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仮想遊戯  作者: 菊華紫苑
終章 活霊活現
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PAGE5 福音復帰

 離宮は宮殿の喧噪から遠くて好きだ。それくらい静かでなければ、自分の小さなおつむは火を噴いて蒸発してしまう。聖国母―――ペラッカは、稼働ベッドでぼんやりと目を開いている親友の唇を湿らせながら、小さなか細い声で、話しかけた。蚊が一匹でもそこにいたら、言葉はその音にかき消されるくらいの。

「ねえ、この前の報告聞いた? ニタさんて、外国に行くと王族の端くれなんだって。『建国』直前に血筋が分かれていたんだってさ。ということはさ、あの時実は結構凄いことが起こってたんじゃない? 外国の王家の血を引く人間が、閉鎖国家の中枢にいたわけでしょ? しかも国際的にはかなり評価が悪い国の! 市井ではミカエリ一族と崇敬大司教夫妻は、それはそれは酷く言われてるけど、外国から見たら、もしかしたら夫妻は英雄だったのかもね」

「………」

「アヴァリチア公国がニタさんとの結婚を蹴ったのって、それが原因らしいよ。遠戚だから血を濃くするのはイマドキ非難されるんだって。ついでに、そんな国の教育を受けた人間が王族と交わるなんて、品位が落ちるって国民も大反対だってさ。私達から見たら、三百年てのは世界の全てだけど、外の世界には千年単位で続いている国家もあるんだって。『終末』を生き延びたんだってさ。凄いよねー」

「………」

「………。カリエラは知ってたのかな? きっと知ってたよね、だってアシャリヤさんの事があったんだものね」

「………」

「今度も助けてくれるよ、きっと。大丈夫だよ、ずっと私は、一緒にいるからね」

 聞こえていたのかいなかったのか、サンダルフォナは目を閉じた。脱脂綿と皿をテーブルに置き、身を乗り出して頭を抱きしめ、額に口づける。薄く硬くなった皮膚は頭蓋骨に張り付いて、毎日洗っている筈の身体からは、臓腑の腐った臭いがする。

「―――う、げほっ、ゲホッ、こふっ」

 臭いに充てられたのか、ぼんやりと熱い頭の、目の裏がカッと熱くなり、胃液がのし上がってくる。身体を離し、テーブルに伏せて、吐き戻した。今朝食べた野菜のオートミールがそのまま出てくる。つんとした臭いすらしない。

「ただいま戻り―――聖国母様!」

 エバが戻ってきたらしい。吐き気が止まらず、耳の奥で今も、あの革命の日の銃声と金属の爆発する音が鳴っている。

 休みたいなあ。

 そんな本音が、涙に込められて出てくる。もう少し、あと少しだから、と、産まれてすぐに手放した我が子を思い浮かべる。

 戦争はまだ続いている。あの子が、安心して笑える世界に送り出せば―――『私達』の勝利だ。嗚呼、でも。

「やすみ、たい、なあ…」


 ダアト国の閉鎖教育から一変して、シャローム国と国号が変わってからは、ある程度年齢の行った若者―――具体的には、『権利を害されていた』と自覚出来るくらいには聡明な若者には、再教育が成された。所謂『正しい歴史観』というものだ。

 確かに『文明』は滅んだが、それは世界が滅び、ダアト国の僅かな人民だけが生き残ったのではないこと。アイン七家族の本当の姿。ミカエリ一族による宗教的独裁の異常さ、世界の狭さなど。心のよりどころだった『天使様』と、その存在と愛の確信となるミカエリ一族の皆殺しによって、ダアト国民はシャローム国の構成要因として、きつすぎる洗礼を受け、生まれ変わらなければ生きていけなかった。

 ミカエリ一族の遠縁を新しい教皇にしようという古株達は、皆断頭台に消えていった。その度に首を晒し者にするので、腐った死体に虫が湧いたが、国父が外国からの医師団を招き入れると、その医療を受け入れた人々は誰も死ななかった。祈祷によって治ると息巻いていた信心深い者達は、皆死んだ。

