EPISODE6 ちょうちょうのいえ
パァン!!!
突然、激しい破裂音で飛び起きた。一気に目が覚めて、ペラッカはベッドから転がり落ちる。枕で頭を覆って顔をあげれば、既に着替えたカリエラが空砲を撃ったようだった。
「飯だ。起きろ。今日は町長の家に行くぞ」
「え? 目的があったの?」
「当たり前だろ。この町の町長は重病人だぞ」
朽ち果てるとはそういう意味だったのか。ペラッカはおずおずと起き上がり、着換えを始めた。
寝ぼけているメヴァーエルと二度寝を始めたレラーをどうにか引っ張り出して階下に降りると、昨日猫が寝ていたテーブルに、フライドエッグが三つ。既にカリエラとサンダルフォナは朝食を摂っていた。
「おはようさん」
「カリエラ…。あの起こし方は近所迷惑じゃない?」
「許可なら取った」
そう言う問題ではないだろう。だが何を行っても無駄そうだったので、大人しく席に着く。そのまま食べようとすると、サンダルフォナに睨まれたので、小さく、頂きます、と言った。半熟のフライドエッグは、フォークでつつくと蒸された白身と混じり、柔らかくトーストされたパンに良く絡む。レラーが席についてもいつまでたっても食べず、その場で眠りこけるので、こっそりカリエラは自分の空の皿と取り換えようとした。が、ギリギリでレラーが起きたので手を引っ込める。こういう子供らしい行動もあるのだが、カリエラは普段の言葉遣いで大分損をしている気がする。
「サン、レラー、メヴィで昨日の鍛冶屋と仕立屋行って来い。あと昼飯用意。俺とペラで町長の家行ってくる。昼前には出るぞ」
「お金くれるの?」
メヴァーエルは嬉しそうだ。実のところ、彼女は新しい服やアクセサリーが欲しくて堪らないのだろう。彼女は天使のペンダントやらお呪いのリボンやらが好きである。
「今所持金五キンだ。そんなはした金で何が買える」
「じゃ、どうするの?」
「ミカエリ家じゃ『お使い』って言葉も習わないのかよ」
「…まさか乞食するの?」
「我らが聖女さまは、ペンション・ハーヤーに来るまでに道端の薬草を集めておられたぞ」
茶化されて、ペラッカは真っ赤になった。恥ずかしい、バラさなくても良いじゃん、と心の中でつぶやいた。ええー、とメヴァーエルは反発した。
「やだよー! お金くれなきゃやだ!」
「くれっつったって、ねえもんはねえんだ」
「昨日いっぱい持ってたじゃん!」
「全部使った。あと五キンしかない」
メヴァーエルがどんなに食い下がっても、カリエラは取り合わなかった。本当にないのだろう。食事が終わっても、ペラッカと宿を出ようとしても、更に食い下がってきたが、カリエラはやっぱり取り合わない。最終的に、サンダルフォナが『私がどうにかしてあげるから』と言って宥めたのである。朝から疲れてしまった。これからさらに町長さんとやらに会いに行くと言うのだ。ペラッカの気分はどん底である。
「ねえねえ、町長さんて怖い?」
「しらね」
「…………」
ああそうだった。この人はそう言う人だった。ペラッカは仕方なくついて行くが更に凹む。流石に可哀想だと思ったのか、カリエラは助け船を出した。
「あいつらには言ってないんだけどな…。実を言うとアインで反乱軍が持ち上がっているっていう情報があるんだ」
「はんらんぐん…?」
「要するに革命家みたいな連中だな。ダアトに攻め込んで政権やら体制やらをめちゃくちゃにしようとしてる。それは教会としても阻止したいし、なにより建国以来三百年険悪関係が続いているのはやっぱり面倒なんだよ。防衛費もそうだし、何より経済が回んねえんだ。だから町長の病気をちょちょっと治して、お前は教会側につく様に説得するのが役目」
「物凄い大役じゃん。あたしそんな能力ないよ。物凄くカリエラの方が適役じゃん!」
「いやあ、何れにしろ、傀儡って必要なんだよねぇ」
「かいらいって何?」
「ハリボテってこと」
カリエラが激しく大きな家のドアを叩いた。いよいよだ、いよいよだ、と、ペラッカは心臓を吐きだしてしまいそうなくらいに緊張していた。何事かメイドらしい老婆と話しているカリエラの声が酷く遠い。二人はすぐに家の中に通され、二階の奥の部屋まで連れてこられた。
「若様、お客様のお見えです」
中から聞こえた、ありがとうございます、という声は、酷く小さな声で、ペラッカは本当に中には病人がいるのだと分かった。中にはいると、すぐに消臭剤のような、芳香剤のような、それとも何かが腐ったような、独特の匂いがした。驚いて思わず鼻をつまむと、カリエラに小突かれた。
「申し訳ない。病躯の為部屋の空気は悪いのです」
「構いません。慣れています」
