EPISODE62 ペラッカのへや
引っ越しに同意するとは言ったものの、その日のうちにと急ぐマルクらを制し、サンダルフォナの医療器具に一切の欠陥が無い事を確認したりなんだりしている内に、二週間が経ってしまった。サンダルフォナの命を今繋ぎとめているのは、多くが精密機械で、要するに臓器の機能の一部を肩代わりしているものらしい。つまり一つでも不調を起こしたならば、即、死を意味する。ペラッカは機械については全く分からなかったので、ハーヤーにすべて任せていた。今あるサンダルフォナの機器は、全てハーヤーがアインに手配したものだ。当然である。ダアトには老いと死はないから、延命機具なるものの存在を、ペラッカも初めて知った。ハーヤーが全ての機械を運びおえ、ストレッチャーの上で未だ目を覚まさないサンダルフォナと宮殿に入った時、革命から早くも一か月が経っていることに気付いた。
一月前は何をしていただろうか。その記憶の中に、カリエラの笑顔が無い事に気が付いた。サンダルフォナの窘める困り顔さえない。そうだ、革命の時、あたし達はバラバラになってしまって、そこからずっと、戻れていないのだ。
ペラッカに与えられた部屋は大層広く、豪華絢爛でこそないものの、実家の部屋より広かった。実家の売り場と、リビングと、自分の部屋を足したような感じだ。キッチンこそないが、風呂もトイレもある。そこに、サンダルフォナの機械が入っても、狭くなった感じがしない。サンダルフォナを裁判にはかけないと言っていたが、いつ刺客が来るか信用できないと言ったら、マルクは案外すんなりと同じ部屋にサンダルフォナと住むことを赦してくれたし、何なら護衛も指名して良い、と言った。恐らくその使命とは、新政府である必要があったのだろうけれども、ペラッカはあの5人で騒がしく不安だらけの楽しい旅を思い出し、レラーを指名した。ところが、レラーは今健康診断に引っかかっており、外に出ることが出来ないと言う。どこが悪いのか、と、問い質すと、何も疚しい理由じゃないと言って、白黒の写真のような風景画のようなものを見せて来た。エコー写真というらしい。
「これ、何の写真?」
持って来た要人の青年に聞いてみた。青年はにこにこと答えてくれた。
「内臓の写真だよ。真ん中に異物がある」
「異物? 毒とか?」
「それは検査をしないと分からないね。異物と言っても、全てが悪い物とは限らないんだ。ニキビも、潰すと白いものしか出なくて痛くない奴と、潰すと汁や血が出て来て周りが鈍く痛くなる奴があるだろう?」
「内臓にもニキビが出来るんだ…。へー…」
「誰でも出来るよ。まあ、害のあるものはあまりないから、ダアトでは知られていなかったんだろうね」
「ふーん…」
「さて、あまり話しているとお体に障る。大事な身なんだから、私はもうお暇するよ。何かあったら電話をかけてくれれば、メイドが行くよ。夕食はあと一時間もすれば来るから、その時に何か託けてもいいね」
「ああ、分かりました」
ばいばい、と、手を振る青年は、自分の事を見縊っていることが良く分かった。なんだか子供扱いされている気がする。…いや、子供なのだけど。
子供。
そう、子供なのだ。学校は卒業したけど、まだ恋だって知らない、子供なのだ。レラーもメヴァーエルも、アイドルに嵌って夢を見ていた子供。カリエラはいつも叩いたり大声を出したりするけれど、決して本気じゃなかったと今なら分かる。サンダルフォナはそうやって上がったテンションをいつも座りのいいところに降ろしてくれていた。けれど誰もが、子供だった。子供でいられなくなったのは、何故だったのだろう。
難しい事を考えたからか、眠たくなってきた。どうせ夕飯は運ばれてくるのだから、少し寝ていよう。
体感だと眠っていないくらいだったが、メイドが夕飯を運んできた。ハーヤーの下では考えられないような、物凄いご馳走だ。ご馳走、と言うより、様々な料理が沢山乗ったワゴンが来た。思わず目を見開いたが、すぐに腹が鳴った。毒が入っているかも、などとは露程にも思わず、手を合わせてパンを掴み、肉を切って魚を頭から齧った。野菜は煮たり炒めたりしたものが、緑、赤、黄色と彩り豊かで、風味もバターやコンソメとバリエーションが豊かだ。一つ一つの料理は、大したことが無いかも知れないが、二段ワゴンに乗せられた大盛りの皿を見て、これをご馳走と言わずになんというのだろうか。夢中で食べても、皿の料理が減った気がしない。食指が動かなくなると、メイドはもう一台のワゴンに、今度は色とりどりの果物を乗せて、ペラッカの前で皮をむいてくれた。特に油ものを食べた記憶はなかったが、グレープフルーツやオレンジのジューシーさが喉を潤すのが心地よい。一通り満足すると、途端に腹が重たく感じた。
