PAGE3 霊台方寸
カリエラの弟に当たる八人の諸聖童子は、産まれた日が殆ど変わらず、者によっては数時間の差しかない兄弟もいる。しかしその僅かな差が大きな要因なのか、母親と禄に暮らしたことがない彼らは、カリエラと同じく乳母と乳兄弟と共に暮らしている。唯一女に生まれ、将来性別以外何もかもそっくりの男の子供を産む運命にあるカリエラは、初めから競争の外だったが、ちょくちょくすれ違う召使い達が変わると言うことは、彼らの競争によって序列が変わり、何度も引っ越しをしているらしかった。
国父とケテルは同じ区画で暮らしており、その周囲にの弟達が住んでいる。ただ、それにしたって位置としてはカリエラ達に比べれば遠い。その更に外側に、政府要人の内、建国前から国父に忠誠を誓っている政府高官達が住んでいる。一般人が入れるのは、更にその手前にある国会堂までだ。政治家だと、謁見の間まで来る事が出来るらしいが、彼らが会えるのは諸聖童子の誰かくらいなもので、国父は勿論、国王ですら会うことは出来ない。ケテルが小頭症であることを隠しているのだから仕方が無いだろう。諸聖童子達でさえ、ケテルの事は知らない。カリエラは、母親が同じである関係で、知っているだけだ。例え女だとしても、カリエラは諸聖童子から見ると、唯一会うことが出来る聖国母の子であり、その視線は憧憬こそあれ、嫉妬は含まない。レハヘルは諸聖童子とは違い、半分だけ国父の血を受け継いでいる。母であるレラーは、国父の故郷に縁ある者だが、諸聖童子達と比べれば王位継承の可能性は圧倒的に低い。血筋―――見かけのインパクトを重視し、新しい神話を早く作りたい国父達から見ると、レハヘルの子供は四分の一しか国父の要素を受け継がないことになる。詰まるところ、レハヘルは王位を争う力が無い。よって、嫉妬されるどころか軽蔑される。
ところが、これがエクソシアとなると、話は異なる。
元々エクソシアの母エバは、教会側―――国父と敵対していた組織に属していた。ただ彼女は、かなり早い段階でエクソシアを身籠っていたため、ケテル、カリエラの乳母になることが出来た。それもこれも、聖国母がかなり陳情したからだ。それだけだったなら、ただ出自の卑しい女の娘くらいで済んだだろう。諸聖童子の母親達が、子供を産む機械にされたことを悲観し、破滅していなければ。
国父の血を受け継ぐ諸聖童子とレハヘル、カリエラ、ケテルと違い、エクソシアはただ、母親が聖国母の知り合いだったというだけで宮殿に住み、剰え諸聖童子の乳母子として、カリエラの側近として宮殿内を歩くことが出来る。
王の弟である自分たちには母親がいないのに、あのおこぼれで宮殿を闊歩する卑しい平民女には、母が居る。
それがどうしようもなく、諸聖童子達の心の平和をかき乱した。なまじエクソシアが、あらゆる嫌がらせをものともしないのだから、尚のこと腹が立つ。
もう一つ、彼らが許せない事があった。それは、エクソシアは聖国母に会うことが出来るということだ。無論、エクソシアから拝謁の意思は表明できない。聖国母がエクソシアとエバ母子に会いたいと望めば、それに二人は応える事を国父に許可されているというだけだ。聖国母はカリエラを産んでから、ケテルの住まいの近くに、離宮を新しく建立して住んでいる。御殿医を一人だけ付け、寝たきりの友人と共に、閉ざされた世界で過ごしている。その友人の存在は、宮殿に住む者なら誰でも知っているが、その名前は、国父の他、カリエラ一派しか知らない。
その眠り姫の名前は、サンダルフォナ。聖国母が、自らの命と身籠ったカリエラの命を賭けてまで守った、旧体制の遺物の一つであり、専ら彼女の名前は忘れ去られて『鬼女』とだけ呼ばれることが多かった。聖国母は彼女の世話をし、花を愛でて暮らしている。年はまだ三十路なのに、二回り近く老いて見える。それが、聖国母の波乱の半生を物語っていた。
そんなわけだから、カリエラとしても、聖国母に会うことは滅多にない。エクソシアの絶対の自信は、カリエラが自分を姉としても母としても好いているからだった。
「シア、シア、シア!」
ばんばんばん、と、ドアが叩かれる。何か良いことがあったようだ。
「聞こえてるわよ! はしたないから入っておいでなすって」
「聖国母様が謁見してほしいって! 今日のアフタヌーンティーを一緒に、だって!」
自室で巨大な筒を分解していたエクソシアは、ささっとそれを片付け、抱きついてくるカリエラを背中で受け止めた。
「ねー、最近それよく弄ってるけど、なに?」
「お母様から、いずれ相続するものだから、手入れの仕方を練習してるの。…それで? 聖国母様の謁見を伝えに来たんだから、私にやってほしい事があるんでしょう?」
後ろからきゅぅ、と、腹に巻き付く腕を撫で、頭を指先でくすぐると、カリエラははにかんで応えた。
