斜も緩やかッスから、今夜、辛抱してくださいッス!」
にっこりイシュは笑ったのかもしれないが、火傷で引き攣った顔が不気味に歪んだだけだった。
廃虚とはいえ、寒冷地帯、それも冬には豪雪になる地帯の廃虚である。雪が枯れ葉や埃を封じ込め、それが何層にも重なっている。窓やドアの大きな部屋や、陽向の部屋はそうやって重なった氷で埋め尽くされていた。
それでも、比較的温度差の無い密閉空間―――例えば倉庫などは無事で、中は空っぽだった。なんでだろ、と、支度をするイシュとエバをぼんやりとみていると、イシュが答えてくれた。
「ここは、元々マルク―――国父の一族が住んでたんス。でも革命が起こって、山からは手を引いたんスよ。国境にしたかったんスけど、この先の土地がちょっと国際上面倒くさいから、事実上の国境を北壁にしておいたんす。でもその部分は、トロッコで地下から通ってきちゃったッスから、今頃離宮に皆さんがいないのを見て引っくり返ってるんじゃないですかね」
「へ、へえ…?」
「まあ、政治の事はぼくはわかんないッスから、今は疲れを取る事だけ考えればいいッス! …じゃ、エバ、ぼく、ちょっと他の部屋に行って来る。ヒーターを置いておかないと…あと、そろそろカーゴが来てるかもしれないから、それも見て来なくちゃ」
「気を付けて」
エバは振り向かず、ミルクパンを着火剤に掛け、缶詰の液体を次々突っ込み、かき混ぜていた。寝袋の上に座った聖国母は、寒いらしく、膝を大きく曲げて胸に抱く。エクソシアとレハヘルは、二人で床の氷の一部をこそげ摂る事に忙しそうだし、ハーヤーはハーヤーで、氷の壁に何故かビニール布を張っている。しかし相変わらずサンダルフォナは眠ったままで、寝袋に入ったままだ。
「…寒い?」
声をかけようとした時、聖国母の方が先に声をかけて来た。驚いて答えられず、素直に頷いてしまう。すると聖国母は、僅かに笑った気がした。おいでおいで、と、手招きをされ、恐る恐る近づく。ぽんぽん、と、自分の隣の寝袋の皺を払うので、何をしてるんだろうと見ていると、聖国母がもう一度手招きした。
「ここ…座りなさい」
「そんな、右の御座は国父様だけの場所と…」
「………。もういないわ」
その言葉に薄ら寒い物を感じて、カリエラはおずおずと従った。
「…ねえ」
「はい」
「もう…。国を、出るのだから…。その、口調を、止めて」
「口調?」
「………。私が、貴方くらいの時は…。自分の母親、には、友達と同じように、話して…。『母さん』って呼んだのよ」
「え」
「?」
「………。聖国母様は、お生まれになった時からお印があったから、教会に見出されたと習いました」
すると聖国母はぱちぱちと瞬きをして、けらっと笑った。しかし直ぐに咳き込み、腹を押さえる。驚いたハーヤーが飛びつくように寄って来た。
「こら、あんまり笑うんじゃないよ。内臓に響くだろう」
「だって…。だって、ハーヤー。ねえ、市井…で、私は、なんと、教えられてるの?」
「そりゃ、聖なる国の母が、神に授かって処女懐胎したのに、誰よりもヘタレた行動力の無い腰巾着だったなんて分かったら困るからねえ」
「は、ハーヤー! いくらなんでも無礼だよ!」
「でも、…そんな、ものよ。…何れ、国…を、治める、と、信じて、いた、マルク…は、どうか、知らないけど」
だからね、と、聖国母はカリエラの前髪を一房退けて、こめかみを擽った。爪は硬く冷たく、指先は罅割れていて、皮膚が爛れるように傷ついている事が分かる。
「それと、も…。乳母の、ほうが…母親、ぽいかな?」
「いえ…。そんな、そんな…」
震えて凍える指先を温めるように、自分の指で覆うと、自分の指がなんと柔らかく瑞々しい事かと思う。ぼろぼろになった指はささくれて、カリエラの肌に引っかかるだろうに、ゆっくり、ゆっくり撫でている。
「………、お母様が、昔に私をこんな風に撫でて下さった貴重な体験は、どれも大切な思い出です」
「『母さん』」
「………か―――」
ズドンッ!!!
突然、床が振動した。ハーヤーの張ったビニールの向こうで壁が崩れ、その向こうから炎が噴き出す。ハーヤーが二人を自分の腹の下へ押し込み、どこからかごく小さな銃を取り出す。ごんごん、と、その間にも音がする。エバとエクソシアがロケットランチャーをいつの間にか構え、レハヘルが頭を抱えて蹲る。邪魔! と、エクソシアに蹴り転がされ、ハーヤーの腹の下に頭だけ突っ込んだ。
「あんな国のどこに、戦車なんか持ってたんだい! おいエバ、RPGは!?」
「それは、イシュが―――」
ドゴン!!!