 ダアト国の国民は、始めこそ戸惑っていたものの、最初の四年か五年くらいまでは、国父の存在に噛み付かなかった。だが同時に、服従もしなかった。さりとて、自ら行動することもなかった。僅か三百年、世代に換算すれば、十代ほどだろうか。それだけの長い間、ダアト国は人民の自立した思考と判断力を全く育てなかったため、新しい体勢になっても、誰もが『参加』をしなかった。それはどうも、政府の判断として芳しいことではなかったらしい。理由は探ろうとも思わなかった。

 ただその時は、自分が痛い思いをしただけで終わった二度の出産から立ち直れず、それと同時に子供達の人生を護らなくてはならない、と、あちこちに手を回していて、それどころではなかったのだ。

 きっと誰もが恋をしていたのだ。ある者は自由に、ある者は平等に、ある者は博愛に―――その方法として、母親を求めただけだった。家族の愛を求めたカリエラが、母親の愛を取り戻そうとして絶望し、祖父母で代用しようとした結果、こんなことになるなんて思わなかったはずだ、と、当初ペラッカは思っていた。否、それは間違いではない。間違いではないのだが、もしかしたら可能性は解っていたのかも知れない。

 少なくとも外国とのやりとりをしていて感じたのは、カリエラの母アシャリヤを『救った』国のことを、カリエラは良く理解していたということだけだ。


 澱むような眠りから、光を感じて目を開くと、どうやら自分は離宮の自室に運び込まれたようだった。傍にはエバが座っていて、マッサージをしている。頭を動かすとすぐにこちらに顔を向けた。

「聖国母様、お加減は」

「ん…。ちょっと、昔のこと…思い出しちゃ、て」

「お腹にも良くありません。疲れたならお休み下さい。何のために私が控えていると?」

「そうだけどさ…。折角、…カリエラが、私を、聖女に…選んでくれた、から。少しは…」

「特使に対して、計画の遅延を要請しますか?」

 ペラッカは首を振った。

「アヴァリチア…公爵、家が、アンモナ…家との…。婚姻を、蹴って…。今、世界の、視線が、この、国に、向いてる。…マルク、が、それを、心配して、焦ってる。今しか―――今しか、ない」

「世界では、十五歳からが大人で、少なくとも十八歳には全ての行政における権利が解放されます。今年、ティファレト=カリエラ様が十八になれば、すぐにでもコクレンで、シャローム国の人権無視の人口増進政策について、世界中に発信できます。コクレンとしても、それを望んでいるのでしょう」

「マルク、が…。ダアト、に、革命を、起こせたのは…。偏に、アヴァリチア公の…援助も、そうだけど…コクレンからの…資金、提供も、あったからね。…だから、民主主義、を、掲げてたけど…」

「無理ですよ、ダアト人に民主主義なんて。皆洗脳されて、自分で考えたつもりになってお上の御機嫌伺いをしてるだけ。国粋主義と結束主義で、縛って貰わなけりゃ生きていけない、情けない民族です。その証拠に自分を気持ちよくさせない人間は、教会でも切り捨ててましたよ、物理的にも社会的にも。ワタシ達が生き残ったのは、姉御がずば抜けてたからです。崇敬大司教の孫だったから。でもその教会を徹底的に破壊したから、あいつは新しい権威を作って、制度上の国王を置いて、自分が実質王様気取り。結局あいつも、子供だったって事ですよ。自分たちの育った価値観でしか世界を見られなくて、自分たちが嘗ての教会以上に酷い政治をしている自覚がない」

 ぼろくそに言いながらも、エバの手つきは優しい。マルクへの怒りよりも、ペラッカへの憐れみや同情の方がずっとずっと大きいのだ。

「…ねえ、特使は、今日は、なんて?」

「…今は、身体の調子が悪いですから―――」

「今日、正式な…解答、が、ある、はずなの」

 教えて、という言葉は出さず、ペラッカはエバを見つめた。エバは暫く黙っていたが、懐から上等な一枚の誓約書を見せた。金粉がちりばめられた、どこかで見たような誓約書だ。目がかすんでいるのか、ペラッカが目を細めたり見開いたりしていたので、エバは読み上げた。