見え見えの嘘をついて、カリエラはペラッカをベッドの傍の椅子に座らせると、一歩下がった。休めの姿勢を取り、カリエラはペラッカに丸投げである。町長もペラッカの言葉を待っている。しかし何を言えばいいのかわからない。町長は漸く、ペラッカがずぶの新人であると気が付き、気をまわして微笑んだ。
「はじめまして。私はこの町の町長です。何か聞きたい事があるのでしょうか? それとも何かの相談事でしょうか?」
「え…えっと…」
ちらっとカリエラを見ると、カリエラは目を閉じて黙っている。自分で考えろと言っているようだった。一応、病気を治すと言うようには聞いていたが…。どうすればいいのだろう? 触れると言ったって、相手は曲がりなりにも男性である。
「余命わずかな身、多くはできませんが、努力はしましょう」
「あ、えっと、その事なんですけどね」
「はい?」
町長は人の良さそうな笑みを浮かべているが、内心イライラしているのは伝わって来る。いざとなったらイカサマでも何でもすると言っていたし…。ええい、どうにでもなれ! ペラッカはやけっぱちになり、椅子から立ち上がると、両手をあげ、天を仰ぎ、ぬぉおおお、と腹の底から声を出した。気合いで奇跡を起こそうとしたのである。
…………。
…………………。
「………あの、今日はお帰りいただけますか?」
失敗した! あまりの恥ずかしさと、後でカリエラに怒られるという恐怖で、ペラッカの顔は蒼紅相殺され真っ白になる。慌ててペラッカは弁解した。
「いや! あの! 今のは違うんです! あたし、あ、いや、ワタシ達ですね、教会の…」
すると町長は露骨に眉を顰めた。
「何でしょう、ダアトへの税金は毎月納めているはずですが」
「あの、あの、あの! もっと協力的になってほしいなって! 政権がですね、めちゃくちゃにする体制軍が…」
もう自分でも何を言っているのか分からなかった。ペラッカは必死になって説明しているのだが、町長はもう呆れかえっているし、カリエラは全く助け船を出してくれない。人生でこれ以上ないというくらいにペラッカは大汗をかき、説明した。しかし町長は全く聞いてもいない。まるで無神論者に宣教している気分だった。
「要するに何が言いたいのです? 見ての通り過疎の進んだ村から、もう搾り取れる税金もありません。私の命とてもう一年はもちません。貴方方は何のために来たのですか?」
「だ、だからあの、政権軍を…」
「貴方の言っていることは支離滅裂です。どうぞ、お帰り下さい」
ついにぴしゃりと言われ、ペラッカは黙り込んでしまった。ここでようやく、カリエラが口を開いた。
「フェルゴルビー殿」
「貴方もお帰り下さい」
「申し遅れました。わたくしはシスター・ラファエラ。ナタスの子です」
ピクッと町長は表情を変えた。しかしすぐに胡散臭そうにカリエラを見る。ナタスとは確か前に聞いた気がするが、はて、どこだったろうか。
「はあ…。貴方が西の町ナタスの?」
「はい。親はナタスの出身です」
「その様な方が、このような田舎に何の御用でしょう」
「フェルゴルビー殿のお身体が芳しくないことは風の噂に聞いております。しかし、我らダアト教会としては、反乱軍の動きを押さえられるであろう戦力は如何程とも失いたくない。中立の立場を表明していただきたい。ご理解頂けましょう」
「何か、買いかぶっておられるようですが、私はもう永くありません。あと五年もすればこの町とて人の住まない町となるでしょうし、見ての通り老人ばかりで徴兵する男子もいません。そんな町の中立宣言など、何になりますか」
「フェルゴルビー殿を看取る為に来たのではありません。そのお身体を治しに参りました」
すると町長は、目を白黒させた。しかしカリエラが促すので、仕方なくペラッカは胸の前で両手を合わせた。せっかくカリエラがつくった機会を逃せば、もう次はない。ペラッカは真剣に祈った。しかし辺りは静まり返ったままである。あああ、どうしようどうしよう。
ところがカリエラがペラッカの肩に手を乗せた瞬間、バンッ! と風船が割れるような音がした。驚いて目を開けると、辺りが煙たい。何と言うか、如何にも『魔法に失敗しました』という感じである。
先ほどよりずっとずっと空気は重い。町長は今にも堪忍袋の緒が切れそうだ。やばい、と思った時、ペラッカはカリエラに手を掴まれ、部屋を飛び出していた。そして直後、帰れェーッ! という凄まじい勢いの怒鳴り声。老婆のメイドの傍を走り抜け、ドアを破る様に外に飛び出した。通りを走れば、仕立屋から出てきたサンダルフォナ達がただならぬ二人の様子に気づく。
「お前ら! 逃げるぞ!!」
五人は大急ぎで町を飛び出し、カリエラの導きのままに草原を走り抜けた。