「う、食べ過ぎた…」
「聖女様、陛下からの御命令で、これから健康管理の為、こちらを毎晩、提出してください」
「へーか」
誰の事だろう、と、考えて、マルクの事か、と、納得する。偉くなったものだ。
メイドは体温計と、小さな紙コップを見せて来た。いつの間にかワゴンが、一段のものが増えていて。そこに同じ物と思われる道具がしこたま入ってある。使い捨てなのだろうか。
「何これ。体温計?」
「毎晩、排尿の際に少量、コップに採って下さい。この機具の先端をその中に入れて、するとほら、ここの白い丸い窓、分かりますか」
「ん? 体温計じゃないの? おしっこの温度でも計るの?」
「ここに、線が浮かんでくるんです。線が浮かんで来たら、尿は捨てて、こっちの真空パックにお入れになって、トイレに置いておいてください。翌朝私が回収します」
「これをやると、何が分かるの?」
「ダアトに住んでいた女性全員に、今月から始めたんです。健康調査のようなものと思ってください」
「ふーん…。…ねえ、上手く出来るか分からないし、丁度催して来たから、ちょっとやり方教えてもらっていい?」
「いいですよ」
メイドはにこりと笑った。だがその笑顔は、何だか空虚で、心が籠っていないように感じる。何だか不気味だな、と思いつつ、ペラッカは生まれて初めての採尿検査をやってみた。二つの白い窓に、青い線が浮かび上がった。
「有難うございます。では、お休みなさいませ」
「うん、お休みなさい」
一気に食べて、その後なれない作業をしたからか、眠気が重たい。サンダルフォナとの引っ越しも無事に済んだことだし、少しは気を楽にしなければ。マルクの怪我は経過が良いそうだから、もう間もなく裁判が始まってしまうことは明白だ。休めるうちに、休まなければ。
「お休み、サン。部屋は変わったけれど、あたしはちゃんと隣にいるからね。頑張って、戻って来てね…」
「ヒュー…ヒュー…」
透明なマスクをしたサンダルフォナの呼吸は、乱れなかった。
翌日、マルクが予定より早く、軍事裁判を開始すると宣言した。ペラッカは当然のように傍聴を希望したが、何故か裁判中は『聖女に代わりはないから』と、部屋の中に軟禁されてしまった。ただ、毎日ハーヤーが裁判の様子を知らせに来てくれ、面会する事は許可された。こうなると分かっていたから、小さな家並の広い部屋を与えられたのだろうか。不安をどうにかしたくて、毎食出る量の多い料理をしこたま食べて、後は只管泥のように眠った。
初めの内、裁判は只管、事実確認で一日が終わっていた。アインの裁判官が、ダアトの教育は異常であるから、その教育の毒性にどれほど染まっているか、それを評価に加えるつもりらしい、と、聞いて、これは長期戦になる、と、目の前が真っ暗になった。どれくらいの人が裁判にかかるのかと尋ねると、ハーヤーは分厚いよ、と前置きをして、教えてくれた。まだ怪我の治っていないアナウエル元法王を除き、メヴァーエルを含めた、アナウエル元法王から見て第三親等までのミカエリ一族計三十名。怪我の治った大司祭アダム、発言に反応の見られるようになった大司祭エバを始め、途中殺害された大司教一名を除いた、五名の大司教。特に抵抗の強かった司祭述べ五百人。同じく抵抗が強く、未だ意思疎通の困難なカリエラを除いた、修道女述べ八百人。レラーを含めた、一般市民の中で特に率先して対立を選んだ十五歳以上の男女、延べ七十人。アナウエル法王、カリエラを含めず、合計八四〇五名だという。何故レラーは一般市民なのかと言えば、ミカエリ一族でも教会関係者でもないからだろう。恐らく、カリエラの扇動した旅に参加していたのが原因だと、ハーヤーは言った。
「そんなに!? 何年かかるの!?」
「普通の裁判であれば、毎日一人の判決を出したとしても、10年以上はかかる。でもこれは軍事裁判だからね。初めから処刑する人はもう決まっていて、歴史上にあくまでも法の下に平等に裁かれたと言う事実をハリボテでも遺しておきたいっていう、マルクの意思だろうね」
「だからマルクの怪我が治るまでってことだったのか」
「恐らくね。…サンダルフォナの容体は?」
「うん、顔はまだだけど、お腹は塞がってるみたい」
「うちの手配した医者だから、毒を盛られるなんてことはない筈だけど、貴方は大丈夫? ペラッカ」
「え、あたし?」
「なんか、むくんでるよ」
「マジで?」
「それに、なんか全体的に丸くなった」
「マジで!? 運動しなきゃ。部屋の中うろうろするだけでも違うかな?」
「まあ、食っちゃ寝食っちゃ寝してるよりはいいだろうね。じゃあ、私は行くよ。予定では、明日メヴァーエルの裁判だ」
ごくり、と、ペラッカが生唾を呑む。
…お腹、痛い。