「『シャローム国民の人道的保護のため、武力行使に同意されたし』。…どうします? 十八年前のやり直しですよ」

「…でも、それで…。私の、…子供は、助かる、の?」

「連中は『人道と言えば何でも許される教』ですからね。飼い殺しを選ぶような人間には、文明化を進めるでしょう。尚悪いことに、南アインから―――サンダルフォナの義弟ハヴェル、沈黙の島の戦士シェキナーが、都に来たこと、情報を提供したことを、報告が来ています」

「使うなら、全て同時でないと、いけないわね」

「その通りです。南アインが沈黙の島を中心に結束し、戦力を集めているその背景を、まだ政府は知らないはずです。…あの男は、大国とのやりとりで精一杯。その他の小さな国の団結力を見くびっています。今のうちに」

「…その、『特使』は…。私の、子供達、を、どうするかしら」

 すると、エバは笑った。

「そりゃ、自分の子にするように、やりますよ。もしかしたらワタシの娘も」

「…そう。………エバ」

 ニッと、エバは口を横に広げた。

「了解しました。イシュの身体が鈍っていないことを祈りましょう。ええ、鈍っていたら、こいつで肉の叩きにしてやりますよ! すぐにハーヤーさんを呼び出します。攻撃が始まる前に、皆さんで一足先に脱出しちゃって下さい。ワタシも後から追いかけますから!」

 そう言って立ち上がり、敬礼をすると、離宮を飛び出していった。ペラッカはサンダルフォナにすがりつき、一筋の涙を流した。

「どうして、こんなことになっちゃったのかなあ…。なんで、平凡な人生で、生きられなかったのかなぁ…」

 恋を忘れるほど熱中した青春があったわけでも、なかったのに。

 嗚呼、こんなことをしている場合ではない。あの子達を、呼ばなければ。


 それから一時間ほどして、暴動が起きた。宮殿は騒がしくなり、聖国母とその友人を顧みる者はいなかった。まさか諸聖童子の長姉が、離宮に忍び込んでいる等とは思ってもいないだろうし、前線に諸聖童子が揃っていないことを気にする人間もいないのだろう。それでも、子供達には初めての爆音、銃声、怒号だ。カリエラはエクソシアにぴったりとくっついて離れなかったし、レハヘルも母レラーから譲り受けていたらしいナイフを手にして震えている。

 ガサッ。

「ぎゃああああああ!!!」

「きゃああああああ!!!」

「うわああああああ!!!」

 三者三様に悲鳴を上げ、ペラッカの後ろに飛びかかるようにして隠れる。

 ガサ、ガサ、ガサ。離宮の生け垣が動いている。

「革命以来ですね。お久しぶりです。今日からまた、ペラッカさんの為に、ばりばり働くッスよ!」

 敬礼をしたその戯け方が、不気味に引きつった顔で出来る精一杯の格好付けだったのだろう。ペラッカは微笑み、後ろで警戒心を丸出しにしている子ネズミに話しかけた。

「見えない、かもしれ、な、いけれど…。エバ、の、双子の、お兄さん、よ。…味方、だから、安心して」

「イシャ―――じゃない、エバは今、離宮の外で見張ってるッス。ツィオン山を越えれば、アヴァリチア公国を初めとする色んな国の援助が受けれる地帯に入るッス。そこまでは、自分が煽動するッス!」

「他の…味方は?」

「南アイン勢力が今、中央を叩いてるッス。聖国母一行を逃がすことと、全員の顔と名前は皆知ってるッスから、国の中は気にしないで良いッス。ぼく達の殿がエバッス」

「じゃあ、逃げるのは―――」

 美麗童子ティファレト=カリエラ、その乳母子エクソシア、庶子レハヘル、彼らの乳母エバ、その双子の兄イシュ、植物状態の友人サンダルフォナ、そして、聖国母ペラッカ。

「七人?」

「そッス! ハーヤーさんは国内で斥候に、国王はコクレンからの正式な要請で、引きずり出すッス! さあ、時間は少ないですから、急ぎましょう!」


 嘗ての戦いは、自分の友を護る為に、友の命を斬り捨てた。

 だが今回の戦いは、我が子とその人生を護る為に、一人も欠けてはならない。後続する未来が、一人ではないことを知っているから。


 ―――これについての日記は此処で終了している。

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