「うん。シアのお給仕で、お茶会がしたいな」
「銘柄は?」
「リメンバランスレイフ」
「はいはい。支度するから待ってて」
リメンバランスレイフは、建国を記念として作られた茶葉だ。旧南アインの離島に自生していた茶を、旧西アインのある貴族が精製したもので、強い抗菌作用やデトックス効果があるらしい。ただ、カリエラは、その紅茶を飲んだ時の、聖国母の顔が好きだった。エバに聞いたが、リメンバランスレイフの名前は『ラファエラの追憶』という意味の外国語らしい。ラファエラとは誰だ、と聞くと、とても素敵な女性だった、としか教えてもらえなかった。名付け親は聖国母で、彼女が聖国母として初めて、私用で国民に依頼した品らしい。過程は複雑だったようだが、カリエラにとっては、その紅茶を飲むと母親が一人の人間に戻って、朗らかに顔を崩すという事実が重要だった。
「カリエラ、ケーキは何が良い?」
「ベリーイチゴとリンデンボダイジュのハーブケーキ」
ポットで湯を沸かしながら、小さな冷蔵庫を開く。赤いベリーイチゴのスライスがゼリーに浮かび、その下にハーブのスポンジケーキが、ベリーブルーイチゴのソースとくっついているケーキが、半分ほど残っていた。
「ケーキ、何人分残ってる?」
「んー、丁度半ホールあるから…。六人分はあるわねえ。」
「じゃあ、それを聖国母様にお話ししたら、お兄ちゃんとレラーおばさんも呼んでくれるかな?」
するとエクソシアは露骨に厭な顔をした。
「ねえ、それ、どうやって聖国母様に伝えるの? 私達に出来るのは「かしこまりました」って応えるだけなのよ? 手紙だって出せやしない」
「簡単だよ、シアが初めから、六人分作れば良い」
「お湯が足んないわよ!」
「ポットごと持っていこうよー。それにね、今日は聖国母様にプレゼントしたいんだ、あのレザーストラップ。そういう時は沢山人が居た方が楽しいって、シア、言ってたじゃない」
「それは単純に護衛が…。…ああもう、解ったわよ。じゃあ手伝って!」
はーい、と、カリエラは嬉しそうに簡易キッチンに入ってくる。宮殿の厨房とは違い、本当にお茶の準備くらいしか出来ない小さな場所だが、食器が割れてはいけないので、小さなワゴンがある。カリエラはケーキを乗せる皿を楽しそうに選んでいて、エクソシアは溜息をついた。
そんなエクソシアを、色っぽいなあ、と、一つ年下の乳妹は見つめているのだった。
本来ならば旧字には相応の召使いがいるのだが、聖国母は、自分とサンダルフォナへの給仕は全てエバにするように命じている。その娘であるエクソシアですら、給仕を許可されたのは最近の事だ。カリエラがおやつを食べる時は、いつも自分の区画、基部屋で済ませてしまうので、エクソシアがワゴンを押しているということは、必然的に聖国母の呼び出しがあったのだと解る。宮仕えのコックでさえ、聖国母は自分で料理を出すことが出来ない。盛り付け以降は、エバの仕事になってしまうからだ。なまじそれを、血筋の上では王家に全く関係ないエクソシアがやっているとなれば、面白くないのは当然である。しかし同時に、その進行を妨げれば、それは聖国母の行動を邪魔したとして、自分にどんな刑が下るか解らない。近衛兵にじっとりと見つめられているのもものともせず、エクソシアは聖国母の離宮の前までワゴンを押していった。門番は話を聞いているらしく、黙って扉を開けてくれる。そこから先は、母子の世界だ。
「聖国母様、美麗童子ティファレト=カリエラ、その乳姉エクソシア、参上仕りました」
聖国母への贈り物を胸に抱えたカリエラがうきうきと、中庭の扉の前で頭を下げる。磨りガラスの向こうには、花が咲き乱れ、稼働ベッドと、鳥かごのようなインテリアの中で、白いローブを身につけた人が座っているのが見える。その人の傍に控えていた、黒い服の人物が近寄ってきて、扉を開けてくれた。彼女が自分の乳母であり、エクソシアの母であるエバだ。
「ご足労ありがとうございます、カリエラ様。エクソシア、ご挨拶をしたら準備をして差し上げて」
「はい、お母様」
心なしか、エクソシアの顔もほぐれている。エクソシアは母親と暮らせるが、実際はエバは聖国母とサンダルフォナにかかりきりの事の方が多く、深夜になって、一緒の部屋で眠れるようになる程度だ。幼い頃は、カリエラを育てるために、エバもエクソシアも常に一緒に居たのだが。
「聖国母様、御機嫌麗しゅうございます。本日のアフタヌーンティーは、お紅茶リメンバランスレイフと、ベリーイチゴとリンデンボダイジュのハーブケーキでございます。わたくしが選びましたが、ご気分に合いますか」
「………。ええ。淹れて頂戴。カリエラ、そこに座って」
「はい、失礼します」
掠れた声で、聖国母は応えた。以前会った時よりも、なんだか顔色が悪い。エクソシアは温めたポットに茶葉を測り始めた。
「聖国母様、本日は受け取って戴きたいものがございます」