今度はドアが吹き飛んだ。もう入って来たのか、と、カリエラは意味を考える前に聖国母を抱きしめる。だが、上から降ってくる煙を振り払って現れたのは、イシュだった。片手で巨大で細いロケットランチャーを持ち、その片腕は二の腕から下が吹き飛んでいる。瓦礫で頭を強かに打ったらしく、不細工な顔の左半分が更に崩れて、べろんと皮が剥がれていた。
「いやああああ!! イシュ! イシュ!!」
「―――………」
ぶるぶる震えながら、イシュは全員怪我をしていない事を目視すると、くるりと踵を返した。右足を不自然に引き摺っている。折れたのだろうか。その割には、きちんと立っていた気がするが。
「行きましょう、お母様! 逃げ切ればイシュおじさまも治療できます! ね、ハーヤー、そうだよね!?」
「―――ああ、そうだよ。今は逃げるんだ、エバ! 追いかけるよ!!」
エバは黙っている。エクソシアが掴みかかって呼びかけるも、同じ所を見た儘動かない。
「イシャ!!! ―――げほっ、げほっ」
爆音にかき消されないように尖った声が、聖国母の喉から飛び出す。その声が気付けになり、ハッとエバは我に返った。
「ごめんなさい。シア、貴方はサンダルフォナさんを、レハヘル様! 貴方がペラッカさんを担いでください、私が殿になります、ハーヤーさん! 先導して!」
あいよ、と、ハーヤーが立ち上がる。吹き飛んだドアを担ぎ起こし、ドンと廊下に向かって蹴る。何をしているのかと思ったが、聞く前にハーヤーが飛びだして行った。
「お、重い…」
「女性にそんな事言うもんじゃないわよ! カリエラ、先に行って! ハーヤーを追いかけて、目印になって!」
とにかく言われたことをやらなくては。カリエラは自分を奮い立たせ、廊下に飛び出した。突き当りの丁字路で、ハーヤーが待っている。
「今ならまだいない、急いで! 急いで!! 裏口から抜けるよ!」
先行するハーヤーは、文岐路に着く度に、瓦礫を放り投げて様子を窺っていた。自分には思いもしなかった方法で進むハーヤーに、どこで覚えたのかなどと聞くだけの間は無かった。振り向いて、全員が追いついているかどうかも確認できない。それくらいにハーヤーが速い。熱が根雪を砕き、融かし、天井が落ちて来る。ごく狭い場所にいる筈なのに、天変地異に見舞われているかのようだった。
闇が煙を吸いだして行く空間に、ハーヤーは臆する事無く飛び込んだ。そこへ飛び込めば、死ぬという直感があったが、すぐにそれは気の迷いだと気づく。今は夜だから、外が暗いのは当たり前なのだ。密閉空間に煙や熱が充満していて、出口があるなら、そこから出て行くはずなのだ。
裏口だ。
「出たよ! 急いで、急いで!!」
すぐ傍で衝撃波が起こり、カリエラは吹き飛んで転がった。殿のエバが飛び出し、振り向いて屋敷に向かって何かを投げる。また轟音がして、今度は目の前で屋敷の一部が崩れた。急いで急いでとハーヤーが叫ぶ。辺りは暗い上に、白い煙と黒い煙が混じっていて、それなのに空気はどことなくおいしい。
「足元気を付けて、この中に入って!」
そうは言われたものの、カリエラは思い切り躓いて中に滑り込んだ。次いでエバ、レハヘルと続く。最後にエバが飛び乗り、手前に開いている巨大な扉を閉めていく。
「出せ! 最高出力で上昇しな!」
「オーライ、振り切ってやる!」
どこか遠くから声がする。誰かいるのだろうか。誰だろうと考える前に、細くなった隙間から風とバリバリという音が飛び込んできて、肝がもう一回転する。飛び込んだ空間は真っ暗で、どんな風になっているのかが分からない。とにかく、地面というか床というか、冷たく硬く、自分の腹にぺったりとくっ付いている壁に張り付いた。腹からミシンを叩いているような、細かく早い振動が伝わってきて、くっ付いて潰れている筈の腹が下に引っ張られる。気持ち悪い。扉が完全に閉まったらしく、音は大分小さくなったが、三半規管がおかしい。なんというか、世界がぐるん、ぐるん、と、全体的に揺れて、右向きと左向きに一回ずつ回転している。そして、一定以上の力で内臓が下に引っ張られるのには違いないのだが、時々ふわっと身体が軽くなる。気持ち悪い。
「ちょっと我慢しな。今避けながら上に上がってるから」
「ドコニアガッテルンデスカネ…」
目が回って、泡を吹きそうだ。
「ハーヤー! しつこい! 後ろで応戦できる!?」
「エバ! 弾はあるよ、ベルトもだ! 片方開けて、撃てるかい?」
「応。シア、ハーヤーさんを手伝って、全員にベルトと、防具を着けて」
なんだかエバの機嫌が悪い。無言で従うエクソシアには目を向けず、紐で縛られたロケットランチャーの山と、謎の木箱の蓋を開けだした。中には、鉄で出来たサンドバックのようなものがぎっしり詰まっている。
「カリエラ、シートベルト、外れないと思うけど、ちゃんと握っててね。ヘルメットは緩むかもしれないから、ちょっと苦しいよ。あと、隣に聖国母様を縛ってるから、念のため手を繋いでてね。―――レハヘル! アンタはサンダルフォナさんを離すんじゃないよ!!」
「…あれ? そう言えば、イシュさんは?」
ズガンッ!!!
エバが何か言おうとした時、顔が動く程の音がして、大きく世界が揺れた。
―――これについての日記は此処で終了している。