「………。何かしら」
喜んでくれるかな、どうやって褒めてくれるかな。
カリエラは逸る気持ちを抑えながら、胸の包みを差し出した。
「先日の篤志バザーでの品です。聖国母様のお名前が打ってございます。お受け取り下さい」
「………。そう。………その包み、開いて頂戴」
聖国母は、自分であまり動かない。動けないのかもしれない。ものを食べるにしたって、最近ではエバが食事介助をしている。移動するのは車いすで、ほんの少し立ち上がるにも、杖を使う。何がそんなに聖国母を蝕んでいるのか、カリエラは知らない。
言われたとおり包みを開き、『PERACHA』と縫い糸で記されたレザーストラップを差し出す。青みがかった、紫色の落ち着いた天使の形を模したものだ。聖国母は腕を動かすのも怠いようだが、まじまじとストラップを見ている。気に入ってくれたようなので、エバがそれを受け取り、聖国母の掌をとって、その上にストラップを置いた。
「………。綺麗な色ね」
「! …ありがとうございます」
えへへへ、と、花を散らせたような笑顔になっていたカリエラだったが、聖国母がそれをエバに押し返したのを見て、顔が凍り付く。
「………。でも、いらないわ。………篤志バザーということは、ヨナやイシュの作ったものよね。………再来年に、ヨナは恩赦が、あるのに………。まだ罪人の、ものを、仮にも、童子と呼ばれる人が、買うんじゃありません」
「………はい」
「迂闊な行動で…恩赦が、無駄になるかも、しれません。………どこに、敵がいるか、解らないんだから」
「………申し訳ございません。…聖国母様が、喜んで下さるかと…。陳情なさった、お方だから…。喜んで下さるお顔が、見たくて…」
カリエラはエバからストラップを受け取り、うつむいてしまった。今にも泣きそうな彼女の前に、エクソシアが丁寧にケーキとティーセットを置く。
「聖国母様、わたくしもお止めしなかったのです。どうぞ美麗童子様を責めないで下さい。本日はお日柄も良く、良い香りにお紅茶が出ますので、お召し上がり下さい」
「………。ええ、戴くわ。………エバ、サンにも…冷まして、飲ませてあげて」
「かしこまりました」
始まり方は良くなかったが、ケーキを食べている内に、聖国母はそれ程怒っていない事が解った。恩赦が決まったからこそ、妙な癒着を疑われては、お互いの為にならないという意味だったのだろう。聖国母はケーキを食べると、僅かに瞼が軽くなり、最近の勉学の様子を聞いてきた。カリエラが答えて話す様を、時折目を閉じ、思い浮かべるようにして聞いている。
「ねえ。………。ジェンダー、は、面白くないの?」
聖国母がそう聞いてきた。出来ればサボっている勉強のことは話したくなかったが、カリエラがエクソシアに視線を向けると、話せば、と目で言われてしまった。
「あまり、面白くないです」
「…どうして?」
「あまり、その、関係ないというか…考えたくないというか…」
「…子供を、産む、将来が、嫌?」
「………。どちらかというと、産むより、産んでほしいなって…思いますというか」
確かに国父は、人口を増やすことにご執心だ。人口が増えないと困ることが起きるらしく、未だに国指定の種馬兵が夜な夜な闊歩するという噂を市井で聞いたこともある。同じ女として、そんな恐ろしい夜は嫌だろうな、と、エクソシアは勝手に思っていた。
「………。そう」
「あ、でも、他の勉強は好きですよ! 医学の勉強は面白かったです」
「………。そう。…ねえ」
「はい」
「そろそろ………。…好きな子、出来た?」
聖国母は、微笑むと言うより、どこか心配しているような、不安そうにしているように見えた。
「えっと…」
もう一度助けを求めるように、カリエラはエクソシアを見つめたが、二つ目のポットを用意するのに集中しているようで、気付いてはくれなかった。
「いるような、いないような…」
「………。いいわね、恋を、してるの」
ぽんっと、カリエラの顔から煙が出る。うっすらと聖国母は微笑んだ。
「恋は、…しておく、ものよ。………私は、…出来なかった、からね」
「………聖国母様、御言葉ですが、わたくしは国王様の御子を産まねばなりません」
「………」
何故か、その時聖国母は黙った。以前の時は、『国王の后として身を慎む生活をするように』と言ったのを覚えている。聖国母は再び重くなってきたらしい瞼の奥で、エバを見つめた。エバは、何を読み取ったのか、首を振った。
「聖国母様、お紅茶のおかわりが出来ました」
「…ありがとう。………カリエラ」
「はい」
「もし、…ケテル、の、子を、産まなくていいなら…。誰と、夫婦になりたい?」
カリエラはまたエクソシアを見たが、エクソシアは今度は意味が分からなかった。
「考えたこともございませんので、わかりません。」
カリエラはそう答えた。




